婚約者のお役目、頑張ります!
――リリス視点。
翌朝、私はいつもより少し早く目を覚ました。昨夜はなかなか寝つけないと思っていたのに、ふかふかの寝具が心地よかったのか、いつの間にか眠ってしまったらしい。
窓から差し込む朝日を眺めながら、私はそっと頬に手を当てた。……今日は、ルシアン様と朝食をご一緒する日。昨日も夕食をご一緒したのだけれど、なぜか朝食となると少し特別な気がする。
身支度を手伝ってくれる侍女に、私は思い切って尋ねてみた。
「あの、ルシアン様は普段、どのような朝をお過ごしなのかしら?」
「ルシアン様でございますか? 朝は早くからお仕事をなさることが多いですね」
「そうなのね……」
王太子殿下の側近を務めるルシアン様は、きっと毎日お忙しいのだろう。そんな方が、私との朝食を楽しみにしてくださっている。……それなら、せめて楽しい時間にしなくちゃ!
「今日の髪は、少しだけ華やかにしてもらえる?」
「かしこまりました。ルシアン様も、きっとお喜びになりますよ」
侍女が嬉しそうに微笑んだ。どうしてルシアン様が喜ばれるのかしら?不思議に思いながらも、私は鏡の中の自分を見つめた。
淡い桃色の髪をゆるくまとめ、いつもより少しだけ可愛らしい髪飾りをつけてもらう。……うん。これなら、婚約者として恥ずかしくないはず。
そうして迎えた朝食の時間。食堂へ入ると、ルシアン様はすでに席に着いていらっしゃった。
「おはようございます、リリス」
「お、おはようございます、ルシアン様!」
私に気づいた途端、ルシアン様が柔らかく微笑まれる。慌てて淑女の礼を取ると、ルシアン様がふと目を細められた。
「……今日は、髪を結い上げているんですね」
「は、はい。少しだけ、雰囲気を変えてみました」
「とてもよく似合っています。……可愛らしいですね」
……っ!?か、可愛らしい!?私は思わず固まってしまった。
「あ、ありがとうございます……!」
ルシアン様は満足そうに微笑むと、私の椅子を引いてくださった。
「どうぞ。今日は、あなたの好きそうなものを用意してもらいました」
「まあ……!」
テーブルには、焼きたてのパンに果物、温かなスープ、卵料理まで並んでいた。……本当に、豪華になってる!昨夜の使用人たちの会話を思い出し、私は思わず料理を見つめた。
「……何か、気になるものがありましたか?」
「い、いえ!とても美味しそうで……!」
「それはよかった。遠慮なく召し上がってくださいね」
私は小さく頷き、そっとパンを手に取った。
……よし。残さずいただこう。そんな私の決意を知るはずもなく、ルシアン様は穏やかにお茶を口に運んでいらっしゃった。
しばらくして、私は昨夜から考えていたことを思い出した。
「あの、ルシアン様」
「はい?」
「今日は、何か私にできることはございませんか?」
「……できること、ですか?」
「はい。せっかくこちらでお世話になるのですから、私も何かお役に立てればと思いまして」
そう告げると、ルシアン様は少し考え込まれた。
「……そうですね。では、お願いしてもよろしいですか?」
「はい!もちろんです!」
思わず身を乗り出すと、ルシアン様がくすりと笑われた。
「今日の午後、少しだけ私に時間をいただけませんか?」
「……お時間、ですか?」
「ええ。屋敷の庭をご案内したいんです。あなたと一緒に歩けたら嬉しいのですが」
……お庭を、一緒に?それは、お役目というより……。
「もちろんです!喜んでご一緒いたします!」
そう答えると、ルシアン様は目を細められた。
「ありがとうございます。楽しみにしていますね」
……また、そんなに嬉しそうなお顔を。私まで嬉しくなってしまうじゃないですか。
◇ ◇ ◇
午後、約束の時間になると、ルシアン様が私の部屋まで迎えに来てくださった。
「お待たせしました、リリス」
「いいえ!私も、今ちょうど準備ができたところです」
「では、参りましょうか」
差し出された手を、私はそっと取った。手袋越しなのに、なぜか胸が落ち着かない。
お屋敷の庭は、想像していた以上に美しかった。季節の花々が咲き誇り、石畳の小道が奥へと続いている。噴水のそばには白いベンチが置かれ、木々の間から柔らかな日差しが差し込んでいた。
「素敵なお庭ですね……!」
「気に入っていただけましたか?」
「はい!とても!」
思わず笑顔になると、ルシアン様はほっとしたように息をつかれた。
「それならよかった。あなたが退屈しないか、少し心配だったんです」
「そんな!退屈だなんて、とんでもありません!」
私は慌てて首を振った。
「それに……ルシアン様とご一緒できるだけで、楽しいですから」
……あ。言ってから気づいた。い、今の、少し馴れ馴れしかったかしら!?
「す、すみません!今のは、その……!」
慌てる私に、ルシアン様は何もおっしゃらなかった。ただ、つないでいた手をほんの少しだけ握り直される。
「……私もです」
低く、優しい声だった。
「あなたと一緒にいられるだけで、嬉しいですよ」
……っ!! 心臓が跳ねた。そんなことを言われたら、勘違いしてしまいそうになる。私は俯きながら、小さく頷くことしかできなかった。
そのとき、ルシアン様がふと足を止められた。
「……リリス」
「はい?」
先ほどまでの柔らかな表情が、少しだけ真剣なものに変わる。
「ひとつ、お願いがあります」
「お願い、ですか?」
「ええ。犯人が捕まるまでは、庭園を含め、屋敷の外へ一人で出ないでください。外出する際は、必ず私か護衛に声をかけてほしいんです」
私ははっとした。そうだった。王女殿下を狙った犯人は、まだ捕まっていない。ルシアン様が私をこちらへ迎えてくださったのも、その危険から守るためなのだ。
「……はい。分かりました」
「窮屈な思いをさせてしまって、申し訳ありません」
「いいえ!私のために、ありがとうございます」
そう答えると、ルシアン様は静かに首を振られた。
「……あなたに何かあったら、私はきっと後悔します」
その声には、先ほどまでとは違う切実さがあった。私は思わず、ルシアン様を見上げた。
「ですから、どうか。あなた自身の安全を、一番に考えてください」
こんなにも真剣に、私のことを心配してくださるなんて。私は胸の奥が温かくなるのを感じながら、しっかりと頷いた。
「はい。お約束します」
すると、ルシアン様はようやく安心したように微笑まれた。
「ありがとうございます、リリス」
その笑顔を見た瞬間、私はふと思った。いつか、この仮の婚約が終わっても、今日のことを私はきっと忘れない。この優しい時間も、つないだ手の温もりも、全部大切な思い出になるのだろう。
だからこそ、今は――。
「ルシアン様」
「はい?」
「明日も、お庭をご一緒していただけますか?」
ルシアン様が驚いたように目を見開かれた。そして、ゆっくりと微笑まれる。
「……もちろんです。何度でも」
そのお返事が嬉しくて、私は思わず笑ってしまった。
……ああ、どうしましょう。仮の婚約者なのに、私はもう、明日が楽しみで仕方ありません。




