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スペクトル・ハザード 〜金のために参加したサバイバルゲーム、運営はオニでした〜  作者: おのののののの
ゲームのはじまり

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不運の連続、そして再会の塔

すいません。編集のミスがありました。神堂との再会シーンが全て抜けていました。

修正いたしましたのでよろしくお願いいたします。

 すぐさま扉のノブを下ろし中に踏み込む。中は鬱蒼とした森で、前日に雨でも降ったのか足元がかなり悪い。


(まずは合流して(タワー)を目指す)


 前に道は続いているが、右側は木々によって際切られている。合流するために背丈ほどの草やとびだしている枝を分け入って道なき道を進む。

 25分ほど歩くと目の前に壁が現れる。


「ガラスの壁だと!?合流させない気か?」


 ガラス壁の向こう側から、見慣れたシルエットが歩いてくる。神堂だ。


「この壁がどれくらい続いているかわからないが、とりあえず、このままガラス壁沿いに進むぞ!」


「・・・」


 神堂は口をパクパクさせている。


(合流させない上に音まで遮断とか、サバイバルさせすぎだと思うのだが、運営側は世界有数の富豪とか言いながら、賞金を出さないためにゴールさせる気はないかもな。)


 声が通じないので身振り手振りで壁沿いに歩くことを伝える。すると神堂はサムズアップで応えてくれた。

 20分くらい歩いただろうか、前に建物がみえてきた。

 木が邪魔で階数がハッキリしないが、4階建てくらいの建物だ。この建物がガラス壁と垂直に交わっている。このまま、ガラス壁沿いに歩いて合流する事も出来なくなった。

向こう側から神堂が、バックから出した紙にマジックで書いた物を掲げてきた。


【このまま合流は無理だ。まだ時間に余裕がある。一度バラバラに動きこの建物の中に入って中で合流しよう】


 この提案にサムズアップで応える。

 建物沿いに移動をすると、森を抜け道に出る。道に沿って建物があるようで、入れそうな窓を見つけた。

 窓枠に手をかけ、大きく重いバックパックをつっかえさせながらも、慎重に建物の中へと滑り込む。中はひんやりと薄暗く、カビとホコリの入り混じった古びた匂いが鼻をついた。

 どうやらここは、古い宿泊施設を模したエリアのようだ。廊下に出ると、等間隔に並んだドアと、外から入ってくる薄暗い光が不気味な雰囲気を醸し出している。


(まずは神堂が侵入する可能性が高い、反対側を目指さないと……)


 頼れるのは長年一緒に心霊スポットを巡ってきた相棒としての勘だけだ。

いつもの撮影なら「うわっ、蜘蛛の巣に引っかかった!」程度の軽い不幸で済むが、賞金1億円がかかったこの異常な空間では、何が命取りになるかわからない。

 軋むリノリウムの床を慎重に歩き出したその時だった。静まり返った廊下の奥から、「コツ……コツ……」と、硬質な靴底で床を叩くようなヒールの足音が微かに響いてきた。

 考えられる可能性は、運営が用意したホラートラップ(ビビらせるための音だけ)、別の扉から入ってきた他の参加者チーム、ガラス壁の向こうから回り込んできた神堂(ただ靴の音が違う気がする)

 足音はゆっくりと、だが確実にこちらへ向かってきている。俺はとっさに近くの〝配膳室〟と書かれた部屋の陰に身を隠し、息を潜めた——。

 配膳室の中に入ってきたヒールの主は、しばらくうろついた後、配膳室を出ていった。

 隠れ場所がなく、配膳室の奥にあった床下点検口から床下に逃げたが、背負ったリュックが大きすぎて床下点検口に引っかかり、仕方なく置き去りにして床下を移動していた。丁度点検口から死角になる柱の影に隠れると、上から響いてくる足音に息を潜め耐えた。

 ヒールの主が出ていった後、床下から這い出そうとすると、床下点検口はきっちりふさがれて、出ることが出来ない。


「……嘘だろ、マジかよ」


 声に出せば誰かに聞かれるかもしれないと分かっていながら、俺は思わず小さく毒づいた。渾身の力を込めて両手で床板を押し上げても、まるで上に重い鉄塊でも置かれたかのように微動だにしない。おそらく、入り口に引っかかった自分のあの重いリュックが、そのまま重しになっているか、あるいは先ほどのヒールの主が意図的に塞いでいったかだ。


 (うわ~。頼みの綱だったサバイバルキットも、すべてあの頭上のリュックの中だ。)


 賞金1億円を狙うフル装備の探索者から、一瞬にして丸腰の遭難者へと転落してしまった。俺の動画でよくある「絶妙に間が悪い不運」が、この巨大なゲームの中で最悪の形で発動してしまったのだ。


「ぼやいてても始まらない。とにかくここから出るしかない……」


 俺はペンライトのスイッチを入れ、細い光の束で周囲を照らした。

 床下はひんやりと冷たく、カビとやや湿った土、そして古びた鉄の匂いが充満している。這って進むのがやっとの高さしかない空間には、太い給水管や細い配線コードが血管のように張り巡らされており、視界を著しく遮っていた。

 床板が開かない以上、別の出口を探すしかない。配膳室の床下なのだから、どこか別の床下点検口、あるいは外への排水溝や点検口に繋がっている可能性があるはずだ。

 ゴツッ。


「痛ッ……!」


 焦って進もうとした途端、暗がりから突き出していたバルブに頭をぶつけた。痛む頭をさすりながら、ペンライトの光を頼りに、配管の隙間を縫うようにして這い進み始めた。

 蜘蛛の巣が顔に張り付き、埃で咽せそうになるのを必死に堪える。方向感覚すら怪しくなってくる中、土にまみれながらどれくらい這い進んだだろうか。

 ふと、前方の暗闇の中に、微かに違う種類の冷たい空気が流れ込んでくるのを感じた。

 ペンライトを向けると、太いコンクリートの基礎壁の奥に、金属製の格子のようなものが見える。通気口だ。ただの脱出口か、それとも運営が仕掛けたトラップへの誘導か。ペンライトを固く握りしめると、冷たい空気の流れてくるその格子へとじりじりと距離を詰めていった。

