『レイズ』天使の選択
――虚ろ、だ。
長いこと、シールのために続けてきたこの旅。救ってもらった恩を返すため。愛してくれた恩を返すため。あの別れの夜に朝日を指すため。長い雨を乗り越えてきた。
だがそれは、過去を見て、過去を生きてきたから出来たことだ。過ぎ去った時間は戻らないと知りながら、ひたすらに駆けてきた。
その道すがら、過ぎ去った時間に変わる、新たな『今』と『未来』。旅はいつの間にか、そいつのためにあった。シールとの踏ん切りをつけて、そいつ――アリスと共に歩もうと、心のどこかで決めていた。
「カイム様、夕飯の準備が出来ました」
そのアリスが、いない。こんな未開拓地域のどことも知れぬ川辺で、シールもアリスもいないというのに、サーラルだけがいる。
「……帰っても、いいんだぞ」
ポツポツと雨が降ってきた夕飯時に、野宿にも慣れてきたサーラルへ投げかける。もうこれ以上付き合うこともないと。
「サスーリカの奴が言ってたろ。丹精込めて作ったスティーリアから守る護衛部隊があるだとか」
サスーリカがサーラルに帰れと言ったのは、なにもスティーリアの玩具に戻れというわけではなかった。今度はしっかり守ってやるから。王族としての扱いを保障するから。だから先に帰っておけ。そういう背景があった。
血の石碑を壊しに来たという目的も、ニオがリャナンシーと契約者について説明すれば納得してくれ、ロスタインが見つけ次第、保護地域として守ってくれることになった。
惰性のように続けている旅に付き合わず、帰れ。何度も言っているが、サーラルは取り合わない。
「私の居場所はもう、カイム様の隣だけですから」
すっかり、その顔にかかる分厚い雲を払うことを忘れたサーラル。依存だ、独りよがりだと説得しても、帰る様子はない。カイム自身も強く出られない。アインヘルムの時のように心が折れたわけではないが、だからといって、強くあれるわけでもない。アリスがいないというのはそれほど大きい。
それに、血の石碑を見つけてからハイランドに乗り込んでシールの遺体を取り返すまでが旅なのだ。まだ血の石碑の場所すらつかめていないのでは、話にならない。
このまま、サーラルに身を委ねてやろうか。ここまで来て、最後の最後に楽な道を選ぶか。
そう思い悩む日々が続いた雨の降る夜更けに、白い羽根が舞っていた。
「――ずいぶんと、気概のない顔だな」
「テメェが来るときは、いつも雨が降ってたな。クラッド」
サーラルが立ち上がり魔術を放とうとして、止めた。
「シールの血が欲しいんだろ? ……やるよ。天使の羽根とやらで蘇らせてやってくれ。それでもう、俺たちを放っておいてくれねぇか」
シールは蘇り、もはやここからでは地の果てにあるハイランドで王女として暮らす。カイムは子供たちの血を――魂を天に帰してやるために、血の石碑への旅を続ける。
その先は知らない。たぶんだが、そこまで行って、とうとう本当に虚ろ――皆無になる。
「……ふざけているのか」
「あ?」
「ふざけているのかと聞いている!」
クラッドは地に降りると、項垂れるカイムの胸倉をつかんで立ち上がらせた。
「私自身、アインヘルムでは『こんなやり方でよかったのか』と迷っていた。たった一人で天使の血を引く私に挑み、互角以上にやってのけた貴様を正面から倒さないでは恥だとも思いなおした! その貴様が、なにを腑抜けている!」
「テメェのお仲間のせいだ。あの王子がいなきゃ、俺はまだ抗ってやった。だがあいつが、俺から奪っていったんだよ。せっかく前を向こうっていう、意思そのものをな」
「スティーリアがつまらんことをしたのは知っている! しかし、貴様はそれでいいのか! 不遜で愚かな貴様はどこへいった! 半年――いや、もうそれ以上前に、シールを奪い返しに来た貴様はどこだ!」
「……知らねぇよ。そもそも、血の石碑も見つからねぇんだ。心が折れていないだけ、まだマシってやつだ」
「ならば貴様は『その気になれば』、あの嵐の夜と同じように戦えるのか」
「その気になれたらな……心を折ったら、遠くにいる治してくれた奴に申し訳が立たねぇ。つっても、余程のことがねぇと、戦う気力なんて……」
「ならばその目を覚ましてやる――!」
クラッドはカイムを突き飛ばすと、一枚の紐でくくった羊皮紙を投げ渡した。開けば、ここら周辺――チエーニ地方の地図が書かれていた。
「そこのイングで囲んだ場所に血の石碑がある。もはや不要かと思い、スティーリアにも話さずにいたが――貴様が目を覚まし、正面から向かってくる舞台としては申し分ないだろう」
