夜会に咲く嫉妬
――リリス視点。
「……とてもお綺麗です、アマリリス様」
鏡越しに侍女が微笑んだ。
今夜は、王宮で開かれる夜会に出席する。事件が落ち着き、王宮にもようやく以前の華やかさが戻ってきた。
淡い薔薇色のドレスには、細かな銀糸の刺繍が施されている。胸元には小さな宝石が輝き、髪はゆるやかに結い上げられていた。
「ありがとうございます。でも、少し緊張してしまいますね」
そう答えると、侍女がくすりと笑った。
「ルシアン様がご一緒ですもの。きっと大丈夫ですわ」
……そうなのだけれど。
実は、緊張している理由は別にあった。
事件が解決してからというもの、ルシアン様は以前にも増して優しくなったのだ。
朝食の席では私の好きなお茶を用意してくださるし、庭園を散歩すれば、当然のように手をつないでくださる。それだけでも胸がいっぱいになるのに、時折、私の顔をじっと見つめて微笑まれることがある。
……あの視線には、まだ慣れません。
そんなことを考えていると、扉が控えめに叩かれた。
「リリス。準備はできましたか?」
ルシアン様の声だ。
「は、はい! ただいま!」
慌てて立ち上がると、侍女が扉を開けてくれた。
そこに立っていたルシアン様は、濃紺の礼装に身を包んでいた。銀灰色の髪が柔らかな灯りを受け、灰緑色の瞳が私を捉える。
……か、格好いい。
いつも素敵な方だけれど、今夜は一段と眩しく見える。
「……リリス」
ルシアン様が、私を見たまま動かなくなった。
「あ、あの……どこか、おかしいでしょうか?」
不安になって尋ねると、彼は小さく首を振った。
「いいえ。……あまりに綺麗で、言葉を忘れていました」
「……っ!」
そんなことを、真顔でおっしゃらないでください……!
「今夜、あなたの隣に立てることを誇りに思います」
差し出された手に、そっと自分の手を重ねる。
「……私も、ルシアン様とご一緒できて嬉しいです」
彼は嬉しそうに微笑み、私の手を優しく握った。その温かさに、胸がきゅっとなる。
……今夜も、心臓が忙しくなりそうです。
◇ ◇ ◇
王宮の大広間は、華やかな音楽と人々の笑い声に満ちていた。天井から吊るされたシャンデリアが煌めき、色とりどりのドレスが花のように広がっている。
ルシアン様の腕に手を添えて会場へ入ると、すぐにいくつもの視線が向けられた。
「ルシアン様、皆様がこちらを……」
「気にする必要はありません。今夜は私だけを見ていてくだされば十分です」
「そ、それは難しいです……!」
だって、そんなことをしたら、ずっとルシアン様を見つめてしまいますもの。
彼は楽しそうに笑った。
「では、私があなたを見つめていることにします」
「……ルシアン様!」
もう。絶対に、私が困ると分かっていらっしゃる。
そうして会場を進んでいると、聞き慣れた声が響いた。
「アマリリス!」
振り向くと、エレオノーラ殿下がこちらへ歩いていらした。
「エレオノーラ殿下」
慌てて礼をすると、殿下は柔らかく微笑まれた。
「顔を上げて。今夜は楽しんでいってね」
「はい」
「そのドレス、とても似合っているわ。ルシアンも、そう思うでしょう?」
ルシアン様は、少しも迷わず頷かれた。
「ええ。誰よりも美しいと思っています」
「……っ!」
エレオノーラ殿下が目を丸くし、それから楽しそうに笑った。
「まあ!以前のあなたなら、そんなことを人前で言わなかったでしょうに」
「事実を申し上げただけです」
「ふふ。そういうことにしておくわ」
……お願いですから、私の頬が熱くなっていることには触れないでください。
殿下としばらくお話ししていると、別の貴族の方からお声がかかった。ルシアン様は少し離れたところで挨拶を交わすことになり、私はエレオノーラ殿下とご一緒していた。
やがて、殿下も近づいてきたご令嬢に呼び止められ、少し離れたところでお話しされることになった。
そのときだった。
「ベルフォード伯爵令嬢。今夜は一段とお美しいですね」
振り向くと、見覚えのある若い令息が立っていた。以前、夜会で何度かお話ししたことのある方だ。
「ありがとうございます。お久しぶりでございますね」
「ええ。最近はなかなかお姿を拝見できず、残念に思っておりました」
丁寧に挨拶を交わすと、令息はにこやかに続けた。
「もしよろしければ、今夜、一曲お相手いただけませんか?」
……ダンス?