 目の前の金属製の格子を観察した。 基礎コンクリートの開口部にはめ込まれた、古びた換気用のガラリだ。ペンライトの光で縁を照らすと、四隅がビスで留められているのが分かった。


「なんで()()()()()()()()()があるんだ?」


外壁でもないこんな床下側からビスを留めるなんて不自然だ。床下配管の点検や調査などをするときは普通、建物側から侵入するだろう。わざわざ床下側からビスが外れるようになっていると、いよいよ床下に逃げ込んだ人間をはめる罠のような気がしてきた。

 俺はポケットから万能ナイフを取り出し、プラスドライバーのツールを引き出す。動画の撮影中、廃墟で機材トラブルが起きた時なんかに備えて持ち歩いていたのが、まさかこんな所で役に立つとは。

 狭い空間で手元を照らしながら、慎重にビスの溝にドライバーを押し当てて力を込める。ギリッ、と嫌な音を立てて、なんとか一本目が緩んだ。

 作業をしながら、ふと周囲の配管に目がいく。 結露で黒ずんだ塩ビの排水管、劣化した保温材が巻かれた給水管。そして、それらを縫うように這っている波打つ合成樹脂の管——PF管だ。電気配線が通っている。


(PF管の束がこの先に向かって伸びてるってことは、この向こう側には分電盤か、何らかの動力設備がある空間に繋がっているはずだ……)


 これまで底辺YouTuberとして、数々の曰く付きの廃墟に潜り込んできた経験則だ。建物の裏側の構造には妙に詳しくなってしまった。配管の走り方を見れば、この先がただの行き止まりではないと予想がつく。

 四本のビスを外し終え、格子をそっと手前に引いた。重い金属音が響かないよう、慎重に土の上に置く。 ぽっかりと空いた四角い穴からは、床下特有の湿った土の匂いとは違う、少し乾燥したカビ臭い空気が流れ込んでくる。


「行くしかない、か」


 俺は大きく息を吸い込み、ほふく前進の要領で狭い開口部に頭から突っ込んだ。 肩がギリギリ擦れる穴を抜け、向こう側へ体を押し出す。

 ドスッ、と低い音を立てて、硬い床に手をついた。


「いってぇ〜」


少し高くなっていたらしく、床に身体を打ちつけた。どうやら土ではなく、コンクリートのたたきになっているようだ。

 身をよじって立ち上がり、服についた蜘蛛の巣と泥を払いながらペンライトで周囲を照らす。

コンクリート打ちっ放しの細長い通路だった。壁沿いには太い配管やケーブルラックが規則正しく走り、奥へと続いている。どうやら地下の配管ピットか、設備用の連絡通路に出たらしい。


「……神堂の奴、無事だといいけどな」


 あいつなら、俺とはぐれたと分かっても冷静に対処するはずだ。荷物はお互いに別々の役割を持たせて分散させてある。最悪、あいつだけでもゴールに向かってくれれば……。 いや、1億の賞金を諦める気は毛頭ない。ここまできてタダ働きで終わるなんて、いつもの「軽い不幸」どころの騒ぎじゃない。

 俺は万能ナイフをしっかりとポケットの奥にしまい直すと、ペンライトの明かりを頼りに、地下通路の奥へと歩き出した。


 (俺と神堂が二人ともあの中心の塔に辿り着けば、それぞれ1億、合わせて2億の資金が手に入る。いつもなら「ちょっと機材が壊れた」程度の不運で済むが、今回ばかりは全ロスの危機だ。だが、ここで生き残ってゴールさえすれば、底辺YouTuberから一発逆転するには十分すぎる額が手に入る。こんな埃っぽい地下でリタイアして、あいつだけでゴールさせるわけにはいかない。)


 ふと天井を照らすと、ケーブルラックの上に規則正しく配線が並んでいた。灰色のVVFケーブルの束に混じって、耐熱電線が這っている。さらにその奥、コンクリートの天井に沿って細い銅の管が張られていた。……差動式分布型感知器の空気管だ。


「……ただのゲームのセットにしちゃ、消防設備周りまでやけに規格通りでリアルだな」


 そんな思考を巡らせながら歩き続けていると、目の前にコンクリートの縦穴と、壁に打ち付けられたかなり長いタラップがあった。


「上に行けってことか……」


 ペンライトで上を照らすが、暗闇に吸い込まれていて終点が見えない。俺はペンライトを口にくわえ、冷たく錆びた鉄の棒を両手でしっかりと握りしめ、ゆっくりと登り始めた。

 どれくらい登っただろうか。腕の筋肉が悲鳴を上げ始めた頃、ようやく上部の踊り場のような小さなスペースに辿り着いた。少なくとも2階の高さまで上がってきているはずだ。

 踊り場の正面には錆びついた重厚な鉄扉があり、色褪せたプラスチックのプレートで『エネルギー管理室』と掲げられている。

 半開きになった鉄扉の隙間から、機械油と……何かが腐ったような嫌な匂いが漂ってきた。ギィィィ……ッと軋む音を立てて扉を押し開け、中へ滑り込む。

 部屋の隅で干からびている大きなネズミの死骸に顔をしかめつつ、キュービクルが並ぶ薄暗い室内を進むと、壁の一面が横に広いガラス張りの監視窓になっているのを見つけた。

 ガラスの汚れを袖口で拭き取ると、向こう側の景色が見えた。 やはり、ここは2階相当の高さらしく、眼下には1階から吹き抜けになっている巨大なボイラー室のような空間が広がっている。そして、その向こう側の2階通路を、見慣れたシルエットが歩いていた。

