第1話「届いた一撃」
アキスは盾を構え直した。左腕に通した革帯が汗で滑る。向かいに立つ獣人のルーシャは息も乱さず、木剣を左腰の帯へ差した。
灰褐色の髪から出た尖った耳がこちらを向く。腰の後ろでは、毛の厚い尾がゆっくり揺れていた。
レムバルの軍学校へ入って、半年になる。実技場では生徒たちが二人ずつ向かい合い、剣や魔法で相手の守りを崩していた。魔法を使えないアキスは、防御魔法の代わりに訓練用の盾を左腕に通していた。右手には木剣を握っていた。
今日の実技は模擬戦だった。ルーシャは普段の力を制限せず、アキスがどう近づき、どう受けるかを試していた。
剣だけで打ち合う時は、ルーシャに勝ったこともある。だが彼女が四足になると、攻撃の来る高さも速さも変わる。能力を使わせなければ勝てると言っても、兵になってから相手に頼むわけにはいかない。
ルーシャは土へ両手をついた。
「獣相」
腕と脚が、厚い筋肉に覆われた獣の四肢へ変わる。指先から硬い爪が伸び、両方の前脚で地面をつかんだ。
教官の合図で、彼女が迫る。
アキスは盾を胸の前へ置き、正面から押されないよう右足を引いた。ルーシャは盾の手前で上体を起こす。右手を人の形へ戻し、左腰の剣の柄を握った。
抜いてくる。
アキスは肩を守ろうと盾を上げた。だが、木剣は帯に差したままだ。ルーシャの左の爪が、盾の上端へ掛かった。彼女は右手を柄から離し、左腕で盾を引き下ろす。
アキスは腕ごと引かれ、踏ん張ろうとした足が前へ出た。ルーシャの右手が獣の前脚に戻り、肩を押してくる。地面へ尻をつくと、そのまま胸元を押さえられた。剣を持つ腕を動かしても、振り上げる場所がない。
「そこまで」
胸の重みが消えても、アキスは剣を握った手を緩められなかった。ルーシャは、一度も木剣を抜いていない。抜くふりに引っかかり、こちらは一度も振れずに倒された。
「……くそ」
アキスが起き上がると、ルーシャは腕と脚を元へ戻し、服についた土へ手を伸ばした。アキスはその手が届く前に自分で払い、横を向いた。
そばで見ていた大柄な友人が、水筒のふたを開けた。
「俺なら、魔法で山を一つ落として勝つけどな」
「どこに落とすんだよ!? 俺もいるんだけど!」
「アキスの分は、こう、よけて」
デンバルは空いた手で、山を二つに分けるような仕草をした。
「できるみたいに言うな、デンバル! その魔法、見たことないぞ!」
「だから、まだ誰にも使ってないんだって」
デンバルは笑って、水筒に口をつけた。
「……もういい。水、俺にもくれ」
アキスは剣を足元へ置き、デンバルから水筒を受け取った。水を飲んでいる間も、ルーシャから目を離せなかった。彼女はもう開始位置へ戻り、両腕を回している。
木剣はまだ帯に差してある。次も抜かないと決めつけたら、今度は本当に打たれる。
水筒を返して剣を拾うと、アキスは彼女の前へ戻った。盾を握る手に力が入り、左肩まで上がっていた。ルーシャは身構えたアキスを見て、口の端を上げた。
「そんなに上げてると、またつかんじゃうよ?」
「今のうちに言ってろ。次は俺が当てる」
言い返してから、アキスは盾を少し下げた。正面で待っているだけでは、また同じことになる。右へ動こうと左足を踏み出しかけた時、教官の声が飛んだ。
「アキス、足を交差させるな」
隣の組から戻ってきた教官バゼルトが、アキスの右足を靴先で示した。急いで踏み出した左足を引き、右足から横へ動く。左足はその後から引きつけた。
教官が二人の間から離れると、ルーシャは腕と脚を獣の形へ変えた。開始の声に、土を蹴って走り出す。
アキスは剣先を突き出した。ルーシャは外へかわし、盾の側から迫ってくる。上体が起き、右手が人の形に戻った。
また、剣の柄を握る。
アキスは反射的に盾を持ち上げかけた。だが、彼女の左前脚も動いている。剣へ向かう手だけを見ていて、さっきは倒されたのだ。
右足を横へ出し、左足を引きつける。伸びてきた爪が盾へ触れる直前に、アキスは盾の上端を外へ倒した。爪は引っかからず、金属の表面を下へ滑った。
ルーシャの右手が動く。今度は木剣を抜き、横へ動いたアキスを追って身体を向けた。その木剣が、左肩へ振られてきた。
アキスは傾けていた盾を身体の前へ立て直した。剣がぶつかり、硬い音が響く。左腕が胸へ押しつけられたが、足は踏みとどまった。
ルーシャが剣を引く前に、アキスは一歩近づいた。盾で彼女の剣を押さえたまま、右手の剣を振る。
木剣が、ルーシャの左肩を打った。
「そこまで」
ルーシャは剣を引き戻し、踏み出しかけていた足を止めた。当たった肩からアキスへ目を移す。耳が伏せられ、尾が土をたたいた。
「あっっ、もう!! 今の、打てたのにぃ……!」
ルーシャは打たれた肩をさすり、すぐに木剣を構え直した。
「もう一回! 今度こそ先に打つ!」
「言っちゃっていいのか、それ」
「い、いま言ったのは忘れて! ほら、構えて!」
アキスは息を吐き、剣を下ろした。左腕はしびれている。それでも、頬が緩むのを止められなかった。もう一度受けてみたい。盾を持ち上げかけたところで、授業の終わりを知らせる鐘が鳴った。
「鐘が鳴ったぞ。二人とも、続きは次だ。……アキス、その腕でまだ構える気か?」
ルーシャは左腕と脚を元へ戻し、木剣を左腰の帯へ差した。アキスは剣を足元へ置き、盾の革帯へ右手を掛ける。重みで左腕が震え、盾が傾いた。
「あっ、ちょっと! 落とすってば。持ってるから、先に腕を抜いて」
ルーシャが盾の端を支えた。アキスは革帯から腕を抜くと、右手で盾を受け取った。
デンバルは水筒を腰の帯へ戻し、ルーシャと門へ向かう。アキスは置いていた剣を拾い、盾と一緒に返してから、二人を追いかけた。




