これは戦争です
鬼はゆっくりと口を開いた。声は低く、抑揚を欠いたまま。
「先生、作戦は素晴らしいです。でも、先生勘違いしてます。これは『戦争』です」
彼の瞳は鉄柵の向こうのユウコ先生を捉え、静かに続けた。
「先生のような、甘い戦略じゃ僕らは豆をぶつけられても心は折れません。その戦略では、生徒達は皆殺しでしょう。もっとガチの作戦を考えて下さい。子供達を戦士にしてあげて下さい」
言葉が落ちた瞬間、ユウコ先生の肩が小さく震えた。彼女はコートの袖を握りしめ、目を細めて鬼を見つめた。頰の赤みが、寒さではなく別の感情で濃くなったように見えた。
「……鬼さん」
彼女の声は、さっきまでの明るさを失い、静かに、しかしはっきりと響いた。
「ユウコ先生、今、本気でびっくりしてるよ」
先生は一歩後ろに下がり、胸に手を当てた。まるで、自分の心臓の音を確認するように。
「さっきまで『節分の楽しいお話』だと思ってたのに……『戦争』だとか『生徒を皆殺し』だとか『子供達を戦士に』なんて言葉が出てくるなんて……先生、胸が痛くなっちゃった」
彼女は目を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。吐息は白く、鉄柵の隙間を抜けて鬼のほうへ流れていく。
「先生はね、三十人の皆の先生だよ。皆はまだ幼稚園児。笑顔で遊んで、泣いたら抱きしめて、おやつ食べて、お昼寝して……それが当たり前の、可愛い子供達なんだよ」
ユウコ先生は両手を広げ、園庭の空気を抱きしめるような仕草をした。指先が震えているのが、遠目にもわかった。
「そんな子達を『戦士』にして、ガチで戦わせるような作戦なんて……先生、絶対に考えない。考えられるわけがないよ」
彼女は首をゆっくりと横に振り、目を上げて鬼をまっすぐに見つめた。その瞳には、優しさと、決して譲らない強さが同居していた。
「たとえ鬼さんが負けてくれても、たとえ遊びでも、『子供達を皆殺しにする戦争』のお手伝いは、先生にはできない。絶対に、絶対に、できない」
風が一瞬強く吹き、枯れ葉が二人の間を舞った。鬼の衣がわずかに揺れるが、彼は動かない。ただ、鉄柵を握る指に力がこもるだけだ。
ユウコ先生は深呼吸をして、声を少し柔らかく戻した。
「鬼さん……もし本当に『遊びの鬼さん』なら、もう一度、最初みたいに『豆まきで心を折る楽しい節分ごっこ』に戻ろうよ? それなら先生、いつでも全力で付き合うよ」
彼女は右手を軽く差し出し、門の向こうの鬼に届くように伸ばした。だが、手は鉄柵に触れることなく、途中で止まる。
「でも、もし本気で『子供達を戦士にして皆殺しにするガチ戦争』のお話を続けたいなら……ごめんね。ユウコ先生、ここでおしまいにするよ」
先生はゆっくりと手を下ろし、コートのポケットにしまった。背筋を伸ばし、静かに言った。
「先生は、皆を守る先生だもん。子供達を危険な戦争の中に連れて行くことは、絶対にしない」
沈黙が、再び園庭を覆った。冬の空はすでに暗くなり始め、園舎の窓から漏れる明かりが、鉄柵に細い線を描く。
「……どうする? もう一回、優しい鬼さんに戻ってくれる? それとも、今日はお別れ?」
ユウコ先生は、鬼の瞳をじっと見つめた。頰に風が冷たく当たり、彼女の髪を揺らす。
「先生は、鬼さんが優しい心に戻ってくれるのを待ってるよ……」
鬼は、長い間、無言だった。鉄柵を握る手が、ゆっくりと緩む。冬の夕暮れは、静かに深みを増していた。




