いつの間にか一人じゃなくなってた
ロスタインの兵たちに動揺が走った。スティーリアの死に、誰もが戸惑っている。
カイムもまた、突然のことに理解が追い付かないが、クラッドが翼を広げ、羽根を剣として向けた。
「……私の妹から出ていけ」
クラッドの言葉にシール――サーラルは首を傾げる。
「そうしたら、この人死にますよ? 今、天使の羽根は力を使い果たしました。神獣ウルーの力で血液も移動させました。出ていってしまったら、この人の中に『なにもなくなります』。血も意思も、すべて」
「黙れ! 我が妹を侮辱した罪をその身で――」
剣を手にクラッドは斬りかかろうとしたが、振りかぶったまま止まった。
「ああそうですよね。この体、あなたの妹さんのものですから。傷つけられませんよね」
私は一切遠慮しませんが。サーラルはシールの腕から閃光を発し、クラッドを切り裂いた。目にも止まらぬ一閃は魔術などを超越しており、天使の血を引くクラッドを一撃で地に付させた。
「これが、本当の天使の力……ウル―の力も感じます。そして、カイム様の愛する体……ああ、私はようやく、あなたに相応しくなれた! 初めて優しくしてくださったカイム様に愛される存在になれた!」
「……ちげぇよ。たった今お前は、俺の大切な人を侮辱した」
「なんのことでしょう? 侮辱? クラッドという邪魔者を排除したまでですよ?」
わかっていない。サーラルはどこまでも、カイムの願いや本心をわかろうとしない。
「この旅で、クラッドは敵だった。そういう役回りだった。だから、ついさっきケリつけるために戦ってたんだよ。それをお前は滅茶苦茶にした」
「敵ならばいいじゃないですか。どうせ最後は殺したのでしょう?」
「クラッドは敵でもシールの兄だ! 殺したりはしねぇ! シールが悲しむだろうがよ……この旅の意味もなくなる」
カイムはシールの中にいるサーラルヘ語り掛けた。「見た目の問題じゃない」と。
「え……なぜです? これは、あなたの愛するお方の体で間違いないはず……」
「だから、見た目じゃねぇんだよ……わかれよ、サーラル。人間は見た目が同じなら、どんな相手でも好きになれるのか? 少なくとも俺は違う。俺は見てくれなんかより、中身を見て人を選ぶ」
サーラルは見た目じゃない、中身と呟きながら、「では」と問いかけてきた。
「なぜ今までは、愛してくださらなかったのですか? 私はあなたを敬い、身の回りの世話もし、あのハイエルフと違って選ばれたはず……」
「やっぱり聞こえちゃいなかったんだな……俺は何度も言った。あれはスティーリアの罠だってな。俺はアリスを助けに行ったんだ」
でも、私の方へ来た。尚も言うサーラルヘ、「スティーリアは仲間割れが目的」だと話す。
「俺の意思を折ろうとして仕組んだ罠だ。わざとお前とアリスの居場所を逆にした」
「ま、待ってください。では、私は選ばれたのではないのですか」
「順序なんかつけたくねぇが、俺はアリスから助けにいこうとしてた。その後にしっかりお前に本心を――」
誠意を見せると言いかけて、サーラルは「捨てられた、捨てられた」と繰り返している。
「違う! 捨てたりなんかしねぇ! 結果として後に助けに行くことになったが、本当なら二人一緒に助けたかった! こんな形でお前を傷つけたくなかったんだよ!」
カイムの叫びに、サーラルは答えない。俯いたまま、ブツブツ繰り返している。
「サーラル! しっかりしろ! 俺の言葉を聞け!」
「カイム、だめだ。もう聞こえて……いや、聞こうとしていない」
なぜ、更に傷つけてしまう。クラッドが焚きつけた夜に、十分傷つけたというのに。
苦悶の表情のカイムをよそに、サーラルはその身に光と闇を纏った。
光り輝く天使ホロウの力と、底なしの闇のような神獣ウルーの力が、サーラルを媒介にして暴れ出した。
「私の居場所は、この世界にはない……は、ははは……この世界には、ない。ないのなら、こんな世界……いらない!」
