黃赤…
神堂の痕跡を絶対に逃さない『黄色い靴』が迫っている。赤、青、黄。信号機のようだが、色の意味は全部が「死」だ。三体の怪異が同時に俺たちを追跡し始めるという地獄の鬼ごっこが、幕を開けようとしていた。
「怪異は三色で打ち止めにしてくれよ……」
愚痴をこぼしながら、俺たちは泥濘む森を歩き続けた。迂回に次ぐ迂回で、方向感覚はとっくに麻痺している。出口までの距離も方角も分からない。ただ一つ確かなのは、背後に迫る『黄色い靴』をどうにかして巻かなければならないということだ。
途中、大木に絡みついた太い蔦を見つけた俺たちは、それにぶら下がり、ターザンのように大きくスイングして数メートル先の地面へ着地するという「足跡分断」を試みた。ハシゴを腕力だけで登ることも考えたが、疲労困憊の今、空中で体力を使い果たすリスクは冒せなかった。だが、結果は絶望的だった。少し離れた物陰から見ていると、後からやってきた『黄色い靴』は、蔦の前で立ち止まることもなく、正確に着地点へと向かって歩き続けたのだ。
(足跡が途切れてもレーダーのようにある程度の範囲は追えるのか、それとも視界のように見える範囲だけ追えるのか……?)
完全に物理的な接地だけを追っているわけではないらしい。このまま陸地を歩き続けている限り、ヤツからは逃げ切れない。
「水だ。川か池を探すぞ」
俺たちは今まで進んできた方向とは別のルートへ、ひたすら森をかき分けて進んだ。どれくらい歩いただろうか。視界を遮る木々がふっと途切れ、開けた空間に出た。月明かりを反射して黒々と光る、巨大な水面。
「……湖だ」
神堂が息を呑む。さらに運が良いことに、岸辺の淀みには、朽ちかけてはいるものの、まだ浮力を保っている手漕ぎボートが一艘、太い杭にロープで繋がれていた。
「ボートに乗れば、水の上に足跡はつかない! 水流と波で、俺たちの痕跡は完全に掻き消されるはずだ!」
俺は押し殺した声で告げ、泥だらけの岸辺をボートに向かって滑り降りた。だが、油断は禁物だ。発電機の音が消えた今、水に飛び込んだりボートを揺らして大きな「音」を立てれば、今度は『赤い女』が高速で飛んでくる。念のため、おとり用の石を何個か拾う。
「静かに乗れ……絶対に音を立てるなよ。オールも水を跳ねさせないように漕ぐんだ」
俺たちは背中の金塊と万札の重みにヒヤヒヤしながら、船体が軋む音を極限まで殺してボートに乗り込んだ。ロープを慎重にほどき、オールを水面に滑り込ませる。
チャプ……。
微かな水音と共に、ボートがゆっくりと岸から離れた。湖の中心へ向かって、滑るように進んでいく。
数十メートルほど岸から離れた時だ。俺たちがさっきまで立っていた岸辺の泥の上に、『黄色い靴』が姿を現した。
ヤツは水際まで歩いてくると、そこでピタリと動きを止めた。水面には足跡は残らない。波がすべてを消し去っている。黄色い靴は、まるでエラーを起こした機械のように、その場でつま先を右へ左へと小刻みに動かしていたが、やがて完全に硬直した。
「……巻いた。今度こそ、完全に痕跡を断ち切ったぞ」
神堂が安堵の吐息を漏らす。湖の上には、冷たい夜風が吹いている。岸辺の『黄色い靴』は、もう俺たちを追ってくることはできない。
俺はオールを握る手を休め、ボートの上から暗い森の奥を見つめた。黄色い脅威は去った。だが、この湖を渡り切った対岸に、果たして「出口」はあるのか。それとも、まだ見ぬ怪異が待ち受けているのか。背中の金塊の重さを確かめながら、俺は再び、音を殺してオールを深く水に差し込んだ。
岸辺で硬直した黄色い靴。あいつにも、赤い女の「黒い穴の目」のような、俺たちの気づいていない恐ろしい能力が隠されていたのかもしれない。だが、今の俺たちにそれを考察して立ち止まっている余裕なんて1ミリもなかった。
音を立てれば、赤い女や青い火の玉が飛んでくる。湖面を極限まで滑らせるように、俺は冷や汗を流しながら慎重にオールを動かし続けた。
その時だった。視界の隅で、水面が不自然に「波立った」気がした。
オールが水を掻く波紋とは明らかに違う、水底から何かが湧き上がってくるような歪な波だった。だが、一瞬のことで、夜の闇と霧のせいもあり判別はできない。気のせいか? いや、この地獄で「気のせい」を見過ごせば間違いなく命取りになる。俺はオールを握る手を一瞬だけ止め、前に座る神堂に向かって極限まで声を潜めた。
「……神堂。俺の勘違いかもしれないが、今、ボートの横の水面が妙に揺れた気がする」
そう言い終えた、まさにその直後だった――――。




