藍緑
――ぴちょん……ぴちょん……。
異様に大きく、水滴が垂れる音が響いた。 静かに発生源の木立の奥を覗き込むと、そこには「藍色の女」が立っていた。 ボートの上で俺の足を求め、神堂の荷物と共に沈んでいったはずのあの女だ。だが、存在しなかったはずの「下半身」が、そこにはあった。
スカートの下から伸びる、不気味な紫色に変色した両足。
(……こいつも2色持ちか。今度はどんなルールだ?)
ここは湖じゃない。水底へ引きずり込むための「重り」に執着する理由は薄いはずだ。 あの紫の足はどれくらいの速さで走るのか? どうやって標的を決めるのか? それが分からなければ、迂闊に動くことはできない。
俺が息を殺して完全に硬直していると、突如、頭上の枝からボトッ!と何かが目の前に落ちてきた。 思わず悲鳴を上げそうになったが、それは大きめの「アオダイショウ(蛇)」だった。蛇は俺に構うことなく、スルスルと地面を這って森の奥へ逃げていく。
その瞬間だった。 藍色の女の『紫の足』が、ズルリと動き出した。
肉体を得たばかりだからか、足取りはひどくおぼつかない。だが、一切の足音を立てず、蛇が逃げていった方向へ向かって、一定の歩幅で確実に追いかけていったのだ。 目の前に俺が突っ立っていたというのに、完全に無視して。
(……動くものを、静かに追いかける?)
いや、動くものでも「地面に対する重さの移動」だ。
地面を踏みしめる荷重の推移を感知して、そこへ音もなく歩み寄ってくるんだ。だから、じっと止まっていれば見つからない。しかし、一度狙われて、永遠にあの足で追われ続けたら、疲労で確実にこちらが死ぬ。
紫の足から逃れる方法を考えながら、俺は物陰でじっと身を潜め続けた。
藍色の女が見えなくなったころ。
カサッ、カサッ……。
霧の向こうから、『緑の雨合羽』を着た女の子が、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。 参加者のわけがない。あんな子供がこんなデスゲームにいるはずがないのだ。
(まずい、逃げろ……!)
俺は極力足音(重さの移動)を立てないよう、早歩き程度のスピードでその場を離脱しようとした。だが、おかしい。子供の短い歩幅のはずなのに、どれだけ早歩きをしても距離が縮まってくる。 ついに背後まで追いつかれ、俺が振り返った時。
雨合羽のフードの奥から、「顔の真ん中に巨大な目玉が一つだけある」異形の顔が、俺を真っ直ぐに見上げていた。
どんな即死ルールが発動するのかと恐れ慄いた、次の瞬間。
「ウワァァァァァァァァァァァァン!!!」
一つ目の女の子は、この森の静寂を木っ端微塵に破壊するほどの、凄まじい大声で泣き出したのだ。
「……ッ!! 最悪だ!!」
背筋が凍りついた。 直接的な殺傷能力じゃない。こいつは『全怪異を呼び寄せるアラーム(警報機)』だ! この泣き声を聞きつけて、音に反応する「赤い女」や音の振動で
「青い火の玉」が、一斉にここへ殺到してくるのは火を見るより明らかだった。
全力で逃げなければならない。だが、この一つ目の視界に入っている限り、どんなスピードで走ってもピタリと背後に張り付いて泣き喚き続けるルールなのだろう。
(あの巨大な一つ目……。視界に入っているものを追いかけるなら、射線を切るしかない!)
俺は森の木々の隙間から、黒々とそびえ立つ「中央塔」の姿を捉えた。一番近い建物はあそこしかない。
「クソったれが!!」
俺は地面に対する重さの移動(紫の足)への警戒も、音(赤い女)への警戒も全てかなぐり捨て、泣き叫ぶ緑の雨合羽を引きずりながら、中央塔の入り口へ向かって全速力で駆け出した。
ガァァァンッ!!
重厚な塔の扉を力任せに内側から閉め、巨大なカンヌキを落とした瞬間――鼓膜を突き破るようだった一つ目の女の子の泣き声が、ピタリと止んだ。
「ハァッ……ハァッ……!」
「な、泣き止んだ……視線を切ったからか……?」
床にへたり込みながら喘ぐ。 扉の向こうからは、トスッ、トスッ……と、小さな拳で鉄扉を叩くような微かな音が聞こえるだけだ。どうやらあの緑の雨合羽は、絶望的な大音量のアラーム機能を持つ代わりに、物理的に扉を破壊して侵入してくるほどの腕力は持ち合わせていないらしい。
だが、安堵している暇は一秒もなかった。
(……うかうかしてられないぞ。あんな大音量で泣き喚かれたんだ。音に過敏な『赤い女』や、衝撃に群がる『青い火の玉』が、間違いなくここに殺到してくる!)
外に出れば確実に取り囲まれて死ぬ。だが、ここに留まっていても、腕力のある他の怪異が到着すれば、この扉ごと破壊されるのは時間の問題だ。