二つの力はサーラルの意思なのか、ロスタインの兵がいる丘を光と共に焼き払った。あっという間に丘の上は焦土と化した。
カイムとニオは、身を伏せて黒い花に紛れていた。
「不味いね、今はなんとか操れてるみたいだけれど、いつ暴走してもおかしくないよ」
「なんか手はねぇのか!」
「――同じ精霊のウルーだけなら、やりようはある。でも天使の方までは専門外だ!」
どうしたらいい。正真正銘の天使の力を前に、打つ手がない。そこへ、クラッドがよろよろと歩み寄った。
「私に、任せろ……」
もはやハイランドの礼服は破れ、ところどころが燃え落ちている。
「リャナンシーを模した瓶があるように、天使の羽根を模した、類似品がある――この私の体だ。私にも天使の血が流れている。あそこで暴れる我が妹にもな」
なにが言いたい。クラッドは、「この血を操れ」と、カイムへ頼んだ。
「私の意思をシールの意思と混ぜて、あの体へ打ち込め。体の中から、あの女を追い出す」
それは可能か。ニオへ訊けば、「シールの分はカイムが操り、クラッドの血はボクが操る」ことでなんとかなる。
「ここは神獣ウルーの眠る場所だ。さっきのサーラルみたいに、リャナンシーとの契約者じゃなくても、別の体に血を移すことは誰でもできる」
「やっぱり血に関しては、この場でニオの右に出る奴はいねぇな……おいクラッド、まだ死ぬなよ。血は借りるが、死なねぇ程度に加減する。テメェの血とシールの血でサーラルの動きを止めたら、出血した分だけ戻してやる」
綺麗事を言うつもりはないが、せめてシールの大切な人は一人として死なせない。クラッドは「私を殺す絶好の機会だぞ」とボロボロの体で言うが、「決着がまだだ」と返す。
「テメェがシールの遺体なんてものをレイズしたから、場はチップ塗れだ。これをふんだくるまで死なせるかよ」
シールも悲しむ。そこまでは認めたくないから口にできなかったが。
「でも、サーラルの周りには荒れ狂う嵐のように炎が舞っているよ。あれをかいくぐって、クラッドとシールの血を流し込められるかな」
「シールを抜いて子供たち十人分死ぬまでに近づけるか……?」
「無理だね。いくらなんでもホロウとウルーの力の前じゃ、十人なんてあっという間さ。君が矢に飛んで行けって命じても、そんなに速くは飛べない。そもそも当たるかどうか」
「だったらどうすんだよ!」
「さぁね……困った困った」
こんな状況で呑気なニオは、「困ったなー」と声を張り上げた。
「二人の血で矢を作ることくらい造作もないのになぁ! 肝心の弓を引いてくれる人がいないなぁ!」
うるさいと黙らせようとしたら、大きなため息が聞こえてきた。
まさか――振り返れば、丘の上からため息の主は呆れていた。
「あからさますぎよ、ニオちゃん」
馬に乗ったアリスが、丘の上にいる。「なんでいる」と、カイムは駆け寄ってきたアリスに投げかけると、まず「勘違いしないでね」と怒った様子だった。
「ニオちゃんからしつこくしつこく手紙が来るから。もうわかったって言いに来たらこの始末よ」
「……俺のこと、まだ赦してねぇよな」
「事情なら読んだから! ニオちゃんが嘘つきじゃないのは知ってるつもりよ。だから、その……任せなさい」
「――当てられるのか?」
「私を誰だと思っているのかしら。百六十歳のハイエルフ様よ」
「そうか、そりゃ頼りになる……」
これで、シールの意思が戻ったら、しっかり説明できる。今を生きるため、誰を選ぶのか。
カイムは手首から、シールの意思が宿る黒い血をすべて出し、限界まで凝縮させ、細く長くする。そこへ、ニオがクラッドから分けてもらった赤い血を先端に混ぜ、一本の矢となった。
「外したら全部台無しだ。取り返しがつかなくなる」
「脅し? それともプレッシャーでもかけようっての? 悪いけど、大前提としてその一、エルフは矢が上手。その二、私は矢術の天才。まぁ見てなさい」
アリスは担いできた弓に黒と赤の矢をつがえると、荒れ狂う炎の合間に見えるシールの体へ放った。風を切り、炎を貫いた矢は、シールの左肩を貫き、形を崩して傷口から血が入り込む。
