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楽園の獣  作者: 静原律
第一章 命をつなぐ街

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第14話「故郷を失った朝」

 夜の間、アキスは何度もデンバルの顔を見た。


 誰かが身じろぎする音がすると、友人が起きたのではないかと思った。そのたびに顔を覆う布を持ち上げた。火へ薪(まき)を足す人の影が頬(ほお)を横切ると、目が動いたように見えたが、呼びかけても返事はなかった。


 空が白み始めた頃、兵たちが土を掘り始めた。


 丘の東斜面に浅いくぼみがあり、そこを広げて亡くなった人々を葬るという。道を見張る兵を残し、動ける者が交代で鍬(くわ)を振るっていた。街から離れるため、埋葬が済み次第、出発することになっていた。すべての家族が、別々の墓を作ってもらえるわけではなかった。


 アキスは右手で石を拾い、穴の外へ置いた。鍬(くわ)を持たせてほしいとは言えなかった。少ししゃがむだけでも、包帯の下の左脚が痛む。


 ルーシャが隣で土をかき分けていた。獣相(じゅうそう)は使っていない。人の形の指で、掘り出された根に絡んだ小石を取り除いていた。


「……休まないか。ルーシャ、手、止まってる」


 アキスが言うと、ルーシャは土のついた手を見た。


「アキスだって。脚、ずっと押さえてるじゃない」


 言い返せなかった。左脚の包帯から手を離すと、ルーシャも石を置いた。二人でしばらく、掘られていく穴を見ていた。


 デンバルのそばには、母と弟と妹が並べられていた。兵に名前を聞かれた時、アキスはデンバルの名を答え、その先で止まった。仲間の家族だということは分かる。声も顔も知っている。それなのに、今は言葉が出てこなかった。


 メイハが横から答えた。スミナの母も、家族のことを補った。兵は木片へ名前を書き、遺体を包む布へそれぞれ結びつけた。


「離さないでください。この四人、家族なんです。一緒のところに……お願いします」


 アキスが頼むと、兵は並べた布を見て、掘る者へ場所を示した。


 デンバルを運ぶ時、アキスも右側へ手をかけた。服の肩をつかんでから、黒い爪(つめ)が服に触れないように指を曲げ、腕の下へ手を差し入れ直す。ルーシャが左肩を、兵が両脚を支えた。


 昨日は、この身体が一緒に歩いていた。


 土の上へ下ろすと、左腕をつっていた布がずれた。アキスはその布を整えた。治ったらまた使えるはずだった腕を、身体の横へ寝かせる。


 少し離れたところで、女神エスタルネの名を呼ぶ祈りが聞こえていた。アキスも唇(くちびる)を動かしかけたが、何を願えばいいのか分からなかった。助けてほしいと願う時間は、もう昨夜のうちに過ぎていた。


 メイハが兄の服をつかんだ。


「待って。まだ……まだ、お別れ言ってない!」


 兵が土をかける手を止めた。メイハはデンバルの弟と妹のそばへ行き、しゃがんだ。口を開いたまま何も言えず、しばらくして、小さな声で名前だけを呼んだ。


 アキスはそこにいた。妹が立ち上がるまで、急がせなかった。


 埋め終わった場所へ木片が立てられた。土の色が、周りの草の生えた斜面と違っていた。雨が降ればこの土は沈むだろうか。その時、自分たちは戻ってこられるだろうか。アキスは答えのないことばかり考え、ルーシャに呼ばれてようやく顔を上げた。


