ヤギサンユウビン
脱出口を上がってしばらくするとずぶ濡れで服から水が滴ってる俺とは違い、服は濡れているが、ずぶ濡れほどの人はいなかった。
泣いていたら籠がおりてきてそれに乗って運ばれたらしい。
(幻の三番がいい方向に働くとは、やはり俺だけなんか不幸なんだよな)
実は、上がった場所の目の前に大きな扉があり、すでに中からうっすら曲が流れているのが聞こえる。しかもずっと流れ続けているので、曲が終わって逃れる事ができるなんてないのだろう。絶妙に歌詞が聞こえない。
みんなそこそこの荷物をもっているが、取り合いに発展しないのは命がかかっているからだろう。
「ここに居てもどうにもならない。戻る道もないし、体が冷え切る前に進もう」
「こっそりドアを開けたら曲が聞こえて対策できるとかない?」
「そんなに甘い運営じゃないと思うぞ、やるにしてもすぐに対応できる態勢でやろう」
少し扉を開くと、強制的に全開になり、前室からはチェーンの軋む音とともに壁が迫ってきた。
(やはり強制的に移動させるか!)
部屋に入ると、血しぶきが壁に広がっていた。そして床には黒の縁どりの封筒と白の縁どりの封筒が散らばっていた。
すでに中で童謡に翻弄されている先行組は変な恰好で停止していた。
「ここのルールはなんだ?」
声をかけたが全くの無視を決め込んで、こちらに教える気はないらしい。
流れている童謡は『やぎさんゆうびん』だ。
『白ヤギさんから お手紙ついた、黒ヤギさんたら 読まずに……』
俺は床に落ちていた白枠の手紙を拾い上げ、中に入っていた便箋を開いた。 そこに書かれていたのは、一言。
【その場でしゃがんで、両手で頭を抱えろ】
スピーカーからの歌が続く。
『仕方がないので お手紙かいた……さっきの手紙の、ご用事なあに?』
「ご用事なあに?」 そのフレーズが響いた瞬間、俺は指定された通りにその場でしゃがみ込み、両手で頭を覆った。周囲の参加者たちも、それぞれ自分が引いた手紙の指示通りに、「バンザイをする」「片足で立つ」などの奇妙なポーズをとっている。
……数秒の沈黙。何事も起きない。 だが、ポーズを取るのが遅れたり、指示を間違えたりした者の末路は、壁の血しぶきが語っている。
終わらない無限ループの指示。
『黒ヤギさんから お手紙ついた……』
休む間もなく、次のターンが始まる。次は黒ヤギ、つまり黒枠の手紙を開かなければならない。 俺は這うようにして黒枠の手紙を拾い、便箋を引っ張り出した。
【三歩前進して、全力でジャンプしろ】
「……マジかよ、この重さでか!」 俺の背中には、水を吸った千円札がある。だが、やるしかない。
『……さっきの手紙の、ご用事なあに?』
俺は歯を食いしばり、三歩進んでから鉛のような身体を無理やり宙に浮かせた。着地の衝撃で膝が笑う。
この理不尽な『やぎさんゆうびん』は、永遠にループしていた。 最初は「右手を上げる」程度の簡単なものだったが、ターンを重ねるごとに指令は複雑化し、体力と気力を容赦なく削っていく。
【四つん這いで左に二回転しろ】
【息を十秒間止めて、後ろ向きに歩け】
「ハァッ……ハァッ……ふざけんな……いつまで続くんだよ、これ……」
永遠に終わらない死のサイモン・セズ。 参加者たちはただ生き残るために手紙を開き、ピエロのように踊らされ続けている。誰もが目の前の「指令」をこなすことに必死で、それ以外の思考を奪われていた。
封筒の内側に隠された真実
幾度目かのターン。スピーカーから再び『黒ヤギさんから……』の歌が流れ始めた。 だが、俺は疲労と賞金の重さで足がもつれ、床に散らばった手紙の群れに倒れ込んでしまった。
「くそっ、間に合わない……!」
歌がサビに差し掛かる。あと数秒で『ご用事なあに?』が来てしまう。 俺はパニックになりながら、目の前にあった白枠の手紙を掴み、封を切る余裕もなく、封筒ごとビリビリと乱暴に引き裂いた。
中からこぼれ落ちた便箋を注視する。
