助けてください
扇動美鈴が神崎伊予に対して愚痴っていたのは、実は監視がばれないようにの行動だった。
もちろん本音も混じっていたのだが、マーリンが目の前でさらわれた後無気力なまま一言も話さなくなったことに対し、全員心配していたのだ。
そこで年齢が近くて作戦協力をしていた扇動美鈴が見張ることになったのだ。布動俊介は能力使いすぎての頭痛原因を病院で検査していたので、見張ることができなかった背景もある。
しかし扇動美鈴がお手洗い行っている間に病院から姿を消していた。扇動美鈴が謝る中、手が空いていた竜宮健斗と崋山優香が追いかけていた。
行く場所はおそらくマーリンと別れてしまった場所。そして青い血の二番が実質管理している病院。
NYRON郊外は子供の足で行くには遠い。そして神崎伊予にはバスに乗るお金もない。ならば走れば追いつけると考えていた。
そして竜宮健斗の考え以上、ある意味以下に、すぐに神崎伊予は追いつかれた。病院から一キロメートルの場所でベンチに座って息を荒げていた。
普段から運動していなかった少女にはキロメートル単位の歩行は過酷だったようで、暴れる様子見もせずに竜宮健斗が伸ばしてきた手を取る。
「伊予、帰ろう。助けたい気持ちはわかるけどさ……」
「帰るってどこに?」
神崎伊予は恐怖を抱きたくなるほどの純粋で真っ直ぐな瞳を竜宮健斗に向ける。
魔法使いの弟子達は帰る場所を見失った子供達が集まったような集団で、全員がマーリンを中心に生活していた。
特に神崎伊予の依存度は強かった。常にマーリンの傍で毛布に包まっていたほどである。
駿河瑛太は家族の元に、音波千紘は流れのままに、彩筆晶子は神に祈りを捧げる家に、氷川露木は闇へ。
幸か不幸かの判別はできないが、弟子は帰る場所、進むべき場所を見つけた。しかし神崎伊予にはそれがない。
駿河瑛太のように家族はいない。音波千紘のように流れにも乗れない。彩筆晶子のように神を信じることはできない。氷川露木のように闇へ進む力もない。
なにもない、無。それが今の神崎伊予だった。能力で未来を見ようにも、全ての画面にモザイクがかかって端から壊れていく。
正気を保てなくなってきている。マーリンを失ったことは神崎伊予にとって人生の終わりと同義だった。
泥船が沈むのを眺めるような静かさで、神崎伊予は少しずつ壊れ始めている。音もなく、破壊もなく、衝動もなく。
そんな神崎伊予に竜宮健斗は問いかける。
「伊予はどこに帰りたい?」
掴んだ手を強く握って、竜宮健斗は神崎伊予の瞳を見つめる。恐ろしいほど綺麗な子供の瞳。
今まで助けを乞うてきた少女は、その問いが最初どんな意味があるのか理解できなかった。
帰る場所なんてどこにもないのに、なんでそんなわかりきったことを聞くのか。
父母もマーリンも弟子達も、全員が神崎伊予から離れていった。神崎伊予の意思など関係ないまま。
そんな状況で帰りたい場所などあるはずがない。最初からどこにもない。神様も魔法使いも、全てが神崎伊予を助けることができない。
このまま何も理解できないまま壊れてしまいたいほど、考えるのが鬱陶しくなってきた神崎伊予は黙り込む。
ただ握られた手が熱く、マーリンの手とは少し違う感触が新鮮だった。母親の手は細長くて冷たくて、その手で煙草の火を押し付けてきたのを思い出す。
守るためだったのを神崎伊予は知っている。それでも赤と黒が混じった火が肌を焼くのは声も出ないほどの痛みだった。
そんな母親は父親に殺された。思い出すのは真っ赤に染まった割れた瓶。硝子の尖りがまるで血肉を喰らった悪魔のような歯に見えた。