 間違いない、神堂だ。

 あいつは強力なLEDランタンを片手に持ち、周囲を警戒している。俺が監視窓のガラスを手のひらで強く叩くと、神堂がビクッと肩を揺らしてこちらに光を向けた。

 眩しさに目を細める俺を確認し、神堂は安堵した表情を浮かべた。 俺はすぐさま「そっちに行くドアはないか」と身振り手振りで伝える。

 だが、数分間の探索の末、俺たちは絶望的な事実に気づかされることになった。

 俺と神堂の間にある巨大な吹き抜け空間のど真ん中には、森の中で俺たちの行く手を阻んだあの分厚い「ガラスの壁」が、建物を真っ二つに分断するように天井までそびえ立っていたのだ。外の森から建物の中まで、完全にガラス壁が貫通している。

 これでは絶対に合流できない。

 神堂がバックパックからスケッチブックを取り出し、マジックで書き殴って掲げた。


『壁のせいで合流不可能。建物は左右で完全に隔離されている。俺のルートは上に続く階段があった。お前は?』


 俺は周囲を見回した。キュービクルが並ぶこの部屋の奥に、上へと続く鉄製の螺旋階段が見える。天井のハッチのような造りからして、おそらく3階へと直結しているはずだ。

 サムズアップして上を指差すと、神堂も頷いた。再びスケッチブックがめくられる。


『並走して上を目指す。上階からなら(タワー)へのルートが見えるかも!気をつけて!』


「……お前もな」


 ガラス越しで声は届かないが、俺は口の動きだけでそう返し、短く手を挙げた。神堂も力強く頷き、ランタンの光を揺らしながら自分の側の階段へと消えていった。

 俺も腹をくくるしかない。 相棒の無事は確認できたが、俺の装備が貧弱なままなのは変わらない。頼みの綱は、ポケットの中の万能ナイフと、ペンライトのみだ。


「さて、軽い不幸で済めばいいんだがな……」


 自嘲気味に呟きながら、俺は部屋の奥にある螺旋階段へ足をかけ、未知の3階へと歩みを進めた。

 カン、カン、と鉄の階段を上る自分の足音が異様に響き渡る。

 その時、足元のエネルギー管理室から扉の音が響く。

 キィィィィィィ…………バタン!……コツ……コツ……コツ……コツ

 明らかに、ネズミの立てる音ではない。下から何かが、俺と同じルートを辿ってきている。 俺は背筋に冷たいものを感じながら、振り返らずに螺旋階段を駆け上がり、3階の扉へと飛び込んだ。

 3階の廊下は、カビ臭い絨毯が敷かれた古い宿泊棟のような造りになっていた。左右に客室らしきドアが並んでいるが、鍵が開いている保証はない。

 背後の螺旋階段からは、コツ、コツという無機質で高い音が一段、また一段と確実に近づいてきている。

 俺は焦る気持ちを抑え、ペンライトの明かりを消した。暗順応しきっていない目で周囲を見渡し、すぐ近くにあった『リネン室』と書かれたドアのノブをそっと回す。運良く鍵は開いていた。

 中に滑り込み、音を立てないようにゆっくりとドアを閉める。山積みにされた埃っぽいシーツの影に身を潜め、両手で自分の口と鼻を塞いで息を殺した。

 直後、3階のフロアに「それ」が上がってきた気配がした。

 ……コツ……コツ……コツ……コツ

 足音はゆっくりと、まるで獲物をいたぶるかのように廊下を徘徊し始めた。


(頼む、開けないでくれ……!)


 ガンッ!!

 突然、すぐ隣の客室のドアが凄まじい力で叩き殴られた。ビクッと肩が跳ねるが、必死に声を殺す。 「それ」は一部屋ずつ、威嚇するようにドアを乱暴に叩きながら進んでいく。もし見つかれば、あの角材を持っていたヤンキー以上の惨劇になるのは間違いない。

 やがて、リネン室のドアの前で足音がピタリと止まった。

 ドアの隙間から、ぼんやりと黒い影が立ち塞がっているのが見える。心臓が早鐘のように打ち、嫌な汗が全身から噴き出した。数秒が数時間にも感じられる。

 だが、「それ」はリネン室のドアを叩くことはなく、再び廊下の奥へと遠ざかっていった。

 足音が完全に聞こえなくなるまで、俺は微動だにできなかった。 肺が痛くなるほど我慢していた息を細く吐き出し、へなへなとその場に座り込む。


「……脅かして楽しんでるのかよ、悪趣味な運営だぜ」


 震える足に鞭を打ち、リネン室からそっと抜け出す。奴が向かったのとは反対側の廊下の端に、上の階へと続くメインの階段を見つけた。

 音を立てないように、つま先から慎重に体重を乗せて階段を登る。

 4階に辿り着くと、そこは他の階とは少し毛色が違っていた。 どうやらラウンジの跡地らしく、広い空間の先に、夜風が吹き込む大きな開口部がある。ガラス戸はすでに割れ落ちており、外のバルコニーへと繋がっていた。

 バルコニーに出ると、ひんやりとした森の夜風が火照った顔を撫でた。 手すりから下を見下ろすと、かなりの高さがある。そして横を見れば、俺と神堂を分断しているあの忌まわしい「ガラスの壁」が、建物の中央を真っ二つに切り裂いたまま、屋外の森の奥へと伸びているのがはっきりと見えた。


