第0話「楽園の底」
人間の地図で青く塗られた海にも、国がある。
港を行き交う船の下では、水の中で息をする者たちが暮らしている。深い森では、森人が大樹の間に道を渡し、翼ある者たちは崖に家を構える。東の海の向こうには、獣人たちが尾を揺らして社へ向かう国もあった。
人間は彼らと品物を売り買いし、時には土地を奪い合ってきた。翼も厚い殻もなく、多くの種族に力で劣る。身を守るために城壁を築き、軍を作り、魔法を学んだ。
その祖先を救ったと伝えられるのが、庇護の女神エスタルネだった。エスタルネ教の教えによれば、女神は異種族に家や畑を奪われた人々を、暮らせる土地へ導いたという。女神を慈母と慕う信仰は国を越え、今では世界で最も広く伝わっている。
人間の国も、王都エスカディのもとに幾つもの都市を築いた。夜には灯りがともり、負傷者は魔法で治療を受け、城壁には敵の攻撃を防ぐ術がかかる。
それほどの魔力を、人々は原環から引き出していた。
各地にある、巨大な生きた身体だ。その周囲に施設を造り、都市へ魔力を送る。人間だけでなく異種族の都市もその力を使う一方で、頼らずに暮らしている国もある。
だが、原環は、自らを保つために周囲の土地から魔力を吸い続ける。土地の魔力で身体を保つ種族の間では、食べ物を与えても子供が育たなくなった。
故郷を離れる者もいれば、原環を壊そうと武器を取る者もいた。
都市を守る者にも、魔法による治療を待つ家族がいる。代わりの力もないまま壊されれば、城壁の内側で暮らしていくことさえ難しくなる。どちらの側にも、幾つもの種族が集まっていた。
*
レムバルの街にも、原環の灯りがともっていた。
その灯りの下で、十五歳のアキスが盾の裏に手を回していた。革帯を引き、留め具に緩みがないか確かめる。
軍学校へ通い始めて半年。仲間が次々と術を覚えていくのに、アキスはまだ一度も魔法を使えずにいた。それでも、剣の練習は続けている。
明日こそ、相手に一撃を届かせたい。
アキスは革帯に腕を通し、盾がずれないのを確かめた。盾を外して床へ置き、隣の寝台へ手を伸ばす。十一歳の妹メイハは、肩へ毛布を掛け直しても眠ったままだった。
明日も学校へ行って、夕方には帰ってくる。そう思いながら灯りを落とした。
家々の下、石畳の下、厚い地層を隔てた暗がりで、巨大な肉の束が縮んだ。




