清く、明るく、やっつける
先生はコートの襟を軽く直し、両手を胸の前で軽く組み合わせて、鬼の瞳をまっすぐに見つめた。鬼は変わらず、無表情のまま。赤黒い衣が風に揺れる音だけが、二人の間に漂う。
「鬼さん……これなら、どう?」
先生は右手を軽く差し出し、掌を上に向けた。まるで、園庭全体を優しく包み込むように。
「子供達は『怖い戦争』じゃなくて、『皆で協力して鬼さんをやっつけたヒーロー』になれるよ。鬼さん三人とも、心がポキッと折れて『もう悪いことしないよ~』って、笑顔で退散できるよ」
彼女の声は柔らかく、しかし確信に満ちていた。冬の息が白く、鉄柵の隙間を抜けて鬼のほうへ流れていく。
鬼は長い沈黙のあと、ゆっくりと口を開いた。声は低く、抑揚を欠いたまま、しかしどこか疲れた響きを帯びて。
「先生。先生が子供を清く明るく育てたいのはわかります。でも、僕達鬼です。人の形をしてはいますが、心は人では非ぬ物なんですよ。そんな相手に清く正しくなんてやってたら、先生も子供さんも殺されてしまいます。ガスガン使いましょうよ」
彼の瞳は鉄柵の向こうの先生を捉え、わずかに揺れた。だが、すぐに元の静けさを取り戻す。鉄柵を握る指に、力がこもったように見えた。
ユウコ先生の肩が小さく沈んだ。彼女は目を伏せ、唇を軽く噛んでから、再び顔を上げた。頰に冬の風が冷たく当たり、髪を乱す。
「……鬼さん」
先生の声は静かに、しかし深く響いた。彼女は一歩前に出て、鉄柵に両手を置き、鬼の顔をまっすぐに見つめた。
「先生、ちゃんと聞いてるよ。『鬼は人の形をしてるけど、心は人じゃない』『清く正しくじゃ殺される』って……本気の鬼退治を求めてるんだね」
彼女は胸に手を当て、ゆっくりと息を吐いた。吐息は白く、夜の闇に溶けていく。
「でも、ユウコ先生は幼稚園の先生。三十人の小さな子供達を預かってる。本物のガスガンとか、痛い攻撃とか、命のやり取りみたいな事は……先生の心が受け付けないんだ。本気の鬼退治でも、子供達に『殺す・殺される』って言葉を向けるのは、先生には無理だよ」
ユウコ先生は両手を広げ、園庭の空気を優しく抱きしめるような仕草をした。指先が、わずかに震えている。
「だから、先生はこうする。『鬼さんの心を折る』ってルールを守りつつ、子供達を『賢く・協力して・安全に』鬼さんを追い詰める作戦にする。道具は『おもちゃの空気砲』『新聞紙ボール』『風船トラップ』『鈴入り豆』など、絶対に危なくないものだけ。鬼さんが『心が折れた~』って言うまで、子供達はヒーローみたいに戦うよ!」
彼女は深呼吸をして、声を少し明るく戻した。だが、その明るさの奥には、変わらぬ鋼の強さが潜んでいる。
「作戦名はね……」
先生は少し間を置いて、目を細め、静かに、そしてはっきりと告げた。
「『30人の賢いヒーロー鬼封じ大作戦 ~心をポキポキ折る防衛戦~』」
言葉が落ちた瞬間、園庭の闇がわずかに震えた。誰もいないはずの場所で、子供達の幻のような小さな足音が、遠くから聞こえた気がした。三十の小さな命が、これから節分の日に、鬼と向き合うことを、静かに予感させるように。
鬼は、長い沈黙のあと、鉄柵を握る手をゆっくりと緩めた。冬の夜は、さらに深みを増していた。




