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霧深い森の小道を抜け、俺たちはツタにびっしりと覆われた二階建ての古い建物に辿り着いた。朽ちかけた看板や、泥だらけの長靴が散乱する玄関から推測するに、かつてこの施設の職員や労働者が寝泊まりしていた「宿舎」のようだ。
「……ここで少し休もう。もう限界だ」
俺の掠れた声に、神堂も無言で頷いた。
昨日から文字通り休む間もなく死線を潜り抜けてきた。極度の緊張とアドレナリンで無理やり誤魔化していた疲労が、ここにきて一気に足へ鉛のようにのしかかってきた。何より、背中のバッグに詰め込んだ「金塊」と「万札」の重量が、俺たちの体力と正気をゴリゴリと削り取っている。
重い扉を押し開け、俺たちは荒い息を吐きながら宿舎の薄暗い廊下へと足を踏み入れた。カビと湿った木材の匂いが鼻をつく。電気はもちろん通っておらず、外の月明かりだけが頼りだった。
少しでも安全に休憩できそうな個室を探して廊下を奥へ進んでいると、ふと、並んだ部屋の一つから不自然な物音が聞こえた。
ガタガタ、と何かが震えるような音。ネズミや風の音ではない。明確な人間の気配だ。
俺と神堂は顔を見合わせ、背中の荷物を床に下ろさないまま、いつでも逃げ出せる態勢でそのドアをゆっくりと押し開けた。
「……ヒッ……! 頼む、見逃してくれ……殺さないでくれ……!」
部屋の隅で、頭を抱えてガタガタと震えている一人の男がいた。
「落ち着け。声を出すな。俺たちも参加者だ」
俺が低く鋭い声で告げると、男はビクッと肩を震わせ、すがるような目で俺たちを見上げた。
男は小早川と名乗った。高級だったであろうスーツは泥と破れでボロボロになり、顔は土気色を通り越して青ざめている。彼は今まさに、ある怪異に追われている最中だという。
「『黄色い靴の透明人間』に追われてるんだ……!」
小早川は血走った目をひん剥きながら、震える声で語った。
彼を追ってくるヤツは、どれだけ走って逃げても、完全に視界から消え去るまで距離を離しても、必ず後から歩いて追いついてくるという。しかも、その姿は完全な透明ではない。
「『グレーのスラックスの裾』と、『黄色い革靴』だけが空中に見えている状態なんだ……! 上半身はないのに、確実に足音を立てて追ってくる……!」
「ここも、もうすぐ見つかる……逃げなきゃ……!」
再びパニックに陥り、立ち上がろうとする小早川を、俺は力ずくで床に押さえつけた。
「待て。むやみに動くな。闇雲に走っても体力を消耗するだけだ」
俺たちはこれまでに遭遇した怪異たちの「絶対的なルール」について、早口で小早川に説明した。
「音で正確に追ってくる女や、動くものに反応して群がる火の玉がいた。お前を追っているヤツも、全知全能の無敵の追跡者じゃない。何らかの『ルール』に基づいて、お前だけを的確に追ってきているはずだ」
遠くまで離れても確実に獲物を追尾できる手段。
現実の捜査で言えば、警察犬のような「匂い」か、鑑識的な「足跡」のトレースだ。だが、小早川の話ではヤツは透明人間、しかも見えているのは下半身の一部だけだ。
「上半身がないなら、匂いを嗅ぎ分けている線は薄い。でも、目がないなら足跡を視覚で追うこともできないはずだよな……」
「なら、試してみようぜ。ヤツが『何』を追っているのか」
神堂の言葉に、俺は頷いた。
俺の頭の中には、すでに一つの仮説と、それを実証するための実験プランが組み上がっていた。
俺は小早川と神堂を呼び寄せ、極めてシンプルな実験を提案した。
小早川に右側の部屋へ歩いて入ってもらう。
(これで廊下から右の部屋に向かって、小早川の明確な足跡が残る)
俺と神堂の二人で、小早川の両脇を抱えて持ち上げる。
(小早川の足跡を、右の部屋の中で意図的に途絶えさせる)
そのまま足をつかせずに、向かいの左の部屋へ小早川を運び、彼の上着だけを脱がせてダミーとして床に置く。
(匂いがターゲットなら、体臭の染み付いた上着に反応するはずだ)
さらに小早川を抱えたまま、廊下のずっと奥の部屋まで移動して身を隠す。
俺たちは無言でこの奇妙な連携プレーを実行に移した。
右の部屋に入った小早川の両脇に俺と神堂が入り、せーの、で一気に彼の身体を持ち上げる。背中の金塊の重さに小早川の体重が加わり、膝が砕けそうになったが、気合いで堪えた。
小早川は空中で足をバタつかせそうになったが、神堂が殺意すら込めた鋭い視線で睨みつけると、恐怖でピタリと動きを止めた。
宙に浮かせたまま向かいの部屋へ運び、上着を脱ぎ捨てさせる。そしてさらに廊下の奥、元いた場所から三つ先の部屋へと移動し、ようやく彼を床に下ろした。
俺たちは少しだけ開けたドアの隙間から、息を殺して廊下の様子を窺った。




