赤赤赤
逃げた先で俺たちの行く手を阻んだのは、天を突くような巨大な鉄格子の門だった。
「クソッ、ビクともしねえ……!」
二人で力任せに押しても引いても、金属の冷たい感触が跳ね返ってくるだけだ。絶望的な重量。表面を覆う赤錆が手のひらを削り、泥と汗に塗れた指先から血が滲む。だが、そんな痛みを気にしている余裕などなかった。
背中に食い込むショルダーバッグのストラップが、容赦なく肩の筋肉を軋ませている。俺の背中には金塊、隣で同じように鉄格子を押し返そうと足掻く神堂の背中には万券。お互いに1億円という途方もない欲望の質量が、今はただ俺たちを物理的に殺しにくる「枷」でしかなかった。
上を見上げると、鉄格子の頂上付近に太いチェーンと巨大な滑車が組み込まれているのが見えた。太さは俺の腕ほどもある鋼鉄の鎖だ。人力でどうにかなる代物ではない。電動式か、あるいは何らかの巻き上げ機構が連動しているはずだ。
俺たちは門の脇に併設された、コンクリート造りの管理棟のような建物に転がり込んだ。分かってはいたが、電気は通っておらず、内部はひんやりとした死の静寂に包まれている。長年放置されていたのか、カビと埃の匂いが鼻をつき、足を踏み出すたびに床に散らばったガラス片や瓦礫が嫌な音を立てた。
「手動で開ける方法があるはずだ。探せ」
息を殺しながら、壁の操作盤を手探りで調べる。すると、メインパネルの下部に手動巻き上げ用と思われるクランク穴を見つけた。だが、肝心のクランクハンドルがどこにもない。パネルの周囲を探っても、床を這いつくばっても、鉄の棒切れ一本落ちていなかった。
「奥だ。奥の部屋を探すぞ」
暗闇の中、クランクを探して建物のさらに奥へ進むうちに、俺たちは重厚な防音扉の奥にある「非常用発電機室」に辿り着いた。
部屋の真ん中には、軽トラックほどの大きさがある旧式の大型ディーゼル発電機が鎮座している。俺は駆け寄り、ホコリを被った燃料ゲージのガラスを袖で乱暴に拭った。
懐中電灯の細い光を当てると、針はかろうじて『E』の少し手前――赤いラインのギリギリ上を指していた。
(これなら、もしかしたら動くかもしれない……)
一筋の希望が見えた。電力が回復すれば、あの巨大な門を開けられる。そう思い、発電機のスターターの構造を確認しようと向き直った、その時だ。
部屋の隅が、妙に『暗い』ことに気がついた。
もともと照明が落ちている廃墟なのだから、暗いのは当たり前だ。だが、その一角だけは次元が違った。まるで空間そのものが光を吸い込んでいるような、インクをぶちまけたような『暗さの中にさらなる闇』が、ねっとりと、まるで生き物のように淀んでいるのだ。
懐中電灯の光を向けても、その闇は光を反射せず、ただそこにある「虚無」として周囲の空気を凍りつかせていた。
そういえば、道中で神堂が言っていたのを思い出した。
『闇の待ち伏せを受けたが、その時は何も起きなかった』と。
俺は、発電機の点検をしようとしていた神堂に向かって、視線だけで部屋の奥の「闇」を指し示した。
ゴクリ、と。
神堂が生唾を飲み込む音が、暗い部屋に異様に大きく響いた。
あいつは顔面を土気色に蒼白にしながら、ゆっくりと頷く。あそこに「何か」がいる。いや、物理的な実体はないかもしれないが、確実に関わってはいけない強烈な呪いが潜んでいる。それは今、俺たちの明確な共通認識になった。
だが、あの『赤い女』のように物理的に突進してきて襲いかかってくるような気配はない。ただ淀み、ただそこにあるだけだ。どう対処すべきか、刺激せずにこの部屋を出るべきかと逡巡していると――。
カツッ……カツッ……カツッ……。
遠くから、あの忌まわしいハイヒールの音が聞こえてきた。
(まずい……! なぜこっちに向かってくる!?)
全身の毛穴が一気に開き、冷や汗が噴き出した。あんなに距離を離したはずだった。鉄パイプとボルトの音を使って、完全に逆方向の森の奥へ誘導することにも成功した。偶然この建物へ向かっているのか?
いや、今の極限状況でそんな楽観は、間違いなく致命的な不幸を招く。考えるんだ。理屈のない怪異にも、これまで突破してきた通り、必ず「ルール」がある。ヤツらが俺たちを追跡する論理的な理由が!
答えは、目の前にある。
俺は部屋の隅で淀む、あの不自然な「闇」を睨みつけた。すると、赤い女の目が脳裏にちらつく。
(……この暗闇が、監視カメラの役割を果たしているんじゃないか?)
あの赤い女の顔に、目がなかった理由。それは単純に「盲目だから」ではない。自分の視覚という機能を切り離し、この広大な施設のあちこちに『闇』として独立して配置しているからだ!
行きで神堂が遭遇した時も、何も起きなかったのではない。「見られていた」だけなのだ。この淀んだ闇が俺たちを視認し、その位置情報を本体である赤い女に伝達している。だから、こちらが一切の音を立てていなくても、俺たちの現在地を正確に把握し、迷いなく一直線に追ってくるんだ!




