あなたの腕の中で
――ルシアン視点。
夕刻、私はアレクシスへ最終報告を行った。
「……ヴァイスが、襲撃を利用した黒幕だったか」
「ああ。王政反対派に警備情報を流し、ハインツを通じて侵入経路を確保していた」
「……目的は、不正の証拠を隠すこと」
「そうだ。王女殿下への襲撃も承知していた。本人が直接手を下していなくても、責任は免れない」
アレクシスは、深く息を吐いた。
「……愚かなことを」
私は、静かに頷いた。
「関係者は確保した。金銭記録も保全している。リリスへの口封じを指示していた者も、もう自由には動けない」
「警備体制の見直しも進めよう」
「ああ」
アレクシスは、私をじっと見つめた。
「……ルシアン」
「何だ?」
「よくやった」
私は、少しだけ目を瞬かせた。
「……珍しいな」
「何がだ?」
「お前が素直に褒めるなんて」
アレクシスが、呆れたように笑った。
「……せっかく褒めてやったのに」
「……ありがたく受け取っておく」
「それから」
彼は、わずかに表情を和らげた。
「……今日は、もう帰れ」
「……何だ、急に」
「アマリリス嬢が待っているんだろう?」
「…………」
「……それとも、まだ仕事をするつもりか?」
私は机の上の資料へ目を向けた。事件の処理は、まだ残っている。だが、今夜でなければならない仕事は、もうない。
「……帰る」
アレクシスが、満足そうに頷いた。
「そうしろ」
私は、書類をまとめて立ち上がった。
「……アレクシス」
「何だ?」
「……助かった」
彼は、一瞬だけ驚いた顔をした。そして、笑った。
「……明日は雪でも降るかもしれないな」
「……余計なことを言うな」
その笑い声を背に、私は執務室をあとにした。
◇ ◇ ◇
屋敷へ戻ると、リリスが玄関で待っていた。
「……お帰りなさいませ、ルシアン様」
いつものように、優しく微笑んでくれる。その姿を見た瞬間、今日一日張りつめていた気持ちが、少しずつほどけていった。
「……ただいま戻りました、リリス」
「……お疲れさまです」
彼女は、私の顔をじっと見つめた。
「……今日は、いつもよりお疲れですね」
「……そう見えますか?」
「はい。……でも、少し安心されたようにも見えます」
私は、思わず微笑んだ。
……本当に、よく見ている。
「……ええ。今日は、大きな進展がありました」
「……そうなのですね」
「事件の首謀者が判明し、関係者も確保されました。まだ正式な処理は残っていますが、あなたを狙っていた者たちも、もう自由には動けません」
リリスの目が、大きく見開かれた。
「……本当、ですか?」
「ええ」
私は、彼女の手をそっと取った。
「……もう、あの事件を恐れて暮らす必要はありません」
リリスは、しばらく何も言わなかった。やがて、その瞳に涙が浮かぶ。
「……よかった……」
小さな声だった。けれど、そこには心からの安堵が滲んでいた。
「……では、エレオノーラ殿下も、もう安心して過ごせるのですね」
「ええ。殿下の警護も見直されています」
「……よかった。本当に……」
リリスは、胸元でそっと手を重ねた。自分も危険な目に遭ったというのに、真っ先に殿下のことを案じる。
……やはり、彼女らしい。
「……それから、リリス」
「……はい?」
「昨日、あなたが教えてくださった書類の管理方法が、今日の調査で役に立ちました」
彼女が、驚いたように目を瞬かせる。
「……本当ですか?」
「ええ。あなたのおかげで、見落としていた記録を確認できたんです」
リリスの顔が、ぱっと明るくなった。
「……よかった……!」
その笑顔に、胸が温かくなる。
「……私、少しでもルシアン様のお役に立てたなら、嬉しいです」
……ああ。本当に、この人は。
私は、思わず彼女を抱き寄せそうになった。けれど、その前に、リリスがそっと私の顔を覗き込んだ。
「……ルシアン様」
「……はい?」
「……今日は、私に甘えてくださいませんか?」
「……私が、ですか?」
思わず、聞き返してしまった。
リリスは、少しだけ頬を染めながら続けた。
「はい。いつも私ばかり甘やかしていただいていますから」
「…………」
「……今日は、私がルシアン様を甘やかしたいです」
そう言って、彼女はそっと両手を広げた。
……まったく。この人には、敵わない。
私は、しばらくその姿を見つめていた。
「……本当に、よろしいのですか?」
「……もちろんです」
彼女は、柔らかく微笑んだ。
「……ルシアン様だって、疲れることはありますもの」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。私は、ゆっくりと彼女を抱きしめ、その肩に顔を寄せた。
「……少しだけ、このままでいさせてください」
「……はい。いくらでも」
リリスの細い腕が、そっと私の背中に回される。
……温かい。
張りつめていたものが、静かにほどけていった。
守りたいと思っていた。彼女の笑顔も、幸せも。けれど、今はわかる。
私もまた、この人に支えられているのだ。
「……リリス」
「……はい?」
「……あなたがいてくださって、本当によかった」
彼女の腕に、少しだけ力がこもった。
「……私もです。ルシアン様」
私は、もう一度彼女を抱きしめた。
……もう少しだけ、こうしていたい。
どれほど時間が過ぎただろう。
「あの……ルシアン様?」
「……はい?」
「……少しだけ、ではありませんでしたか?」
私は、思わず小さく笑った。
「……あなたが、いくらでもとおっしゃったので」
「……っ!」
腕の中で、リリスが固まった。顔を覗き込むと、頬がみるみる赤くなっていく。
……ああ、可愛い。
「……ル、ルシアン様……!」
「……もう少しだけ、甘えても?」
彼女は、真っ赤な顔のまま、小さく頷いた。
「……はい」
その返事が嬉しくて、私は再び彼女を抱き寄せた。
どれほど仕事で冷静でいられても、この人の前では、簡単に心を奪われてしまう。
……愛している。
三年間、胸の奥に隠していた想い。もう、隠す必要はない。
◇ ◇ ◇
その夜、リリスを部屋へ送り届けたあと、私は廊下で立ち止まった。
事件は、ひとつの決着を迎えた。王女殿下を狙った者たちは、もう自由には動けない。もちろん、王宮の警備体制を立て直す仕事は残っている。
だが、今はようやく、彼女との未来を穏やかな気持ちで考えられる。
最初から、彼女と結婚するつもりだった。仮の婚約者だと思われていた頃も、彼女が私のもとを離れたときも、その想いだけは一度も変わらなかった。
……これからは、彼女と一緒に結婚までの日々を重ねていきたい。
誰かを守るためだけではなく、ただ、愛する人と幸せになるために。
私は、静かに微笑んだ。
……明日もきっと、彼女に会うのが楽しみで仕方がない。