カイムの目はクラッドに釘付けだったが、ニオとサーラルが地図を覗き込んだ。
「そこで決着をつける! 賭けにも乗ってやる! 私はレイズだ! シールの遺体を持っていき、チップの代わりに積んでやろう! 代わりに貴様はシールの意思を賭けろ!」
「クラッド、お前……馬鹿馬鹿しいとか、価値はねぇとか……」
「その考えは捨てた! 立ちふさがる敵は叩いてつぶす! この体に流れる天使ホロウの血に誓ってな!」
クラッドはそこまで言うと、「先に行っている」と言い残し飛んでいった。カイムには、ずっと探してきて、それでも見つからなかった血の石碑の居場所がある。
「……レイズ、か。なら俺はコールだ。もう、それしかねぇからな」
ゆらっと立ち上がったカイムは、本降りになり始めた雨の中、サーラルに告げる。「もう帰れ」と。
「お前が嫌いだ。大嫌いだ。依存するところは気持ち悪いし、テメェがいなかったらアリスがここにいた。邪魔なんだよ」
「カイム、様……?」
「その顔つきも嫌いだ。見たくもない。金持ちの王族ってのも嫌いだ。大嫌いなんだよ」
サーラルは、しばらく黙っていた。なにかを口にするたび、カイムはサーラルを突き放し、その顔に絶望が刻まれると、雨の中、馬にまたがった。
「もう荷馬車の旅なんかやめてやる。王族なら王族らしく、帝都で貴族相手にガキでも作ってろ」
サーラルはなにも言わない。もし何か言い返してきてもいいように、ニオを乗せて走り出す。嵐になりつつある暗い雨の中、駆けていった。
「――少し、言い過ぎじゃないのかい?」
ニオが若干、軽蔑の籠る声で言うが、そうでもしないと付いてくると返す。
「サーラルにとって、俺は都合のいい相手だ。近くにいて、守ってくれて、存在を肯定してくれる男。そこに、異性への感情はねぇ……帝都に帰れば、サスーリカの用意した連中が守ってくれるだろうしな。俺よりもっと、しっかりした奴もいる」
「そうかい。なら好きにするといいさ。どうせボクは君と一緒に行くんだから。君がどんな選択をしても、契約者として共にいるよ」
ニオの言葉に優しさを感じた。そういえば、嵐の中を馬に乗って駆けるのは、シールが死んだ日と同じだ。あの時も、味方はニオしかいなかった。
「旅の最後まで、付き合ってもらう」
「了解。ここまで来たんだ。生き返りませんでしたじゃ、なにもかも中途半端だ」
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血の石碑があるとされるのは、チエーニ地方のど真ん中だ。サーラルの地図では南へ行くように記されていたが、ロスタインは詳細を知らなかったのだろう。
クラッドから地図を受け取ってから一か月。いい加減、開拓のために作られた街も減ってきた。たまにあっても、ロスタインの騎士は見当たらない。もともとこの地に住んでいた人々やエルフがおり、一応雨風しのげる馬小屋や廃屋で眠れることもある。
もう何日かすれば、とうとう血の石碑にたどり着く。ニオは小さな体で「記録」だと、羊皮紙になにかを書いては、伝書鳩やチエーニ地方に住む人々に届けてもらうように頼んでいた。
誰にあてた記録なのかと聞いても、精霊同士の秘密だと教えてはくれないが……別にいい。今更引き返したり、行き先を変えたりはできない。
どうあれ、あと数日で旅は終わる。
「ねぇ、カイム」
そんな、血の石碑が目前に迫った夜に、馬小屋で眠っている時だった。珍しく、ニオがしおらしい声で呼んだのは。
「君にとっては、この旅は大変な事ばかりだと思うけれど、ボクはね、楽しかったんだ」
「藪から棒にどうした」
「なに、君がクラッドに負けて殺されたらボクも死ぬ。信じてはいるけれど……やっぱりクラッドは強い。今までみたいに逃げることもお互いしないだろう? 勝った方がその場でシールを得るんだからさ。君が勝てば、この先ずっとシールといられる。ボクは邪魔者になるかもしれない――だから、最後にいいかな」
「……ああ」
ニオは悲しげに微笑むと、言葉を紡ぎ出す。ずっと一緒にいてくれた相棒の本心を吐露し始めようとして。
「なんて、ね。君のことは信じてる。だから言うのは、本当の別れの時にするよ」
まったく、なにを言っているのだか。呆れつつニオと目を合わせると、拳を向けた。人間の拳に、ニオは小さな拳をぶつけた。
「最後なんて来ねぇよう頼むぞ、相棒」
「こっちこそ、負けたら承知しないからね」