怖くて震えて、願った。助けてください、神様なんていないから魔法使いに願いが届くように祈った。
助けてくれた魔法使いも今は手が届かない場所で苦しんでいるだろう。もう二度と会えない、そんな気分だった。
だからどこに帰りたいかと言われたら、言われたら……と神崎伊予は気力のない声で呟く。
「お母さんのお腹の中」
こんな風に苦しむこともなく、考えることもせず、ただ生きているだけで愛されていたであろう、思い出せない時間。
誰かの体の中で守られて、何も心配することもなく、醜い体を隠す必要もない、確かに誰かと繋がっていた場所。
例え誰であっても戻れない場所を神崎伊予は求めた。戻りたい、戻ってもう一度やり直したい。
そんな神崎伊予の考えを見透かしたように、竜宮健斗は苦笑しつつ言葉を返す。
「まるでマーリンだな」
「……え?」
「帰りたい場所じゃなくてさ、戻りたい場所を言うところがそっくりだ」
マーリンは世界を救う、そのために過去をやり直すために、青い空の下に戻るために、行動してきた。
しかしマーリンは一度もその場所に帰りたいと言わなかった。それをずっと傍にいた神崎伊予は知っている。
では魔法使いはどこに帰りたかったのだろうか。それを神崎伊予は知らない。すると竜宮健斗が鼻唄を歌う。
音も外れて滅茶苦茶なメロディーなのに、神崎伊予はその曲がわかった。マーリンが前に情操教育と言って借りてきたビデオで流れていた。
魔法使いが出かけている間に弟子が魔法の帽子を被って暴走してしまうお話。最後は魔法使いはちゃんと弟子の元に帰って来ていた。
「律音の演奏会で聞いたんだ。良い曲だよな」
「ケンが歌うと違った曲に聞こえてきたけどね」
「え?」
「音痴が無茶しないの、馬鹿」
崋山優香とそんなやり取りをして竜宮健斗の顔は真っ赤だ。
しかし神崎伊予の手は離さない。ずっと掴んだまま、話を続けていく。
「これは俺の勝手な考えだけどさ、マーリンの帰りたい場所はきっとジョージ・ブルースが作った世界じゃない」
「……」
「まだ俺にはその世界がどんなものかもわからない。もしかしたら俺達の世界より幸せなのかもしれない」
「……」
「でもそれが伊予の幸せを壊す物なら、誰かを犠牲にして成り立つ物なら、俺は許さない」
「……」
「だけど俺は非力な子供なんだ。あの狼ロボット一体にすら勝てない、弱い奴だ」
「……」
「代わりに心強い仲間がいる。消失文明から未来世界、果ては地底遊園地のオーナーや青い血の人外、不可能がないんじゃないかってくらい、強い仲間」
「……」
「だからさ、一言で良い。俺達を動かす言葉を出してくれ。それがあるだけで俺達は手を取り合える」
「たすけ、て……助けて、ください」
竜宮健斗の手の上に涙が落ちて流れる。神崎伊予の視界に色鮮やかな画面が復活していく。
神でもない、魔法使いにでもない、目の前にいる少年に神崎伊予は祈る。とても単純な、だけど心の底から願う言葉。
可能性が竜宮健斗を中心に広がっていく。希望も絶望も全てがある、良いことばかりではない未来の確率。
だけどその中にある画面には神崎伊予がずっと欲しかった未来がある。マーリンと笑って一緒にいられる未来。
その小さくて今にも壊れそうな画面の向こう側を見る。大人になって誰かと結婚して、小さな命が産まれる。
頼りなくて不安で大声で泣き出すその命は、確かに世界の中で呼吸を始めた。神崎伊予のように。
どんなに足掻いて世界に絶望しても、その世界で呼吸を始めたのは自分自身だった。それはとても単純なこと。
生存本能ゆえの呼吸だったかもしれない、何も知らないがゆえに息を吸い込んだのかもしれない。それでも確かに呼吸を始めた。