「上から越えられないかと思ったが、甘かったな」


 ガラス壁は建物の屋上よりもさらに高くそびえ立っており、よじ登ることは不可能だ。

 俺はバルコニーの端を探索した。すると、壁面に備え付けられた赤い金属製の箱を発見する。表面には『避難用降下ハシゴ』の文字。

 留め具を外し、錆びついたレバーを力一杯押し込む。 ガコンッ!という想定外の大きな金属音と共に、ガラガラガラッと凄まじい音を立てて非常ハシゴが下へと伸びていった。


「うわっ、マジかよ!」


 静まり返った夜の森に、ハシゴの落下音が盛大に響き渡る。建物の下層にいるであろうヒールの主にも確実に聞こえたはずだ。


「ちくしょう、これだから俺の運は……!」


 泣き言を言いながらも、俺は躊躇なくハシゴに飛び乗った。下から奴が登ってくる前に、あるいは別の何かが集まってくる前に、一気に地上へと滑り降りるしかない。ペンライトを口にくわえ直し、俺は無我夢中で暗闇の底へと続く冷たいハシゴを降り始めた。

 無我夢中で非常ハシゴを滑り降り、なんとか地面に足をついた。 盛大に鳴らしてしまったハシゴの落下音にビクビクしながら周囲を警戒したが、あの不気味な気配が追ってくる様子はない。

 どうやら上階での探索を続けているか、俺に興味を失ったかのどちらかだろう。


「……とりあえず、生き延びたか」


 乱れた息を整え、泥だらけの服をパンパンと払う。 ふと横を見ると、俺と神堂を分断していたあの巨大なガラスの壁が、森の木々を縫うようにして不自然なカーブを描き、途切れることで別のルートと合流していることに気がついた。

 つまり、神堂とは合流できないままだったが、「神堂とは反対側の扉」から入ってきたルートとここで一本道に交わったということだ。


「誰か来るか……?」


 ペンライトの明かりを消し、念のため暗がりで身を潜めていると、合流したルートの方から、カサカサと落ち葉を踏む足音と、安定した明るいLEDの光が近づいてきた。

 警戒しながら目を凝らすと、そこにいたのは屈強な男でも、不気味なクリーチャーでもなく、場違いなくらい小綺麗な格好をした一人の女性だった。


「あれ、誰かいます?」


 光が俺を捉え、女性が少し驚いたような声を上げる。俺はその顔を見て、思わず目を丸くした。


「あんた……神奈木(かんなぎ)さんか?」


 間違いない。チャンネル登録者数数百万人を誇る、超有名女性YouTuberの神奈木だ。普段は美容系やエンタメ企画を中心にやっているはずだが、まさかこんなガチのサバイバルホラーゲームに参加しているとは。


「あ、はい! そうです。えっと……参加者の方ですよね?」

「ああ、忌部って底辺YouTuberだ。そっちもこのルートを通ってきたのか?」


 話を聞くと、彼女は今回なんと6人のクリエイター仲間で参加し、ルールに従って3人ずつの2チームに分かれて別々の扉からスタートしたのだという。今はまだ合流できていないのか、彼女一人のようだった。


「俺は機材ごと床下に落とされるわ、ヤバい奴に追い回されるわで散々だったんだが……そっちはどうだった?」


 俺がそう尋ねると、神奈木はきょとんとした顔をした。


「えっ? 追い回される? 私は誰にも追われてないですよ。途中にいくつかアスレチックみたいな障害物があって、それを乗り越えるのに時間がかかったくらいで……」


「……マジかよ」


 やはり俺特有の「絶妙な不運」が遺憾無く発揮されているらしい。運営のトラップというより、単に俺がハズレクジを引き続けているだけなのではという疑念が確信に変わりつつあった。


「あの……お怪我はないですか? その、すごく……汚れてますけど……」


 神奈木が俺の全身を見て、明らかなドン引きの表情で半歩後ずさった。

  無理もない。蜘蛛の巣まみれで、床下の泥を這いずり回り、機械油とネズミの死骸の匂いを漂わせた薄汚い男が、万能ナイフを握りしめているのだ。不審者以外の何者でもない。


「あ、いや、これは床下に落ちた時に……って、まあいいや。とりあえず、この先は一本道みたいだし、一緒に行くか?」

「そ、そうですね。一人よりは心強いですし……」


 若干の距離を保たれながらも、俺たちは合流して暗い森の道を歩き始めた。彼女の持っている強力なランタンのおかげで、俺のしょぼいペンライトに頼らずに済むのは本当に助かった。

 それから10分ほど歩いただろうか。 鬱蒼としていた木々が急に開け、開けた敷地に出た。


「……嘘だろ」

「これ、全部セットなんですか……?」


 俺と神奈木は同時に足を止め、目の前にそびえ立つ異様な建造物を見上げた。

 森を抜けた先にあったのは、不気味なほど静まり返った巨大な廃病院だった。 コンクリートの壁は黒ずみ、窓ガラスの大半は割れ、ツタが這い回っている。入り口のロータリーには、ひしゃげた救急車の残骸までが放置されていた。


「先に行きたきゃ、ここを通れってことか……」


 (タワー)へ向かう道は、完全にこの廃病院の中へと飲み込まれている。迂回できそうな道は、左右の高い塀に阻まれて存在しない。

 泥だらけの俺と、綺麗な身なりの有名YouTuber。 なんともアンバランスな即席コンビは、重苦しい空気が漂う廃病院の正面玄関へと足を踏み入れた。

 病院の中は、耳鳴りがするほど不気味なまでに静まり返っていた。

 とりあえず真っ直ぐ建物を通り抜けようと奥へ進むと、別棟へと繋がっているらしい渡り廊下の入り口にぶち当たった。だが、ドアの枠からガラスはすっかり抜け落ちており、代わりに分厚い木の板が何枚も交差するように、これでもかと頑丈に打ち付けられていた。


「クソッ……バールさえあれば」


 釘抜き付きのバールは、あの配膳室の床下に置き去りにしてきたリュックの中だ。一瞬、取りに戻るという選択肢が頭をよぎったが、あの不気味なヤツがうろついているであろう建物へ丸腰で戻る気など毛頭なれない。

 試しに思いっきり板を蹴飛ばしてみたが、足の裏と膝に鈍い痛みが走っただけで、板はミシミシと鳴ることすらなかった。腹立ち紛れに、近くに転がっていた錆びたスチール製の傘立てを拾い上げ、力任せに投げつけてみる。

 ガシャァァン!!