【仰向けに寝転がり、両手足を天井に伸ばせ】
『……さっきの手紙の、ご用事なあに?』
俺はギリギリのタイミングで仰向けになり、亀のように両手足を虚空へ突き出した。心臓が早鐘を打ち、全身から脂汗が吹き出す。
「……助かった……」
仰向けのまま荒い息を吐き出していると、顔の上に落ちてきた「引き裂かれた封筒の裏側」が目に入った。
「……ん?」
いつもなら便箋だけを抜き取り、すぐに捨てていた封筒。 だが、乱暴に破いたことで、封筒の内側が展開され、そこに微小な文字が印刷されているのが見えた。
『出口は、大階段の裏にある隠し扉。赤いランプが光ってるボタンを押せ』
「……は?」
俺は目を見開いた。 便箋に書かれているのは、ただ時間と体力を奪うだけの「無意味な指令」。 本当の脱出のヒントは、誰も気にも留めなかった『封筒の内側』に書かれていたのだ。ご丁寧に黒縁の裏側の透けない位置だ。
指示に従って踊り続けている限り、永遠に出口には辿り着けない。このトラップの本質は、疲労で視野を極限まで狭めさせ、「手紙の中身(便箋)」にしか意識を向けさせないことだったんだ。
俺はゆっくりと身体を起こし、周囲を見回した。
「……あれ?」
ホールにいたはずの参加者が、明らかに減っている。 十数人はいたはずなのに、今は俺を含めて四、五人しか残っていない。
どこかのタイミングで俺と同じように封筒の裏のヒントに気づき、この無間地獄からこっそりと「脱出」したのか?
恐怖と疑心暗鬼が渦巻く中、再び無慈悲なイントロが流れ始めた。
『白ヤギさんから お手紙ついた……』
「……上等だ。こんなクソみたいなゲーム、ここで終わらせてやる」
俺は立ち上がり、賞金の重みを背中で確かめると、再び手紙を拾い集める残りの参加者たちを横目に、大階段の方向へと静かに駆け出した。
大階段の裏に行く途中で、リスクヘッジとして白い手紙を拾い、一応対応できるようにしておく。
出口の確認が終わると、いまだに残っているメンバーがお池にはまったメンバーだったので、大声で「黒縁の封筒の中に答えがある!」と叫び脱出した。
「黒縁の封筒の中に答えがある!!」
大階段の裏側、埃を被った暗がりにひっそりと設置されていた赤いボタン。それを力強く押し込むと、壁の一部が音もなくスライドし、大人一人がようやく通れるほどの隠し通路が現れた。
俺はそこへ身体をねじ込みながら、ホールに残された数人の参加者たちに向けて、ありったけの声で叫んだ。
『白ヤギさんから お手紙ついた……』
狂ったような童謡の無限ループの中、俺の叫び声にハッとして顔を上げる参加者たちの姿が見えた。彼らが慌てて足元の黒縁の封筒を乱暴に引き裂き、その「裏側」を覗き込もうとした瞬間――無情にも、隠し扉は重い駆動音と共に完全に閉ざされた。
ガァァァンッ……!
分厚い壁が閉ざされると同時に、鼓膜を劈くようだったあの『やぎさんゆうびん』の陽気なメロディも、参加者たちの荒い息遣いも、すべてが完全に遮断された。
「……ハァッ……ハァッ……」
そこには、耳鳴りがするほどの完全な静寂があった。
俺はコンクリートの壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。全身が鉛のように重い。水槽に落とされた時の水が服にべったりと張り付き、背中のバッグに詰め込んだ札束は水を吸って元の何倍もの重量になっている。体力も気力も、文字通り限界ギリギリだった。
(あの連中……無事に気づいて抜け出せればいいが)
童謡の理不尽なルールに踊らされ、便箋の「偽の指示」にだけ意識を向けさせる悪辣な罠。先行組が変な格好のまま壁の血しぶきに変わっていたのは、指示をこなすことしか頭になくなり、最終的に不可能なポーズを要求されたか、体力が尽きて動けなくなったからに違いない。
俺もあのまま便箋の指示に気を取られていれば、間違いなくあの部屋で死んでいた。
「……休んでる暇はねぇな。進むしか道はない」