叫び声をあげ、シールの体から天使の力――光が剝がれていった。
しかし、当たったと喜ぶのもつかの間。こちら、特にアリスを憎しみの籠る瞳で睨みつけている。
「ニオ! 天使の方は何とかした! あとはお前が……ニオ?」
「……なんだい」
「お前、その顔――らしくねぇぞ。なんだよ、そんな――」
悲しそうに笑って。ニオは「確かにらしくないね」と肩をすかした。
そんなニオから、カイムは目が離せないでいた。
まるで時が止まったように、カイムとニオは見つめ合っている。
「さて、最後の仕事だね」
「最後? おい、どういうことだ」
「言葉通りだよ」
シールもアリスもサーラルも、どこかへ行ってしまったような感覚に苛まれる。
あの時――二年半前、初めてニオと話し、契約した時と似ていた。
「ボクのリャナンシーとして与えられた『吸収』の力で、シールの体からウルーの力を奪う」
「そんな……そんなことしたら、いくらお前でも……」
「うん、たぶん死ぬ。吸収しきれず破裂するだろうね。でもそうしないと、せっかくアリスが天使の力を防いでくれたのに、今度はウルーの力が君たちを襲う。ボクは、その力を限界まで抑える」
「うそ、だよな。いつもの冗談だろ?」
いつもなら、ここらで馬鹿にしてくる。引っ掛かったねと、ケラケラ笑う。だがニオは首を振った。
「最後だから、全部伝えるよ。ボクはね……楽しかった。シールを生き返らせるっていうこの旅。アリスを巻き込んで、サーラルも付いて来て、賑やかだった。でもね、ボクは――本当の本心では――君と二人で過ごしていたかったなって、思ってたんだ」
恥ずかしそうに笑うニオは、小さな体をもじもじとさせる。
「君が男として好きだとか、そういうのはない――と、思う。今のところは、このままアリスとハッピーエンドを迎えてほしいって思えているから、たぶん恋心なんかじゃない。じゃないはずなんだ――でも、君は初めてできた友達だ」
「お、俺だってそうだ。孤児院じゃ喧嘩ばっかりだったし、シールは女として見てた。里で過ごしている時もアリスの好意には気づいてた。お前は、俺にとっても初めてできた友達だ」
「そう言ってくれると、うれしいよ――あーあ、せっかく契約できたのに、こんな旅に付き合わされるなんてなぁ。その前も二年間エルフの里にしかいなかったし。どうせなら、君と二人でどこへともなく旅に出て、護衛とかの仕事を引き受けて、安いお酒と適当なツマミで馬鹿騒ぎしたかったなぁ……」
「――なんだよ、なに言いだすんだよ。ここまで来たんじゃねぇか。二年半も俺の勝手に付き合ってくれた。ここでシールを助けて、それで旅を終える……そうだろ?」
「ううん、そうはいかない。このままだと、シールの体はサーラルとウルーの意思と力に負ける。だから、ボクが抑えなきゃ――もともと、リャナンシーとして生れ落ちて、長生きできないと思っていたのに――いろんなところに行けて、いろんなことを知れた。君と二人じゃなくても、この旅は、ボクの宝物だ。だから、最後までやり遂げてね」
「ニオ――!」
ばいばい。
ニオの声が遠くなると、いつの間にか目の前にいたシールの体がどさりと倒れた。黒い力が剥がれていき、ニオはどこにもいない。消えてしまった。
倒れたシールの体から、サーラルヘ赤い血が戻っていく。そうして、薄っすらとシールは瞼を開いた。
数舜の間、カイムとシールはなにも言わずに見つめ合っていた。やがてシールが涙を流すと、「ごめんなさい」と口にした。
「大切な精霊の命を散らしてしまい、ごめんなさい。私一人のためにここまでしてくれてごめんなさい」
せっかくここまで来て、ようやく再開できたのに、交わす言葉は謝罪のみ。素直になど喜ぶことはできない。
それでもカイムは、消えてしまったニオの想いを無駄にしたくなかった。だから、「謝るな」と、感情を押し殺して投げかける。
「……そんなシケた面見せるために、ニオはいなくなったんじゃねぇ」