 けたたましい金属音が廃病院中に響き渡ったが、やはり板はびくともしない。これ以上無駄に音を立てて、また得体の知れない奴を引き寄せるのは御免だ。俺は舌打ちをして、別ルートを探すことにした。

 来た廊下を引き返し、エントランス付近のホールまで戻る。そこから廊下は左右に長く伸びており、遠くの暗がりを見る限り、どちらの突き当たりにも階段があるようだった。


「こういう場所は、一緒に行動した方が安全だと思うんだが……」

「でも、時間がもったいないですし。手分けしてルートを探しましょう」


 俺の提案を、神奈木さんは食い気味に遮った。 言葉こそ丁寧で笑顔を作ってはいるが、彼女の顔は「泥と蜘蛛の巣まみれの薄汚い男(俺)とこれ以上一緒に歩きたくない」と雄弁に語っていた。

 それに彼女は、俺と違ってまだこのゲームの『本物の悪意』に触れていない。ただの少し過酷なアスレチック番組の延長程度にしか思っていないのだろう。底辺YouTuberの俺が、トップ層の彼女にこれ以上強く出られるわけもなく、結局彼女の圧に気圧される形で左右に別れることになった。


「分かった。何かヤバいと思ったら、迷わず大声を出してくれよ」

「はい、忌部さんも気をつけて」


 言うが早いか、足早に左の廊下へ消えていく彼女のランタンの明かりを見送った後、俺は右の廊下を突き当たりまで進んだ。

 たどり着いた先には、予想通り階段とエレベーターホールがあった。 壁に埋め込まれたエレベーターの表示ランプは完全に沈黙しており、ボタンを押しても当然うんともすんとも言わない。箱がどこに止まっているのかすら分からない状態だ。

 残された道は、階段だ。 踊り場から上(2階)に行くか、下(地下)に行くか。

 階段の手すりから下を覗き込むと、地下へと続く空間は墨汁を流し込んだように真っ暗で、先ほどの地下ピットと同じような、冷たく湿ったカビと埃の匂いが這い上がってきている。

 あの狭い床下での這いずりと、ネズミの死骸の強烈なコンボがフラッシュバックする。あんな不快な思いは二度とごめんだ。

 俺は躊躇うことなく、2階へと続く階段に足をかけた。 カン、カン、と埃っぽいコンクリートの階段を上る。剥がれかけた壁紙と、錆びついた手すりが、この建物が放置されてきた長さを物語っていた。

 踊り場を越えて2階のフロアへと上がると、そこは1階の静けさとはまた違う、ひときわ重く淀んだ空気が漂っていた。 壁には色褪せた「入院病棟」の案内板。そして廊下の奥には、ずらりと並ぶ病室のドアが、俺の細いペンライトの光の先に、いくつもの不気味な黒い影を落としていた。

 廃病院の病室に役立つ道具や先に進む道があるとは思えなかったので、ナースステーションに寄る。引き出しを片っ端から開けていく。埃の層が厚い中で、ポツンと転がっていたマジックペンを拾い上げた。これがあれば、暗闇で迷った時に通った道に目印をつけられる。YouTuberとしての勘か、反射的にショルダーバッグにねじ込んだ。

 さらに奥の戸棚からは、未開封のタオルや脱脂綿、消毒液が出てきた。使用期限はとっくに過ぎているだろうが、この状況で清潔な布と殺菌剤は金より価値がある。

 俺は即座にタオルに少量の消毒液を染み込ませ、顔と手を拭いた。泥と機械油でベトベトだった皮膚が、ヒリヒリとした刺激と共にさっぱりする。汚れた自分に引いていた神奈木さんも、これで少しはマシになるはずだ。残りのタオルと脱脂綿は、万が一の怪我に備えてバッグの取り出しやすい場所に詰め直した。

 心身ともに少しだけ余裕を取り戻し、俺は一階で見た「渡り廊下」の出口があるはずの場所へ向かった。2階の渡り廊下があれば、神堂や神奈木さんたちが進んでいる別棟へ楽に移動できると考えたからだ。

 しかし。


「……は? 壁?」


 そこには、渡り廊下のドアなど影も形もなかった。あるのは病院の外壁そのもの。コンクリートの壁が、無機質に廊下の突き当たりを塞いでいるだけだ。


「嘘だろ。1階には確かにあったのに」


 俺は壁を叩いてみたが、偽物の壁のような音はしない。コンクリートの確かな手応えだけが返ってくる。 1階と2階で構造が違うのか?