 アキスは立ち上がった。教官とスミナの父は街の中に残っている。帰りたいと言えば、メイハも同じことを言うだろう。家に置いてきた物は、持ち出した物よりずっと多かった。


 それでも出発の列は、少しずつ作られていた。


 アキスは荷物をまとめる仲間たちから離れ、生き残った守備兵を率いる隊長のところへ向かった。地下で何があったかを、話さなければならない。


 昨夜から考えていた。右手を隠し、炎が入ったところを見ていないと言えば、今すぐ責められることはないかもしれない。スミナを助けようとしただけだ。それも本当だった。


 だが、そのことだけを話せば、自分が触れた肉の変化は伝わらない。


「俺のせいかもしれません」


 隊長がこちらを見るより先に、アキスは言葉を継いだ。


「昨夜のこと……違う、地下で、俺がしたことを聞いてください」


 腕をつった隊長は、避難者を護衛する兵へ出発の指示を出していた。アキスの声に振り向き、変わった右腕を見た。


 隊長は、呼びかけてきた部下を手で待たせた。


「待ちなさい。何の話だ? ……その脚で無理に立たなくていい。そこの木に寄りかかってくれ」


 アキスは木に寄らず、右の袖(そで)を上げた。白い隆起(りゅうき)のある腕へ、周囲の視線が集まる。


「原環(ウルセド)に火が入ったところを、俺が触っていたんです」


「待ってくれ。触ったのが先で、その後に火が入ったのか?」


「触ったのが先です。岩で床が割れて、スミナが落ちて……原環(ウルセド)の肉に、腰まで沈みかけてたんです。引っ張っても抜けなくて。それで、俺が右手を……」


「脚を押さえていた肉へ、手を当てたんだな。何が起きた?」


 アキスは指を曲げた。スミナの足を挟(はさ)んでいた肉を、押し分けようとした形だった。


「足を挟(はさ)んでいた肉が柔らかくなったんです。切ったところも開いて、そこから炎が入って。それまでは、表面が焦げるだけだったのに」


「切ったと言ったな。それも、アキスが?」


「助けようとして――」


 隊長は返事を待った。アキスの喉(のど)が詰まった。スミナの足が挟(はさ)まったままで、あの肉を切らずにいられただろうか。だが、今はそのことを聞かれていない。


「俺が切りました。手を当てたのも、俺です」


 兵の一人が、腕へ目を落とした。アキスは袖(そで)を下ろしかけ、途中で止めた。


「触る前は、普通でした。胸の古い傷が熱くなって、右腕が内側から裂けるみたいに痛んだんです。指が伸びて、白い筋が出てきて……。止めようとしても、止まらなくて」


「そうなる前に、腕がおかしいと思ったことは?」


「ないです! こんな手じゃなかった。俺、普通に……自分の手なのに、何をしたのかも分からないんです」


 隊長は腕へ触れず、聞いたことを書き板に書き留めた。アキスは書き終わるのを待った。


「俺が触らなければ、炎は中まで入らなかったかもしれません」


「その後はどうなった。原環(ウルセド)が動かなくなったのも見たのか?」


「見ていません。北の扉から庭へ出ました。教官が部屋に残って、俺たちを出してから戸口を崩したんです。その後、地下でも大きな音がして……。そこからは、見えていません」


「昨夜ここで人が倒れた時も、何か変わったことはなかったか。地下で見たことと、つながりそうなことは」


「俺が殺したってことですか!? デンバルたちを、俺が……!」


「そう決めたわけじゃない。何が起きたのか、私も知りたいんだ。気づいたことがあれば、話してくれ」


 顔を上げた隊長は、アキスから目を離さなかった。関係がないとは、言ってくれなかった。アキスは右手を見た。昨夜、デンバルの胸へ置いていた手だった。


「地下を出てからのことは、分かりません。でも、触ったことを黙っていたら……何も調べてもらえないと思って」


 近くへ来ていたスミナが、アキスの隣に立った。


「私を助けたんです! 私があそこに落ちなければ、アキスは……」


「君がスミナか。……助けられた時のことを聞かせてほしい。炎が入るところは、見ていたか?」


 彼女は足元へ目を落とした。アキスを助けに来てくれたのだろう。彼は口を開きかけ、スミナの返事を待った。


「足が抜けた時は、床を見ていました。肉に火が入ったのを見たのは、その後です」


「それなら、足が抜けるまででいい。覚えているところから話してくれ」


 スミナは自分の足の包帯を見せた。床が割れて肉の間へ落ち、脚から包まれかけたことを話す。ルーシャが左腕を、アキスが右手をつかんでいた。アキスが肉へ触れた後、脚を曲げられるようになったという。


 ルーシャも呼ばれ、スミナを引き上げようとしていた位置を確かめられた。アキスが急に叫んだこと、その後で肉が崩れ、スミナの足が抜けたことを話した。


 地下から出た兵も呼ばれた。炎に防御魔法を破られた兵は、自分が横へ逃げたこと、その後ろで原環(ウルセド)に火が入ったことを証言した。隊長は、人によって見えていた場所が違うと、順に立っていた位置を確かめた。


 アキスは答え続けた。自分の言葉が書き留められるたびに、次は何を聞かれるのかと身構えた。右腕を隠したくなるたび、袖(そで)の端を握ってこらえた。


「王都で、詳しい者に調べてもらおう。腕のことも、原環(ウルセド)のことも、私の手には余る」


「調べる時、俺も立ち会わせてください」


「立ち会えるかどうかは、私には約束できないんだ」


「俺の手なのに!? 俺だけ、何も知らないままなんですか!」


 隊長は書き板から手を離した。


「落ち着いてくれ。教えないとは言ってない。誰に頼めるかも、今は分からないんだ。……立ち会いたいという話は必ず伝える。それだけは約束する」


「……後でもいいです。終わってからでも。デンバルたちが、なんで死んだのか……俺にも、ちゃんと教えてください」


 その言葉が書き加えられるのを見てから、アキスは袖(そで)を下ろした。隊長は出発前に傷を診てもらうよう告げ、待たせていた部下を呼んだ。


 戻ると、メイハが包みを抱えて待っていた。荷物のほとんどは、スミナの母と歩ける兵が分けて持ってくれることになっていた。アキスが持つのは、自分の剣と小さな布包みだけだった。


「お兄ちゃんの手、診てもらえるの?」


「王都で、診てくれる人を探してもらうんだ。誰かは、まだ決まってないけど」


 メイハは右手を見た。アキスが指を少し曲げると、妹も自分の指を動かした。それから、人差し指で兄の手の甲へ触れた。


「冷たいと思ってた」


 メイハは、もう一度手の甲をなぞった。


「ちゃんと、温かいんだね」


 アキスは指先で妹の手を包みかけ、爪(つめ)を当てないように止めた。メイハの方が、開かれた指をそっと握った。


 ルーシャが右側へ来て、歩き出すために肩を貸した。スミナと母も列へ入る。アキスはメイハの手を離し、妹がすぐ横にいることを確かめてから足を出した。


 丘を下りる手前で、レムバルを振り返った。自分たちの家のある方角は、朝になっても煙に隠れていた。アキスは一度だけ墓の木片へ目を向け、先へ進む列を追った。


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