いつしか言葉を覚えて、誰かと出会って、声を交わして、体を寄り添って、そして可能性は続いていく。
近い未来しか見えなかった神崎伊予にとって、画面の向こう側は広大だった。自分の視界だけじゃ収まりきらないほどの未来。
「応。その言葉を待ってた」
竜宮健斗の声に神崎伊予は我に戻る。目の前にあるのは決意した力強い目。
崋山優香は仕方ないなといった様子で竜宮健斗を見ており、神崎伊予と視線が合うとウインクしてきた。
いつだって竜宮健斗は間違えないように進んできた。でも今回は違う、間違えてもいいと考えている。
マーリンをジョージ・ブルースから奪い返す、その答えが間違っていてもきっと後悔しないと心に決めた。
もしかしたらマーリンは望んでないかもしれないし、世界を一つ壊してしまうかもしれない。
それでも神崎伊予が涙を流さなくなるなら、それもいいかもしれないと思ったのだ。
「優香、馬鹿な俺だけどついてきてくれるか?」
「いまさら?残れって言っても私はケンについていくからね」
お互いに顔を見合わせて笑う。クラリスの事件では崋山優香は置いて行かれそうになった。
しかし今は違う。竜宮健斗の仲間として崋山優香は欠かせない存在となった。
アニマルデータやクロスシンクロ、能力や特別な個性もない少女だが、それが鍵となる場所がいくつもあった。
相手は青い血の二番、地底遊園地で竜宮健斗達を苦しめた敵。あらゆる手段で子供達を殺そうとしてきた。
今回もおそらくあらゆる手を使ってくるだろうと、馬鹿な竜宮健斗でも予想できた。だからこそ総力戦として挑む。
デバイスのメール機能を使って、今まで知り合ってきた全員にメールを送る。地底からネット、時間さえも飛び越えて未来にも。
そのメールを見た全員が笑みをこぼす。お祭り騒ぎを聞きつけた子供のような、どこか楽しむ様子で。
「伊予、お前の力も貸してくれよ。予知って、あらかじめ知るってことが武器なのを俺は知ってる」
この能力者にまつわる事件において、予知能力が大きな効果を持つことは証明されている。
竜宮健斗の言葉に神崎伊予は頷く。マーリンを救えるなら、願いが叶うのなら、どんなことにも挑めそうだった。
病院へと帰る間、神崎伊予は竜宮健斗とだけでなく、崋山優香とも手を握って歩いた。
今まではマーリンだけだったので両手が塞がることはなかった。しかし今は両手が塞がって、密やかな満足感を味わっていた。
そして竜宮健斗に届いた返信メールによって、神崎伊予は帰る場所を得ることになる。
青頭千里の笑顔を前に神崎伊予は竜宮健斗の後ろに隠れる。明らかに警戒した子供の行動だ。
しかし笑顔を崩さないまま青頭千里は手招きする。その横には微妙な顔の音波千紘が立っている。
「ほーら、おいでー。怖くないよー」
「いや、こえーよ」
横から冷静にマスターが横槍を入れる。崋山優香も同意見なので何も言わない。
笑顔は笑顔なのだが、何か企んでいる笑顔なのだ。害はなさそうだが、信じるには不十分な笑み。
竜宮健斗はそのことに気付かないまま、返信メールの内容について問う。
「千紘と伊予をなんでおっさんが預かる話に?しかも養子縁組じゃないって」
「おっさ……それはいいとして、実は個人的に前から計画していたことがあってね。彼らにはそれに協力してもらおうかと」
そう言って青頭千里はノートパソコンに表示した資料を竜宮健斗と崋山優香に見せる。
内容は特殊管理が必要な児童の育成を目的とした、街単位での学校設立プログラム。
既に土地の売買やあらゆる企業との契約、政府との交渉も済んでおり、あとは学校法人として行動するだけの段階まで来ている。