「つくづく、俺の動画はいつもこうだよ……」


 順調に進んでいたかと思えば、突然の行き止まり。いつもの不運体質が、ここに来て加速している。

 2階の渡り廊下が無い以上、ここからのルートは二つだ。 一階まで戻って別の階段を探すか、それともこのまま3階、4階と上を目指して、屋上から外へ出るルートを探すか。

 その時、廊下の向こう側——さっきまで神奈木さんが進んでいった方向から、「パァン!」という乾いた破裂音が聞こえた。 風船が割れたような音だが、ここでは不自然すぎる。


「神奈木さん……!?」


 彼女に何かあったのか、それとも別の参加者が何かを見つけたのか。 俺はマジックペンを握りしめ、2階の廊下を音もなく走る。せっかく分かれたのに、またトラブルに巻き込まれるのか? 底辺YouTuberの忌部、ここからどう動くべきか……俺は迷わず階段を目指して再び走り出した。


「神奈木さん! 何かあったのか!?」


 俺は足音を立てないように走っていたのも忘れ、大声で叫びながら突き当たりの角を曲がった。 そこは、一階から続くメインの廊下の反対側へ続くはずの通路だった。

 だが、俺の目の前を遮っていたのは、天井が完全に抜け落ちたことで形成された「瓦礫の山」だった。 崩落したコンクリート塊、剥き出しになった鉄筋、砕けた什器。それが床から天井まで積み上がり、完全に通路を塞いでいる。


「……嘘だろ、ここもかよ!」


 俺は瓦礫の隙間にペンライトの光を差し込む。向こう側は見通せる。光の届く先、十メートルほど向こうに、神奈木さんの持つLEDランタンの白い光が激しく揺れているのが見えた。


「神奈木さん! 無事か!」


 瓦礫越しに声を張り上げると、向こうから弾かれたように返事が返ってきた。


「忌部さん!? よかった……! 私、今、変なトラップに引っかかっちゃって……!」


 神奈木さんの声は明らかに震えていた。 彼女がいた場所を見ると、さっき鳴った「パァン!」という破裂音の正体がわかった。彼女の足元には、何かが破裂したような黒い染みが広がり、周囲の壁に飛び散っていた。


「トラップ? 」

「わかりません……急に壁から何か飛び出してきて……っ、ひっ!」


 神奈木さんが声を詰まらせた。 彼女のランタンの光の端に、「何か」が映り込んでいる。 瓦礫の向こう側、彼女がいる方の通路の突き当たりから、重苦しい足音が聞こえてきていた。一階で俺を追い回した何者かと同じタイプだ。


「神奈木さん、逃げろ! そっちから離れるんだ!」

「でも、どうやって……ここ、行き止まりなんです!」


 彼女の声がパニックで裏返る。 俺は瓦礫の山に手をかけ、登れないか探ってみたが、鉄筋が複雑に絡み合っていて、少し体重をかけるだけでグラグラと崩れ落ちる。強引に突っ込めば、俺が生き埋めになるか、瓦礫の山が崩れて彼女を押し潰しかねない。


「俺はこっちから迂回ルートを探す! 階段かどこかへ……とにかく姿を隠して!」


 俺はそう叫びつつ、一気に踵を返した。 せっかく合流しかけたのに、また物理的な壁に遮断されるなんて。このゲーム、俺と相棒の神堂を離しただけじゃ飽き足らず、他の参加者との接触すらも意図的に阻害しているのか?

 神奈木さんの悲鳴に近い声が、瓦礫の向こうから聞こえてくる。 彼女のランタンの光が激しく明滅し、何かと接触したような音が響いた。

 俺はマジックペンを握りしめ、2階の廊下を全力で駆け抜ける。 この階にはもう、逃げ道はない。残るは上か、あるいは一階へ戻って死に物狂いで別の道を探すか。


「クソッ……有名YouTuberを見捨てて一人でゴールなんて、後味が悪すぎるだろ!」


 俺は一階にもどり、反対側の階段を目指しながら、消毒液と万能ナイフと組み合わせて即席の武器にならないか考えた。いつもの「軽い不幸」で済むならいいが、今回は本当に誰か死ぬかもしれない。


「はあ……無事で何よりだよ、全く」


 俺は肩の力を抜き、崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。 瓦礫の向こうで彼女を追い詰めていた影の正体が、彼女のチームの仲間だと判明した時の安堵感といったらなかった。だが、その直後、「あんたが変なこと言うからビビったじゃない!」と彼女に憤慨された時は、さすがに言葉を失った。

 こっちは床下で泥にまみれ、謎の来訪者に命からがら追い回された後なんだ。そんな経験をしたら、あの状況を「ヤバい奴に追われている」と解釈する方が自然だろ……。


「理不尽だな……」


 俺がぼそりと呟くと、神奈木さんはチームの男たちに守られながら、「じゃあ、私たちはこっちのルートからタワーを目指すので」と、あからさまに俺を排除する空気を漂わせた。チームでの連携を重視する彼らにとって、泥だらけの底辺YouTuberは「不運を運んでくる疫病神」に見えたのかもしれない。

 結局、俺はまた一人になった。


「ふん、いいさ。有名人は有名人同士で仲良くやってろ」


 彼らとは逆方向の廊下へと背を向けた。 神奈木たちのLEDライトの光が遠ざかっていく。やっぱり、俺にはいつものように、相棒の神堂とボロボロになりながら進む方が性に合っている。

 病院の内部は、相変わらず不気味な静寂に包まれている。 神奈木たちのチームが去った後、このまま病棟の奥へと進むことにした。マップによると、この病院の一階奥にはかつての『霊安室』があるはずだ。廃墟探索のセオリー通りなら、霊安室の先には外へ続く搬出口がある。

 霊安室へと続く渡り廊下は、幸いにも塞がれていなかった。 ひんやりとした空気が肌を刺す。廊下の突き当たり、重い鉄扉を開けると、

 そこはステンレス製の扉が並ぶ冷たい空間だった。その一つが半開きになっており、中には何も入っていないはずなのに、妙な湿り気を帯びた空気が漂っている。


「……さて、脱出口はどこだ?」


 ペンライトで周囲を照らす。 霊安室の奥には、小さな通用口があった。が、鍵がかかっている。 俺はポケットの万能ナイフを取り出し、扉の鍵穴に差し込もうとした。その時だ。

 背後のステンレスの扉が、ゆっくりと……本当にゆっくりと、バタン、と閉まった。


「誰だ!?」


 振り返るが、誰もいない。ただ、ステンレスの扉の表面に、俺の影と、俺の背後になにか「長い影」が重なっているのが見えた。

 心臓が跳ね上がる。 この病院、やっぱり何かが出やがるのか? それとも、俺の不運がまたもや発動しただけか?

