婚約者のお役目は、甘すぎます!
――リリス視点。
ルシアン様のお屋敷で暮らし始めて、まだ数時間。
私は早くも、重大な問題に直面していた。
……どうしましょう。ルシアン様が、優しすぎます。
「リリス。お茶はいかがですか?」
「は、はい!いただきます!」
案内された居間でお返事をすると、ルシアン様は控えていた侍女に声をかけられた。
「お茶を。それから、用意しておいた菓子も頼む」
「かしこまりました」
しばらくして運ばれてきたのは、色とりどりの焼き菓子だった。小さな果実のタルトに、花の形をしたクッキー。ふわふわの焼き菓子まで並んでいる。
「わあ……!」
思わず声を上げると、ルシアン様が嬉しそうに微笑まれた。
「気に入っていただけましたか?」
「はい!とても可愛らしいです!」
「それはよかった。エレオノーラ殿下に、あなたの好みを伺っておいたんです」
「わ、私の好みを、ですか?」
「ええ。甘いものがお好きだと聞きましたので」
ルシアン様はごく当たり前のように頷かれた。
「これからは、好きなものを遠慮なく言ってくださいね」
……っ!私を保護するだけでも大変なのに、好みのお菓子まで用意してくださるなんて。
「あ、ありがとうございます。でも、どうか私のためにそこまでお気遣いなさらないでください」
「……お気遣い?」
ルシアン様が不思議そうに首を傾げられた。
「婚約者に喜んでもらいたいと思うのは、当然ではありませんか?」
……当然。そうなのかしら。婚約者とは、こんなにも大切にしていただけるものなの?
いえ、違うわ。これはきっと、ルシアン様が特別にお優しいから。
私はそっと胸を押さえた。……心臓が、もちそうにありません。
ふと、目の前のお菓子に視線を落とす。
そうだわ。私も、婚約者として何かお役に立たなくては!
「あの、ルシアン様。お好きなお菓子はございますか?」
「私ですか?」
「はい!次はぜひ、ルシアン様のお好きなものを用意していただきたいです」
すると、ルシアン様は少し驚いたように目を見開かれた。
「……私の好みを、気にしてくださるんですか?」
「も、もちろんです!婚約者ですから!」
そうよ。これくらいは当然のお役目よね!
そう思って頷くと、ルシアン様は口元を押さえ、ふいっと顔を背けられた。
……あら?
「ルシアン様?」
「……いえ。何でもありません」
なぜか、お耳が少し赤いような……?
「……ありがとうございます、リリス。とても嬉しいです」
そう言って微笑まれたお顔があまりにも優しくて、今度は私が赤くなってしまった。
……お役目を果たすだけで、こんなに喜んでいただけるなんて。
婚約者って、なんて素敵なお仕事なのかしら!
◇ ◇ ◇
夕食の時間。食堂へ向かうと、ルシアン様がすでに席に着いていらっしゃった。
「リリス。こちらへ」
そう言って、ご自分の隣の席を示される。
「あ、あの……こちらでよろしいのでしょうか?」
「もちろんです。何か問題が?」
「い、いえ!」
婚約者だから、隣に座る。そういうことなのね!
私は緊張しながら席に着いた。
「苦手なものはありませんか?」
「はい。何でもいただけます」
「それはよかった。明日からの献立も、あなたの好みに合わせられるようにしておきますね」
「そ、そんな!私のために献立まで変えていただくなんて!」
「変えるというほどではありませんよ。私も、あなたと同じものを食べたいですから」
……っ! お、同じものを……?
なぜか、その言葉が胸に響いた。
でも、待って。先ほど、私も婚約者としてお役目を果たすと決めたばかり。ここは、私も何かお返しをしなくては!
「あの、ルシアン様」
「はい?」
「私も、ルシアン様のお好きなものを知りたいです!」
すると、ルシアン様の動きがぴたりと止まった。
「……私の?」
「はい!お食事でも、お飲み物でも。何でも教えてください!」
ルシアン様は、しばらく私を見つめていらっしゃった。
……あら?何か、おかしなことを言ってしまったかしら?
「……では、ひとつお願いしてもよろしいですか?」
「はい!何でしょう?」
ルシアン様は少しだけ微笑まれた。
「明日の朝も、こうして一緒に食事をしていただけますか?」
「も、もちろんです!それくらいでしたら、喜んで!」
そう答えると、ルシアン様の表情がぱっと明るくなった。
「……ありがとうございます。楽しみにしていますね」
そんなに嬉しそうにされるなんて。ただ一緒に朝食をいただくだけなのに……。
いえ、きっとルシアン様は、私がこのお屋敷に馴染めるように気を遣ってくださっているのね。
本当に、お優しい方だわ。
私は改めて心に誓った。ルシアン様のご負担にならないよう、立派な婚約者にならなくちゃ!
◇ ◇ ◇
夕食を終えて部屋へ戻る途中、廊下の向こうから小さな声が聞こえてきた。
「……ルシアン様が、あんなにお笑いになるなんて」
「ええ。アマリリス様がお越しになってから、ずっとご機嫌でいらっしゃるわ」
「先ほどなんて、明日の朝食をご一緒できると、とても嬉しそうで……」
思わず足を止めそうになる。
ルシアン様が、私との朝食を楽しみにしてくださっている?
……まさか。きっと、私が少しずつお屋敷に馴染めていることに安心してくださっているのね。
本当に、責任感の強い方だわ。
私は胸の前で両手を握りしめた。もっと頑張らなくちゃ!
お部屋に戻ってからも、ルシアン様の笑顔が頭から離れなかった。あんなに嬉しそうなお顔をしてくださるなら、明日はもっとお役に立てることを探してみよう。
……でも、あまり張り切りすぎて、ルシアン様のご迷惑になってもいけないわよね。
私はベッドに腰かけ、そっと胸に手を当てた。
これは、あくまで仮の婚約。いつか終わると分かっているからこそ、今だけは精いっぱい頑張りたい。
ルシアン様が、私を婚約者にしてよかったと思ってくださるように。
そう願いながら、私は明日の朝食を思い浮かべた。
……明日は、どんなお話ができるかしら。
それを考えるだけで、頬が緩んでしまう。
仮の婚約者なのだから、期待してはいけない。そう分かっているのに。
私はきっと、明日の朝が待ち遠しくて、なかなか眠れそうにない。