短期間では揃えられないであろう条件は、暗に長い期間を使っての大型計画であることを示唆している。
「実はアニマルデータが広がり始めた頃からこんなことが起こるのではないかと危惧していてね。未来ある若者を蔑ろにするのは心痛んでね」
いけしゃあしゃあと、とマスターは言葉にせず青頭千里に冷たい目を送る。
全部自分が楽しむための内容を、さも人助けをしていますよと言葉を変えているだけの話。
別に青頭千里は嘘つく必要はない。そんなことしなくても社会的優位な立場にいるからだ。
恐ろしいことに青い血の人外、その一番は黙っていることや隠していることはあっても、嘘を吐いたことがない。
誤魔化すことはあっても、それは話の矛先を変えたりする誘導であったりと、言葉巧みに操作するのだ。
実際に今まで青頭千里の言葉に嘘はない。こんな極悪な正直者がいるなんて悪夢だと、マスターは一般人を憐れんだ。
そんな人外も子供の前ではたまに形無しだったりするのだが、それはまた別の話である。
「千紘くんの事件に関してもあらゆる機関が手に余る案件だと揺れていてね。なにせ今後こういった事件が増えることは前のアニマルデータ記者会見の時に説明してるしね」
「おっさんがポテチの袋と缶のプルトップ開けれなかった時か」
会見前の車での出来事を思い出して、竜宮健斗は悪意なく青頭千里が不器用なことを告げる。
その言葉にマスターは思いきり吹き出した後、足をばたつかせるほど大笑いする。青頭千里の顔は青いが、これは人間でいう赤面である。
顔に血が上っても血が青いので、赤面ではなく青面になるのがある意味青い血の特徴である。
「こほん。とりあえず今回の事件を参考に能力者開発や研究も目的としつつ、平和と子供達の未来のためにこの計画を実行したいんだ」
「……それで?」
「今回の事件を全て不問にし、最初の事例として彼らには代表ということで僕の育成機関に所属することになる。ようするに支援教育、かな」
「全て不問!?……って?」
「馬鹿ケン。罪に問わない、なかったことにするということよ」
崋山優香に説明されてやっと竜宮健斗は二人が集められた理由を知る。
つまり青頭千里が二人の帰る場所を作ったのだと、そう解釈した。あながち間違ってはいないが、正しくはない。
ただしそれを知るには竜宮健斗の知識は乏しく、音波千紘と神崎伊予は抗う術や理由がない。
青頭千里は笑顔を張り付けたままこのチャンスを逃がさないように話を進める。
「計画始動は来年から。それまでにマーリンを救い出せるなら、彼との住居も手配してあげるよ」
「まじか、おっさん!太い腹!!!」
「太っ腹ね。僕こう見えても脂肪値をもう少しあげた方がいいのではと言われる健康お兄さんだからね」
「ひーっ!!腹が捩れる、健斗、お前最高だわ!!あははははははは!!」
マスターは容赦のない竜宮健斗の天然発言がおかしくて、笑いが止まらない様子である。
音波千紘は神崎伊予に視線を送る。予知の能力で青頭千里の策に乗るのはどの可能性が大きくなるのか、知りたいからだ。
瞼を閉じて集中した神崎伊予は広がる多数の可能性画面を眺め、そしてある画面が大きくなったことで決断する。
「わかった。貴方の人形になってあげる」
見えない操り糸を探るような視線で神崎伊予は告げる。味方ではなく、人形と答えたのもそうだ。
全ては青頭千里の手の中で終わってしまう。しかしそれが不幸とは限らない、素直に従うかは別としての話だが。
挑発的な言葉にも怒り一つ見せないまま、青頭千里は笑顔で子供達に無茶難題を突き付ける。
「了解。というわけで、ジョージ・ブルースを二度と立ち上がれないようにしてね☆」




