第9話「最後の避難者」
道の真ん中から、大きな角のある巨角人の指揮官の身体が引きずられていく。それでも、遠くの戦いは終わらなかった。屋根の上で弓の弦が鳴り、西の通りからは、押し返された敵を追う兵の声が続いている。
「東門まで通れる! 荷物は置いて進め!」
動き始めた人の列を、アキスは道端から見ていた。自分たちの前で立ち止まっていた人々だ。母親に抱かれた子供も、肩を貸し合う老人も、倒れた巨角人の指揮官を大回りして東へ進んでいく。
もっと早く倒せていれば、と考えかけ、剣の血を見た。ついさっき、自分がこの刃で首を切った。戦っている間は、刃が届く場所ばかり見ていたのに、巨角人の指揮官の大きな手が石畳をこする音が、今になって耳に残った。
アキスは剣の血を拭って収めた。
避難の列の横を、四人は祈り堂へ戻った。デンバルは傷めた左腕を右手で支えていた。スミナがその左側を歩き、人が腕にぶつからないよう声をかけている。
「デンバル、家の人たちは? 会えたのか?」
アキスに聞かれ、デンバルは東へ顔を向けた。
「門の方へ行った。メイハも、うちの妹と手をつないでたよ。……さっさと追いつきたいな」
アキスは東へ向かう背中を目で追ったが、妹の髪も服も、もう見つからなかった。早く会って、無事に出られたか自分で確かめたかった。
祈り堂では、布を巻かれた負傷者が入口の両側に座っていた。運び出す寝台の順番を、兵と治癒術師が決めている。ルーシャはデンバルを空いた腰掛けに座らせた。
治癒術師が左腕に手を当て、淡い光を集めた。しばらくして光が消えると、デンバルは詰めていた息を吐いた。術師はその腕を厚い布で胸の前につった。
「まだ治りきっていないから、左腕で物を持たないで」
デンバルは右手で腰掛けを押し、立ち上がった。手当てを待つ人に場所を空け、アキスと出口へ向かった。
「ねえ……あいつ、もう起きないよね?」
ルーシャが小声で言った。アキスとデンバルを見比べる。
「変なの。今になって怖くなってきた。あんなのに飛びついたんだ、私……」
言葉が止まった。スミナは二人を追わず、祭壇の脇へ歩いていた。
白い布をかけられた人が並んでいる。その一人の前にスミナがしゃがみ、はみ出していた手を布の下へ戻した。芝居の日には、同じ手でスミナの背景画を運んでいた。スミナにまだ動かさないでと言われ、父親が笑って待っていた姿まで思い出した。
アキスが祭壇へ引き返すと、ルーシャも黙ってついてきた。
「母さんは……?」
スミナは布から顔を上げた。腰掛けの間を見回しても、探している姿がない。
傍らで布を畳んでいた兵が顔を上げた。
「門の外で待っているよ。娘さんは必ず連れていくからって、先に出てもらったんだ」
スミナの指が、布の端をつまんだ。父親の顔が見えるところまで、少しだけ下げる。
「……父さん、あの森、使っていいよ。ちゃんと練習するから。稽古で試すって、言ったでしょう……」
スミナは父親の額にかかった髪を直した。しばらく顔を見てから布をかけ、立ち上がった。ルーシャが差し出した腕につかまり、父親のそばを離れた。
残る負傷者を外へ出すため、アキスは剣帯が邪魔にならないよう直し、兵と一緒に寝台の足側を持った。左肩を上げず、右手へ重さを寄せる。ルーシャは隣の寝台を運び、デンバルは片手で扉を押さえた。スミナが倒れた腰掛けを壁へ寄せ、兵が歩ける人々をその間へ通していく。
先頭の寝台が大通りへ出た時、屋根の向こうに赤い光がせり上がった。
「堂内へ戻れ! 窓から離れろ!」
バゼルトが叫ぶ。アキスは兵と一緒に寝台を下ろした。その人の頭へ覆いかぶさるように身を伏せた直後、道の先で炎が破裂した。
熱風が入口まで吹き抜ける。向かいの建物が傾き、二階の壁から大小の石が落ちた。左前腕に強い衝撃があり、続いてすねを打たれる。アキスは寝台に額をぶつけ、声を出せないまま息を吐いた。
ルーシャが制服の背を引く。立とうとすると左膝が折れ、床へ手をついた。足首は動いたが、すねに体重がかかると痛みで目の前が白くなる。
「アキス、こっち見て! 右足、右足で立って! 私につかまって!!」
堂内へ引き戻され、柱にもたれた。左の袖に血が広がっている。スミナが布を押し当てる間に、デンバルが右手でアキスの剣帯を引き、床へ引っかからないよう直した。
祈り堂の前は、炎と崩れた壁でふさがれていた。先に進んだ人の列は、その向こうに消えている。道を開いた。妹たちは通れた。それなのに、今ここにいる人を、もう同じ道へ出せない。
「地下を通れば、北の庭へ出られます。寝台も、そのまま運べます」
地下の出入口を守っていた兵が、南側の扉から駆けてきた。バゼルトの右腕は服ごと焼け、剣は左手にあった。外の火を防ぐ兵へ指示を出しながら、報告に来た兵へ向き直る。
「負傷者を先に下ろせ。北の庭の兵に、受け入れを頼め。私は最後に下りる」
兵が北側の窓へ走り、庭にいる仲間へ知らせた。頭上の燃えた梁から火の粉が落ちる。正面を守っていた兵も堂内へ下がり、扉の外へ槍を向けていた。
スミナが傷を押さえる布を結んだ。デンバルが右手で肩を支え、アキスは柱に手をついて立ち上がる。左脚も、ゆっくりなら床につけた。
「肩、駄目……! 腰にして。そこなら、歩ける。まだ歩けるから……」
言い終わる前に、デンバルの腕が腰へ回った。アキスは柱から手を離した。支えられたまま歩くのは、寝台を持つよりずっと遅かった。二人の前を、負傷者の寝台が南側の扉へ入っていく。




