安全第一
門の鉄柵越しに、鬼の声が再び響く。低く、抑揚のないまま、しかしどこか切実さを帯びて。
「先生、僕ら鬼三人をやっつけたら、子供達は死にませんよ。僕ら鬼ですよ? そんな紙ボールぐらいじゃ心折れませんよ」
鬼は鉄柵に額を寄せ、視線を落とした。赤黒い衣の袖が、風にわずかに揺れる。
「ちゃんとガスガンとか使って、戦略的配置とか、トラップとかも作って、僕ら鬼を退治するべきなんじゃないですか?」
鬼はゆっくりと顔を上げ、ユウコ先生の瞳を捉えた。
「僕らだって子供殺したくないですよ。先生が作戦考えて、僕ら退治してくれればいいんですよ」
言葉が落ちた瞬間、ユウコ先生の息が止まった。彼女はコートの襟を軽く握り、目を細めて鬼を見つめた。冬の風が彼女の頰を冷たく撫で、髪を乱す。
「……鬼さん」
先生の声は、静かに、しかし深く響いた。彼女は一歩前に出て、鉄柵に両手を置き、鬼の顔をまっすぐに見つめた。
「先生、今、凄く真剣に聞いてるよ」
彼女は胸に手を当て、ゆっくりと息を吐いた。吐息は白く、鉄柵の隙間を抜けて鬼のほうへ流れていく。
「『子供達を殺したくない』『先生が作戦考えて、僕らを退治してくれればいい』って……それなら、ユウコ先生はちゃんと受け止める」
ユウコ先生は目を伏せ、唇を軽く噛んだ。だがすぐに顔を上げ、穏やかに、しかし揺るぎなく続けた。
「でもね、ここは幼稚園だよ。三十人の皆は、まだ三歳から五歳の小さな子供達。本物の『戦争』や『ガスガン』で戦うような場所じゃない。そんな道具で子供達『戦士』にするなんて、先生には絶対にできない。鬼さんがどんなに優しくても、子供達に本気の暴力や殺傷を想像させるのは、先生の心が許さないんだ」
彼女は両手を広げ、園庭の空気を優しく抱きしめるような仕草をした。指先が、わずかに震えている。
「だから、先生はこう決めたよ」
先生は深呼吸をして、声を少し明るく戻した。だが、その明るさの奥には、変わらぬ鋼の強さが潜んでいる。
「『本気の鬼退治』だけど、『子供達を守りながら、楽しく・安全に・心を折る』作戦。鬼さん三人が『紙ボールじゃ心折れない』『ガチで来る』って言うなら……先生は、子供達を『戦士』じゃなくて、『みんなで力を合わせた小さなヒーローたち』にしてあげる。道具は『節分にぴったりな、安全で楽しいもの』だけ使うよ」
ユウコ先生は右手を軽く振り、まるで新しいページを開くように微笑んだ。その笑顔は、冬の闇の中で、ほのかに光るようだった。
「作戦名はね……」
彼女は少し間を置いて、目を細め、静かに、しかしはっきりと告げた。
『30人の小さなヒーロー鬼退治大作戦 ~心をポキッと折る最終兵器~』
言葉が落ちた瞬間、園庭の空気がわずかに震えた。誰もいないはずの場所で、子供達の幻のような笑い声が、遠くから聞こえた気がした。三十の小さな命が、これから節分の日に、鬼と向き合うことを、静かに予感させるように。
鬼は、長い沈黙のあと、鉄柵を握る指をゆっくりと緩めた。冬の夕暮れは、さらに深みを増していた。