 俺は冷や汗を拭い、万能ナイフで必死に鍵をこじ開けながら、背後の影を睨みつけた。病院を抜けるまでは死ねない。1億の賞金と、神堂との再会が、今の俺を突き動かす唯一の原動力だ。

 ステンレスの扉の表面に映る「影」を凝視し、万能ナイフを構え直したその時だった。


「……なんだよ、ただのカーテンかよ」


 ステンレスの扉の横に吊るされていた、プラスチック製の防虫カーテンが、割れた窓からの風でヒラヒラと揺れていただけだった。俺の影とカーテンの影が重なって、不気味な形に見えていただけらしい。心臓が早鐘を打った分、ドッと疲れが押し寄せる。

 鍵穴にナイフを突っ込んでガチャガチャと数分間悪戦苦闘したが、一向に開く気配がない。


「くそ、この万能ナイフ、動画用の安物だからなあ……」


イライラしながら思い切り扉を蹴飛ばしてやろうと足を振り上げた瞬間、バランスを崩して冷蔵庫の角に小指を強打した。


「いっ……てぇぇ!!!」


 悶絶してうずくまった拍子に、その反動で通用口の扉に体重がかかった。すると、カチリ、と軽やかな音がして、扉は呆気なく外側へと開いた。

 鍵なんてかかっていなかったのだ。ただ、錆びついて重かっただけらしい。


「……マジかよ。今までの苦労は何だったんだ」


 通用口の外は、病院の裏手の通路だった。湿った地面には泥が溜まっており、一歩踏み出すたびに靴がずぶずぶと沈み込む。ここもまた、運営が用意したトラップなのだろうか。

 病院を抜けると、塔へ続く一本道が現れた。 敷地内には他にもいくつかの建物が見えるが、どれも中に入る必要はなさそうだ。森を切り開いた道を進むと、空からポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた。


「おいおい、嘘だろ。さっきまで雲一つない快晴だったはずだぞ……」


 案の定、五分も歩かないうちに雨は土砂降りへと変わり、足元はぬかるみの極みとなった。

 だが、この雨のおかげで、遠くに塔の光が見えた。 真っ暗な夜の森の中に、煌々と光り輝く塔の先端。

 雨の中を歩いていると、何度か「ヒュッ」という風切り音が聞こえた。トラップかと思い身構えたが、ただの木の枝が風で揺れている音だったり、あるいは運営のドローンが上空を通過しただけだったり。 本格的な怪我はしない。誰かが襲ってくることもない。ただただ、身体的にしんどいだけで、精神的にイライラする状況が続く。


「……まあ、いいか。怪我がないだけマシだ」


 泥だらけの靴でべちゃべちゃと音を立てながら、俺は塔を見据えて歩き続けた。 道中、倒木に足を取られて転び、ショルダーバッグの中に入れていたマジックペンがどこかに転がり落ちていくという「いつもの不運」にも見舞われたが、塔は確実に近づいている。

 雨に濡れ、泥にまみれ、散々な格好だが、心は不思議と落ち着いていた。 神堂もどこかで、同じように苦笑いしながら歩いているはずだ。


「待ってろよ、塔。賞金1億、もらってやるからな」


 土砂降りの中、俺は濡れそぼった顔でニヤリと笑い、ゴールまでの残り数キロを踏破するために足を動かし続けた。

 雨に打たれながら塔への道を急いでいると、道端に何やら光るものが落ちていた。 ペンライトで照らしてみると、キャンプ場などでよく見かける使い捨てのライターだ。誰かが落としたのか、あるいは運営の配置物か。


「……火か。まあ、タバコは吸わないけど、いざという時の明かり代わりにはなるか」


 深く考えず、俺はそれをショルダーバッグのサイドポケットに放り込んだ。今はとにかく一秒でも早く塔へたどり着くことだけを考えていたからだ。

 泥だらけのまま、ようやく塔の入り口へたどり着いた。 重厚な観音開きの扉を開けると、そこには先に到着していた神堂の姿があった。


「忌部……! お前、その泥だらけの姿、どうしたんだよ」


 神堂は俺を見るなり、呆れたような、しかしどこか安堵した表情で駆け寄ってきた。俺が床下に落ちた経緯や、廃病院での散々な体験をかいつまんで話すと、神堂は深いため息をついた。


「バカかお前は。一番大事なサバイバルキットを入れたリュックを置いてくるやつがあるかよ。お前がいない間、どれだけ苦労したと思ってるんだ」


 神堂の怒りはもっともだ。だが、あいつの顔には隠しきれない喜びが滲んでいた。


「まあ、生きてりゃいいか。……お疲れ様。俺たち、生き残ったな」

「ああ。……本当に、死ぬかと思ったぜ」


 俺たちは泥だらけの拳を突き合わせ、小さく笑った。結局、俺たちのYouTuberとしての底辺人生は、こういう「ギリギリのところでなんとかなる」という不運と幸運の綱渡りで成り立っているらしい。


『お疲れ様でした。チェックポイント到着おめでとうございます。では、約束通り賞金を授与いたします。並んでいる金庫の中から一つ引きな物を選びスマートウォッチをかざしてください。金庫を開けた瞬間からあなたのものです。帰りはスタートから48時間以内に、この敷地のどこにある出口からでも結構ですので、扉から退出してください。ただし、1つの扉につき1人まで。スマートウォッチをかざせば自動で開錠されます。それでは、無事のお帰りを。』


 この説明中ずっと不気味に低音を響かせた童謡の『通りゃんせ』がBGMとして流れている。説明が終わった後も投げれ続け、 曲が最後まで流れると、スピーカーはプツリと音を立てて完全に沈黙した。


