第12話「帰ってきた四人」
北の庭から細い道へ出ると、崩れた祈り堂の向こうに夕方の空が見えた。庭へ回っていた守備隊が道を押さえ、地下から運び出した寝台を東へ送っている。
アキスは目を細めた。土の粉が涙に混じり、頬を流れる。地下の熱気を含んだ服が身体に張りついていた。風を受けても、教官を呼ぼうとした喉の痛みは消えなかった。
兵が通りの真ん中で手を振っていた。
「壁際を進め! 門まで止まらずに!」
アキスとルーシャは、負傷兵を挟んで歩いた。祈り堂の北側を回り、先に避難した人々が通った大通りへ合流する。巨角人の指揮官と戦った空き地から、東門まで守備隊が残っていた。
後ろの祈り堂からは、敵が追ってこなかった。最後尾の術者は何度も壁と空を振り返り、負傷者の列が門へ入るまで防御魔法を切らなかった。
スミナとデンバルが、アキスたちの後ろを歩いた。誰も地下の話をしなかった。
門を越えたところで、担架を持った兵たちが待っていた。
「右脚をやられてます。胸も、強く打ったみたいです」
アキスが伝えると、兵は胸当てを緩めながら負傷者を寝かせた。肩から重みがなくなった途端、アキスの左膝が崩れた。地面へつく前に、ルーシャが右側から腕を取る。
「あっ、アキス! ……大丈夫、つかまえた。ゆっくり立って。私につかまってていいから」
門の前は、あとから出てくる人たちでふさがりかけていた。アキスは右腕を彼女の肩へ回し、脚を引きずった。変わった手の黒い爪を立てないよう、指を開いて服へ添える。
先に逃げた人々は、東の街道を上った丘で待っているという。道が二度曲がった先に、避難の列と焚かれ始めた火が見えた。門を離れる兵たちもそこで合流し、下の街道へ守りを置いていた。
「メイハ!」
アキスは呼んだ。返事は別の人を呼ぶ声に紛れた。もう一度呼ぼうとして、喉が痛んだ。
前の人だかりが動き、小さな姿が走ってきた。
「お兄ちゃーん!!」
メイハは兄へ両腕を伸ばし、触れる直前に足を止めた。青紫の手を見ている。アキスは肩に回した腕を引こうとしたが、その腕がなければ立っていられなかった。
「その手、どうしたの?」
「地下で……こうなった。俺にも分からない」
説明を待つ妹へ、それ以上の言葉を出せなかった。メイハは長くなった指を見つめ、兄の顔へ目を戻した。
「……ずっと、そのまま?」
「そんなの、嫌だよ。俺だって……誰かに診てもらえば、戻し方があるかもしれないし」
メイハは兄の顔を見たまま、口を結んだ。アキスはルーシャの肩へ添えた指を曲げた。隠せるほどの袖は残っていなかった。
「何回も呼んだんだよ。お兄ちゃんって。なのに、全然来ないから……」
アキスは妹の名を呼びかけ、やめた。メイハは土と血の固まった左の袖へ手を伸ばしたが、そこにも触れられずにいた。
「……こっち。座るところ、取っておいたから。ほかの人にも、そこは駄目って言ってある」
妹は人の間を先に歩き、ときどきこちらがついてきているか確かめた。泣かれるより助かったのかもしれない。そう思いかけて、アキスは、メイハがまだ一度も兄の手へ触れないことに気づいた。
草の上へ座ると、メイハが水を持ってきた。
「これ、お兄ちゃんの分。……持てる? 私が持ってようか?」
「メイハは飲んだか」
「飲んだってば。今はお兄ちゃんが飲むの!」
アキスが器へ右手を伸ばすと、メイハの指がわずかに引けた。妹はすぐ両手で器を支え直し、兄に渡した。温かい水が、乾いた喉をゆっくり通った。
デンバルの姿を見つけた子供が、母親の手を離して走ってきた。妹が先に、弟がその後ろから兄へ抱きつこうとする。
「わっ、待て待て、左は駄目! 右! こっちに来い、痛いんだから……!」
デンバルが身体を回すと、母親が子供たちを抱き止めた。弟は兄の右手を握り、妹は胸の前につられた左腕を見ていた。
「あんた、その腕……。診てもらった? 指は? 痛くない範囲でいいから、動かしてみて」
「祈り堂で診てもらった。動くけど、持ち上げられない」
母親はデンバルを草の上へ座らせ、右手に固まった血と土をぬぐった。彼はされるままになっていた。
スミナの母も、すぐそばにいた。娘を抱き寄せた後、街へ戻る道を見た。スミナが母の服をつかみ直す。
「母さん……ごめん。父さん、連れてこられなかった。あそこに、一人で……」
母親は何も言わず、娘の髪へ顔を寄せた。アキスはそちらを見続けられず、手の中の器へ目を落とした。水面に、器を持つ自分の指が映っていた。青紫の肌に、白い隆起が浮き出ている。
しばらくして、治癒術師が順に傷を診に来た。デンバルの包帯を確かめ、ルーシャの脇腹を押し、スミナの足へ布を巻く。アキスの破れた袖を切った時には、布の裏へ固まっていた血も一緒にはがれた。
「いっ、痛っ……! 待って、ゆっくり、お願い……!」
「ごめん、布が傷に張りついてるんだ。水で緩めよう。少しじっとしていてくれ」
腕と脚の傷は洗われ、出血を抑える魔法の後で巻き直された。左肩の打ち傷に触られると、顔をしかめずにはいられなかった。右腕を見た治癒術師は、しばらく言葉を失った。
「この腕は……いつからなんだ?」
「祈り堂の地下で、原環に触ってからです」
「指を動かしてみてくれ。……ここは? 今、触っているのが分かるか?」
アキスは指を曲げ、手首へ触れられた場所を答えた。熱も痛みも残っている。ただ、どこを治せば元に戻るのかは、診た相手にも分からないようだった。
「……初めて見る。すまない、今ここでは分からない」
「魔法でも、駄目ですか。少しだけでも――」
術師が顔を上げた。門から運ばれてくる人たちへ目を向け、またアキスに向き直る。
「分からないまま触るわけにはいかないんだ。先に、血が止まっていない人を診てくる。腕を覆うなら、布を強く締めないでくれ」
術師は次の負傷者へ向かった。アキスは引き止めなかった。門から着いたばかりの担架の上で、兵が息をするたびに苦しそうな声を上げていた。
アキスは器に残った水を飲んだ。喉を通るたびに、叫んだ時の痛みが戻った。スミナは母親のそばへ座り、ルーシャは祈り堂の煙を見ていた。
丘へ上ってきた兵が、デンバルを見て足を止めた。
「大通りの生徒か。無事だったんだな」
「先に通した人たちは?」
アキスが尋ねた。
「この丘と、先の街道にいる。あの後しばらく道を押さえられた。門まで出したぞ」
兵はメイハたちを見て、短く息をついた。
「バゼルト教官は、一緒ではないのか」
アキスは器を握った。
「……残ったんです。俺たちだけ、出して。戻ろうとしたけど、出口が、もう……」
兵は祈り堂の方を見た。続きを尋ねず、その場を離れていった。
メイハが兄の隣へ座り、肩を寄せた。アキスは器を地面へ置き、妹の肩を抱いた。そのまま長い間、崩れた祈り堂の方を見ていた。




