花嫁になる準備
――リリス視点。
「……こちらの白い薔薇はいかがでしょう?」
目の前に差し出された花の見本を見て、私は思わず頬を緩めた。
「まあ……とても綺麗ですね」
昨夜の夜会から一夜明け、今日はルシアン様との結婚式に向けた打ち合わせの日。テーブルの上には、花の見本や招待状の意匠、式で使用する装飾品の資料が並べられている。
……結婚式。
その言葉を心の中で繰り返すだけで、胸がくすぐったくなる。
少し前まで、私はルシアン様の仮の婚約者だと思っていた。それなのに今は、こうして本当の花嫁になる準備をしている。
なんだか、まだ夢を見ているみたい。
「アマリリス様。こちらの淡い薔薇色のお花も、よくお似合いになるかと」
担当者が、別の見本を差し出してくれた。
白い薔薇の間に、小さな薔薇色の花が添えられている。華やかだけれど、優しい雰囲気の花束だった。
「こちらも素敵ですね。ルシアン様は、どちらがお好きでしょうか……」
思わず呟くと、隣から穏やかな声がした。
「私は、こちらが好きですね」
振り向くと、ルシアン様が薔薇色の花束を指していた。
「……こちらですか?」
「ええ。あなたによく似合いますから」
彼はそう言って、私を見つめた。
「白い花も美しいですが、リリスの好きな色が入っている方が、あなたらしいと思います」
……私の好きな色。覚えていてくださったんだ。
「……ありがとうございます。では、こちらにしましょうか」
「ええ」
担当者が微笑みながら記録を取っていく。
……こうして一つずつ、二人で決めていくのですね。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
◇ ◇ ◇
「では、次にお衣装についてですが……」
担当者が新しい資料を広げた。
そこには、何着もの婚礼衣装の意匠が描かれていた。繊細なレースを重ねたもの。長い裾に刺繍を施したもの。胸元に小さな宝石をあしらったもの。
どれも美しくて、目移りしてしまう。
「……素敵なものばかりですね」
私がそう呟くと、ルシアン様が隣から資料を覗き込んだ。
「リリスは、どのようなものがお好きですか?」
「そうですね……あまり華美なものより、上品で柔らかな雰囲気のものが好きです」
「あなたらしいですね」
ルシアン様は嬉しそうに微笑まれた。
「きっと、どのようなドレスでもお似合いになりますよ」
「……もう。そんなことをおっしゃって」
頬が熱くなる私を見て、担当者が微笑んだ。
「花嫁衣装は、当日まで新郎様にお見せしない方もいらっしゃいます。最終的な意匠は、アマリリス様だけでお選びいただくこともできますよ」
「まあ、そうなのですね」
私は少し考えた。当日まで秘密にするのも素敵かもしれない。
「……ルシアン様」
「はい?」
「もしよろしければ、完成したドレスは、結婚式の日まで秘密にしてもよろしいでしょうか?」
ルシアン様は一瞬目を瞬かせ、それから柔らかく微笑んだ。
「もちろんです。ですが……」
……ですが?
「当日、あなたの姿を見て、私がまともに話せなくなっても許してくださいね」
「……っ!」
もう! そんなことをおっしゃるから、私まで恥ずかしくなってしまいます……!
担当者が、そっと視線を資料へ落とした。
……もしかして、笑いを堪えていらっしゃる?
私はますます顔が熱くなった。
ふと、昨夜のことを思い出す。庭園の月明かりの下で、ルシアン様が初めて私の唇に口づけてくださったこと。
……っ!
思い出しただけで、胸がどきどきしてしまう。
気づけば、私はルシアン様の唇を見つめていた。
「……リリス?」
名前を呼ばれ、はっとする。
「は、はい!」
「何か気になりますか?」
「い、いいえ! 何でもありません!」
慌てて首を振ると、ルシアン様は少しだけ首を傾げた。それから、ふっと微笑まれる。
「……そうですか。私は昨夜のことを思い出していましたが」
「……っ! ルシアン様!」
どうして分かってしまうのでしょう……!
ルシアン様は、そんな私を見て楽しそうに笑われた。
……もう。結婚式まで、私の心臓はもつのでしょうか。
◇ ◇ ◇
打ち合わせがひと段落した頃、侍女がお茶を運んできてくれた。テーブルの上には、蜂蜜を使った小さな焼き菓子も並べられている。
「……あ」
思わず笑みがこぼれた。
「どうしました、リリス?」
「いえ。ルシアン様のお好きなお菓子だと思いまして」
ルシアン様も焼き菓子に目を向け、穏やかに微笑まれた。
「……こうしてあなたと一緒にいただくと、いつもより美味しく感じますね」
「……まだ召し上がっていませんよ?」
思わずそう返すと、ルシアン様は一瞬目を瞬かせた。それから、楽しそうに笑われた。
「……そうでしたね。では、いただいてから改めてお伝えします」
「ふふ。はい」
私たちは顔を見合わせて笑った。
以前、ルシアン様の好きなものを知りたくて尋ねた日のことを思い出す。あの頃は、こんなふうに二人で結婚式の準備をする日が来るなんて、想像もしていなかった。
「……あのとき、私、嬉しかったんです」
「……あのとき?」
「ルシアン様のお好きなものを、ひとつ知ることができたから」
そう答えると、ルシアン様はしばらく黙って私を見つめていた。
「……リリス」
「はい?」
「私も、嬉しかったですよ」
「……え?」
彼は、穏やかに微笑んだ。
「あなたが私のことを知ろうとしてくださったことが、とても」
……そんなふうに思ってくださっていたのですね。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……これからも、たくさん教えてくださいね」
「ええ。あなたのことも、たくさん知りたいです」
ルシアン様は、そっと私の手を取った。
「これからは、時間がいくらでもありますから」
……時間が、いくらでも。
その言葉に、胸がきゅっとなった。
もう、お別れする日を数えなくていい。明日も、明後日も、その先も、ずっとこの方の隣にいられるのだ。