「金庫を開けてからが本番スタートってことだな。時間は18:30か、結構かかったな。このまま金庫を開けて夜の森に突入するのは避けたいが、どうする?」

「正直、クタクタだ。1位になって最下位の没収分の賞金をもらうのもいいが、裏がありそうだからな。一度きちんと休憩しよう。幸いこの塔には水道があった。電気も来ている。落ち着くにはちょうどいい。」


 身体の汚れを落とし、ほかの参加者の様子を伺いつつ休める場所を探した。すると、一階の階段下が倉庫になっていて、ちょっとした物資もありタオルやTシャツを拝借。水道で汚れをを落とし着替えて倉庫の奥で仮眠をとった。


「おい。そろそろ起きろ。あと1時間もすれば夜が明ける。交代で見張っていた際の様子と、これからについて打ち合わせするぞ。」

「あ、ああ……。体いてぇ……。それで、何組通った?俺ん時は10人、4組だ。」

「おれの時は、13人、3組だ。意外とソロが多かった。忌部も気づいたと思うけど、荷物の量が上に行くときと、ここから出るときで増えたやつと、増えていないやつがいた。」

「ああ。俺ん時は明らかに外れだろう大きさの荷物を持っている奴がいて、大変そうだった。この上で荷物の増える要素は賞金しかない。」

「考えられるのは、賞金が現金で渡されたり、小切手で渡されたりだろうか?」

「そうだな。()()()()()()()()()()なんだろうよ。」

「運要素か。俺たち、んなもんもちあわせていねぇよ?」

「かといって、それがあきらめる事には繋がらんがな。よし、行くぞ。」


最上階に到着すると、半数以上の金庫は開いており、中には半分以上金庫に入ったままの物もあった。


「これは、あきらめたやつの性格次第だが、途中で襲われる可能性(足りない分の回収)も考えなきゃな。」

「とりあえず、おれはこの金庫にするわ。」

「じゃあ、おれは……君に決めた!」


ビシッと指をさす。


「ハイハイ、いいから開けるよ?」


神堂がブレスレットを金庫のセンサーにかざす。 電子音と共に、重い扉がゆっくりと開いた。

 中には、札束が隙間なく詰め込まれていた。


「普通に万札だ。新札だから一枚1グラムで10キロってところか。まぁ、普通に暮らしていたらお目にかかることのない姿だな。拝んどこ。」

「神堂は普通だな。俺くらいになると……」


ピッと電子音が鳴り金庫が開く。


()()で持ち運び楽々なわけよ」

「忌部の運がいいと、絶対悪い事が起きるから、歓迎できないな」


そう言いつつ神堂は手際よく背負っていたサバイバルリュックの中身を、必要なものだけを残して足元にぶちまけた。空いたスペースに、札束を隙間なく詰め込んでいく。

 神堂がニヤリと笑い、足元から黒い特大ゴミ袋を放り投げてきた。


「忌部、金塊をしまって、()()()()()()()()()()を全部詰めろ。袋のままじゃちぎれるから、お前のそのボロボロのシャツを脱いで、袋を包んで背負えるように縛るんだ。持ち帰ったら賞金が増える」

「……お前、俺の苦労をなんだと思ってるんだよ」

「……千円円札の束を背負って帰る羽目になるとはな。重さは一番あるかもな」


 苦笑いしながら、俺は背中のずっしりとした重みを感じていた。

 ふと、金庫の前で最後まで流れた『通りゃんせ』のメロディが脳裏に蘇った。 ——行きはよいよい、帰りは怖い。


「神堂……」


 俺は重い荷物を背負い直しながら尋ねた。


「お前、行きに誰かに尾行されたりしなかったか?」


 神堂は表情を硬くし、首を横に振った。


「尾行はなかった。だがな、影の中に……何かが『待ち伏せ』をしている気配がずっとあった。ただ、俺の前には出てこなかったんだ。まるで、俺たちがゴールするのをじっと見ていたみたいに」

「……やっぱりな」


 俺も感じていた。あの病院で見た影、森の中の視線。行きは「獲物を逃がさないため」に観察していただけだとしたら、帰りはどうなる? 帰りは怖い。その歌詞の通り、出口に向かう帰り道こそが、このゲームの本番なのかもしれない。


「どのみち、出口の扉は一人一つだ。俺たちはどこかで必ず分かれることになる」


 神堂が俺の肩を強く叩いた。


「もし……何かがあったら、俺のことは気にするな。お前は生き残って、動画を投稿して、金塊を全部換金してこい」

「馬鹿言え。俺の不運があれば、お前を巻き添えにしてでも生き延びてやるよ」


 俺たちは互いに拳をぶつけ合い、塔の出口へと歩き出した。 塔の外へ出ると、雨は止んでいたが、空は相変わらず不気味なほど真っ黒だ。


「行くぞ。……帰りは、行きよりもずっと嫌な予感がするな」


 俺たちは賞金の重みを背負い、出口への道を急ぎ始めた。森の奥から、先ほどとは違う、何かを待ち構えるような静寂が俺たちを飲み込もうとしていた。


神堂と別れたのは、塔から数キロ離れた十字路だった。


「いいか、とにかく真っ直ぐだ。途中で何が聞こえても、何が見えても、絶対に立ち止まるな」


神堂のその言葉に、俺は無言で頷くしかなかった。あいつの背中を見送り、俺は指定された出口へと続く右の小道に入った。

森の中は静まり返っていた。行きとは全く違う、逃げ場のない圧迫感が肌を撫でる。 その時だった。

ザァァ……というノイズと共に、森の奥から低く、ねじれたような音楽が聞こえてきた。

森のあちこちから、今度は童謡を歌うような、不協和音の合唱も聞こえ始める。




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