黃黃赤
向かった先は、俺でもなく、元々のターゲットだった小早川でもない。
ヤツは、一直線に「神堂」のいる方向へと歩き出し、彼の残した足跡を的確にトレースし始めたのだ。
「……なるほどな。そういうことかよ」
俺の中で、ルールの全容が最悪の形で繋がった。
ヤツは右の部屋で小早川の足跡をロストした。だが、追跡というタスクそのものを諦めたわけではなかったのだ。
「ターゲットの足跡が途切れた地点で、最も近くにあった別の足跡に『標的を乗り換えた』」
あの時、小早川を両脇から持ち上げて運んだのは俺と神堂だ。つまり、小早川の足跡がふっつりと消滅したその足元のすぐ真横には、彼を抱え上げた俺と神堂の足跡がべったりと残っていたのだ。
ヤツはそこでシステムを再起動し、たまたま一番近くにあった「神堂の足跡」を、新たなトレース対象として認識し直したに違いない。
「おい……! おい、俺を追ってきてねえぞ!」
自分がターゲットから外れたことを確信した瞬間、小早川は歓喜の声を上げた。
そして、あろうことか俺たちを振り返りもせず、森の奥へ向かって一人でさっさと走り出してしまったのだ。
ドスドスドスドスッ!!
泥を激しく蹴り上げ、周囲の木々を揺らすほどの無遠慮な足音を立てて。
「あっ、てめぇ……! 恩を仇で返しやがって!」
神堂が毒づき、迫り来る黄色い靴から逃れるようにゆっくりと後ずさる。
俺も小早川の身勝手さに舌打ちをしようとした、その時だった。
森の奥の彼方から微かに響き続けていた、あの野太いディーゼルエンジンの音が、唐突に鳴り止んだ。
「……最悪だ」
非常用発電機の燃料が尽きたのだ。
もともと針はエンプティ寸前だった。あれだけ巨大なエンジンを回し続ければ、長く持つはずがないことくらい分かっていたはずなのに。
周囲に、耳鳴りがするほどの重く、冷たい静寂が戻ってくる。それは同時に、俺たちにとって最悪の死へのカウントダウンを意味していた。
目眩ましだった爆音が消え去ったことで、この森の真の支配者たちが目を覚ます。
音を正確に狩る『赤い女』と、音と衝撃に群がる『青い火の玉』が、再び獲物を探してこの森を徘徊し始めるのだ。
ふと、小早川がドタバタと逃げていった方向とは逆――俺たちがさっきまで命懸けで歩いてきた一本道の彼方に、小さな「赤い点」が見えた。
霧の向こう側から、その赤い点は尋常ではない速度でこちらへ向かって接近してきている。
顔に黒い二つの穴を空けた、あの「赤い女」だ。
赤い女の聴覚は、森の遠方からでも「獲物が走る音」を完璧に捉えている。
ヤツは、目の前を歩く黄色い靴なんか目じゃないほどの恐ろしいスピードで、木々を縫うようにして音の発生源――つまり、今まさにデカい足音を立てて走って逃げている小早川の方向へ一直線に向かっていた。
俺は神堂に、これまでで一番鋭い視線を送った。
神堂も俺の視線の先に「赤い女」の姿を視認し、顔の筋肉を完全に硬直させている。
俺たちは目で合図を交わした。
『絶対に、音を立てるな』
目の前には、神堂の足跡を正確に追尾してくる「黄色い靴」。
そして遠くからは、音に反応して超高速で迫り来る「赤い女」。
俺と神堂は、黄色い靴との距離を一定に保つため、すり足でゆっくりと、極限まで足音を殺しながら後退した。泥を踏む音すらもさせない。呼吸を殺し、ただ静かに、小早川が走る一直線の方向とは「垂直」になるように横へ逸れていく。
背中の金塊と万券が重い。だが、この重さがバランスを崩して音を立てる原因にならないよう、俺たちは全身の筋肉を徹底的にコントロールして、夜の闇に溶け込んだ。
ザッ、ザッ、ザッ……!!
凄まじい風切り音と、赤いトレンチコートの翻る音と共に、赤い女が俺たちの数十メートル横を、弾丸のように駆け抜けていった。
彼女の顔の「黒い穴」は、俺たちには一切向けられていない。彼女の標的は完全に、命乞いのようにデカい足音を立てて走る小早川に絞られていた。
遠くの森の奥から、短い絶叫が聞こえた気がした。
哀れだとは全く思わない。このデスゲームでは、理不尽なルールを理解できず、パニックに支配されて動いた者から死んでいく。それだけのことだ。
俺たちは足を止めることなく、ただひたすらに無音のステップを踏み続けた。
背後から一定のペースで迫り来る黄色い靴から距離を保ちながら、音を消し、気配を消し、夜の森のさらなる深部へとゆっくりと姿を消していった。