「そう、ですね。あはは、せっかくこうして再会できたのに、上手く笑えなくて、本当に……」
「だから、謝るんじゃねぇよ」
「いえ、せめて少しでも笑ってあげたかったです。せめて笑いながら、もう一度『サヨナラ』を伝えたかったんです」
「もう、一度?」
シールは頷くと、血の石碑周辺を指差した。
「神獣ウルーは、今もまだ復活しようとしています。あの精霊が必死に抑えてくれたこの数分しか、近寄れません」
「近寄って、どうすんだ。仮にも神って呼ばれてる相手だぞ。お前一人が行ってどうするんだよ」
その問いに、シールは自らの背中に天使ホロウの力を感じさせる――光り輝く白銀の翼を出現させた。
「私の体には、クラッド兄様と私自身の天使の血が流れています。祖先である天使ホロウの血も、力もあります。それを使って、ウルーの復活を止めます」
「それをしたら、お前はどうなる……?」
また、悲し気な笑みだ。だというのに、覚悟が決まっている。
「私の命と天使の血で、地の底から復活しつつあるウルーを止めるんです。要は人柱です」
待ってくれと叫ぶ前に、シールは歩き出した。魔術なのかどうかもわからない黒い力が荒れ狂い、とてもではないが近寄れない血の石碑へ向けて、白銀の翼で身を守りながら進んでいく。
どうにか、その背中に追いつきたい。そのためにここまで来た。ここまでやった。ニオも命を燃やした。
もはやニオがいなくなり、黒い血を操る事もできない。
「祈る神なんて知らねぇ……だから誰でもいい! なんでもいい! 俺に力を貸してくれ――!」
カイムは叫んだ。神がいたとしても見捨てるだろう願いを心の底から口にした。
――じゃあ行こうよ。お父さん。
今のは……子供たちの声? この体の中から、十人の子供たちの意思をハッキリ感じた。「お母さんのところに行こうよ」と。
力が、湧いてきた。黒い血は操らなくても、子供たちが勝手に出てきて、カイムを守るように取り囲んだ。
その中に、アリスが潜り込んだ。
「もう、ここまで来たら最後まで付き合うわ。とっとと行きなさい」
「子供たちは、お前を守らないかもしれねぇ……死んでも、恨むなよ」
「知らないわ、死んだ後のことなんか」
アリスと手をつなぎ、暴風のように荒れ狂う黒い力の渦の中へ歩いていく。やがて、シールの背中に、ようやく追いつけた。
「カイムさん……どうして」
「二つ、どうしても伝えなきゃいけないことがあってよ。一つは、お前は俺にとって『最愛』でいてほしかったことだ」
「いてほしかった、ということは、今は違うんですか?」
「ああ、それが二つ目だ。浮気しちまったこと、謝りたかったんだ」
アリスとつなぐ手を見せると、シールは微笑んだ。
「シール、アンタもアタシも、面倒な男を好きになったわね」
「見る目がなかったのでしょうか」
「そうね。こんなダメ男、アタシがしっかり教育してあげるから」
シールとアリスも笑い合っている。そして目の前には、血の石碑があった。
シールは手を置くと、白銀の翼が広がって、ウルーの力を抑え込んだ。
「では、私の体はこのまま、地の底でウルーを封じます。せっかく蘇ったのに、もう死にます。謝るなと言われたので謝りません」
「……なぁ、シール。最後にいいか――俺、ここまで『旅』してきたんだ。お前に出会うまでも、死んだ後も一人ぼっちだったってのに、いつの間にか一人じゃなくなっててよ。すっかり『皆無』じゃなくなってた」
「そうですか……楽しかった、ですか?」
「わかんねぇ。ただ、悪くはなかった。お前が本当にいなくなったら、泣くかもしれねぇが」
「私だって、一人で天の国まで行くのは寂しいです。泣いちゃいます。ですから、子供たちも一緒に連れて行って、いいですか?」
「……頼んだ」
ニッコリ笑ったシールは、光と共に消えていく。体は地の底へ沈み、その意志、魂は、カイムの体から子供たちの血と意思を連れて登っていった。
「……旅が、ようやく終わったな」