思わず、ルシアン様のいらっしゃる方へ視線を向けた。今夜は、最初の一曲をルシアン様と踊る約束をしている。
「あの、申し訳ございません。最初の曲は婚約者と約束しておりますので……」
「もちろん、存じております。では、その次の曲はいかがでしょう?」
困っていると、もう一人の令息が声をかけてきた。
「おや、先を越されてしまいましたか。ベルフォード嬢、私にもぜひ一曲」
……え?
さらに別の方まで加わり、気づけば私は三人の令息に囲まれていた。
以前から社交の場でお声をかけていただくことはあったけれど、今夜はいつも以上に熱心な気がする。
どうお返事したものかと迷っていると、背後から聞き慣れた声がした。
「……リリス」
振り向いた瞬間、ほっと息が漏れた。
「ルシアン様」
彼は私の隣へ歩み寄ると、自然な仕草で腰に手を添えた。
「お待たせしました」
「いいえ。私も、皆様とお話ししていたところです」
ルシアン様は令息たちへ視線を向けた。
「私の婚約者がお世話になっています」
声音は穏やかだった。
……けれど。
なぜか、いつもより少しだけ笑顔が硬いような……?
「これはルシアン殿。ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「ベルフォード嬢にダンスをお願いしていたところでして」
令息の言葉に、ルシアン様の手が私の腰へわずかに引き寄せられた。
「そうでしたか」
彼は微笑んだまま続けた。
「ですが、今夜の彼女の時間は、私がいただく約束をしておりますので」
「……おや、そうでしたか」
「ええ。ずっと楽しみにしていたものですから」
……ずっと?
思わず見上げると、ルシアン様は私にだけ分かるほど柔らかく微笑まれた。
「リリス。そろそろ曲が始まります」
「は、はい!」
令息たちにお辞儀をして、その場を離れる。
少し歩いたところで、私はそっと尋ねた。
「あの……ルシアン様?」
「何でしょう?」
「もしかして、少し怒っていらっしゃいますか?」
彼は足を止めた。
「……怒ってはいません」
「そうですか……?」
ほっとした、そのとき。
「ただ、面白くはありませんでした」
「……え?」
ルシアン様は私を見つめた。
「私が少し目を離しただけで、あれほど男性が集まるとは思いませんでした」
「そ、それは……」
「あなたが魅力的な方だということは、よく知っています。ですが……」
彼は言葉を切り、少し困ったように微笑んだ。
「……私も、嫉妬くらいはするようです」
……し、嫉妬。
ルシアン様が?
私に?
「……ご迷惑でしたか?」
彼が、珍しく不安そうに尋ねた。私は慌てて首を振った。
「いいえ! その……嬉しい、です」
「……嬉しい?」
「だって、ルシアン様が私のことを、それほど大切に思ってくださっているのだと……」
最後まで言い終える前に、彼の表情がふっと和らいだ。
「……大切に思っていますよ」
ルシアン様は、私の手を取った。
「あなたが想像しているより、ずっと」
……もう。
そんなことを言われたら、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。
ちょうどそのとき、音楽が流れ始めた。
「リリス。私と踊っていただけますか?」
差し出された手に、私は微笑んで応えた。
「……喜んで」
◇ ◇ ◇
ルシアン様とのダンスは、夢のような時間だった。
彼の手に導かれ、音楽に合わせて足を運ぶ。周囲には大勢の人がいるはずなのに、不思議と彼の姿ばかりが目に入った。
「……リリス」
「はい?」
「今夜は、楽しんでいますか?」
「はい。とても」
そう答えると、ルシアン様は嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、よかった」
私は少し迷ってから、口を開いた。
「あの……ルシアン様」
「何でしょう?」
「先ほどのことなのですが……」
彼は、静かに私の言葉を待ってくださった。
「私、ほかの方と踊りたいと思ったわけではないんです」
ルシアン様が、わずかに目を見開いた。
「……リリス?」
「今夜は、ルシアン様とご一緒できることを、ずっと楽しみにしていましたから」
言い終えてから、急に恥ずかしくなった。
……私、何を言っているのでしょう。
けれど、ルシアン様は何もおっしゃらない。不安になって顔を上げると、彼は少しだけ困ったような顔をしていた。
「……ルシアン様?」
「……すみません」
彼は小さく息を吐いた。
「今、あなたを抱きしめたい気持ちを抑えています」
「……っ!」
ここは大広間です!
そんなことをされたら、私、どうなってしまうか……!
私の顔を見て、ルシアン様が楽しそうに笑う。
「……後ほど、少しだけお時間をいただけますか?」
「……はい」
そう答えると、彼の瞳が優しく細められた。曲が終わる頃には、私はすっかり胸がいっぱいになっていた。




