ダルマサンガコロンダ
建物から出ると、そこには今までの狂ったデスゲームが嘘だったかのような、穏やかな陽光と爽やかな風が待っていた。
壁の上部が見えている。外壁までの距離はそう遠くない。
次の童謡が流れる前にケリをつけてやる。俺は外壁に向かって駆け出した。
出口の扉まであと数メートル――その時、茂みの奥から荒い呼吸と泥を蹴る足音が聞こえてきた。
とっさに身を隠すと、一人の女性が血相を変えて走ってくるのが見えた。彼女の背後からは、得体の知れない「影」が、まるで水面を滑るような異常な軌道で追いかけてきている。
「……くそっ」
俺は近くの茂みへ彼女を強引に引きずり込んだ。暴れる彼女の口を塞ぎ、二人で息を殺す。すぐ横を、人ではない「何か」の影が通り過ぎていく。心臓が張り裂けそうだった。
だが、その女性は極限の緊張に耐えきれなかったらしい。
「ああっ……!」
俺の手を振り払うと、獣のような形相で出口の扉へと駆け出してしまった。
「待て! まだ出るな!」
俺の制止も虚しく、彼女は扉の開錠ボタンを乱打した。ブザーが鳴り響き、重い扉が開く。彼女は外の光に飛び出していくが、その瞬間、彼女のバッグから鈍い音がして『金塊』がこぼれ落ちた。
「あぁっ!」
彼女は金塊を拾う余裕もなく、狂乱状態のまま外の光へと消えていった。だが、最悪なことに、彼女が開けた扉のブザー音と絶叫は、この森の静寂を切り裂くには十分すぎた。
「……やってくれたな、あのバカ!」
通り過ぎたはずの「影」が、俺の隠れている茂みに向かってゆっくりと旋回する気配がした。
俺はとっさに、地面に落ちた金塊を拾い上げた。ズシッと重い――だが、水を吸って鉛のようになった背中の千円札の束よりは遥かにマシだ。俺は躊躇なく、シャツで縛り上げていた札束をその場に叩き捨て、代わりに金塊をシャツに縛った。
これなら走れる。
「……さらばだ、千円札」
俺は地面を蹴った。背後で「何か」が、コンマ数秒前まで俺がいた場所へ飛び込んでくる嫌な音がした。
森の中は不気味なほどに静まり返っている。童謡は流れていない。だが、頭上のスピーカーからは、微かな「サーッ」というホワイトノイズが絶え間なく聞こえていた。
(音を出してはいけない……そういうことか?)
童謡が流れる時はトラップが発動する合図だが、このノイズだけの時間は、音を立てた獲物を狩るための「沈黙の時間」なのかもしれない。
俺は一歩一歩、足裏の感触を確かめながら移動した。枯れ枝を踏まないように、呼吸すらも最小限に抑える。
金塊の重みが、背中で心地よいバランスで揺れている。これならいける。遠くに、また別の小さな扉が見えてきた。あれだ。
俺は音を殺し、獣のように低い姿勢を保ったまま、出口を目指して闇の中を突き進んだ。自分の心臓の鼓動すらも獲物を呼び寄せる「音」になりそうで、奥歯を噛み締めて自分を律する。
「……絶対に出てやる。有名になって、この金塊で人生逆転してやるんだ……!」
俺は一歩ずつ、死と沈黙の回廊を歩き続けた。
外壁沿いに進み、ようやく見つけた扉のブレスレット認証部に手をかざす。
だが、真っ赤なランプが点滅し、拒絶を示す無機質なブザーが鳴っただけだった。
「クソッ、マジかよ……!」
誰かが既にこの扉を通って脱出したらしい。扉は一度きり、一人しか使えない。俺が来たときには、もう手遅れだった。
焦りで奥歯を強く噛み締めたその時、森の頭上に設置されたスピーカーから、子供たちの笑い声が混じったような、不気味な声が響き渡った。
『だるまさんが……ころんだ』
俺の足が、反射的にピタリと止まる。心臓が跳ね上がる。これは……『だるまさんが転んだ』か。
『だぁるまさんが……こぉろんだっ!』
歌の最後のトーンが低く、重く響く。
その瞬間、俺の背後で何かが「高速で」動く音がした。振り返ることはできない。動けば終わりだ。俺は姿勢を低くし、金塊の入ったバッグを抱きかかえるようにして、まるで彫像のように固まった。
静寂が支配する。数秒が数分のように感じられる。
背後に「誰か」が立っている気配がする。吐息が首筋にかかるような、生温かく冷たい風を感じる。
『だるまさんが……』
また歌い出した。俺は歌っている間だけ、音を立てないように極限まで神経を研ぎ澄まして、次の扉を目指して一歩、また一歩と踏み出す。
一歩進む。二歩進む。
『こぉろんだっ!』
俺は再び凍りつく。
今度は先ほどよりも近く、耳元で「ヒッヒッヒ」という歪んだ笑い声が聞こえた。どうやら、俺が動いている間に、背後のヤツも忍び寄ってきているらしい。
「……死ぬかと思った」
俺は額を伝う汗を拭うこともできず、ただ前を向いて息を殺す。
前方、闇の中に別の扉が見えてきた。まだ誰にも使われていないようだ。
だが、そこまでの距離は約30メートル。
『だるまさんが転んだ』のペースで、この広い森を突破しなければならないのか? 冗談じゃない。しかも、背後の「影」は、歌が終わるたびに着実に俺との距離を詰めてきている。
俺はバッグの中の金塊の重みを確かめ、覚悟を決めた。1億円のために、この死のゲームを勝ち抜くしかない。
『だるまさんが……ころんだ』
歌が流れる。俺は一気に5メートルほど駆け寄る。
『こぉろんだっ!』
ピタリと止まる。今度は先ほどより早く歌が切れた。
背後の気配が、もう服に触れるかという距離まで迫っている。俺は振り返らず、ただ前だけを見て、次の歌が始まるのを待った。このままゴールまで、俺は「転ばない」だるまにならなきゃいけないんだ。
数回の死のストップ&ゴーを繰り返し、ついに俺は扉の前に辿り着いた。
「クソがッ……!」
俺は扉の取っ手を引きちぎらんばかりの勢いで掴んだ。
だが、感触がおかしい。力任せに引っ張ると、扉ごとグラリと傾き、パタンと倒れたのだ。
ベニヤ板と発泡スチロールで作られた、ハリボテの偽物。
「精巧に作りやがって……! 運営、絶対俺のこと笑ってるだろ!」
俺は悔しさに地面を蹴り飛ばした。
先ほどの『だるまさんが転んだ』の恐怖が嘘のように、背後の気配も、不気味な笑い声も消え失せている。
だが、安心感なんて微塵もない。むしろ、次の罠を隠すための静寂かと思うと、胃がキリキリと痛んだ。




