隠された記録と、守りたい笑顔
――ルシアン視点。
王宮の執務室に、紙をめくる音だけが響いていた。
机の上には、襲撃事件に関する報告書が積み重なっている。その中から、私は一枚の記録を取り上げた。
襲撃前日、王宮の立ち入り制限区域への通行許可が変更されていた。
問題は、その変更が行われた経緯だ。
「……やはり、妙だな」
「何がだ?」
向かいの椅子に腰かけていたアレクシスが顔を上げた。
私は、記録を彼の前に差し出した。
「この許可変更には、施設管理部門とは別に、王宮警備を管轄する部署の承認が必要だった」
「……ハインツだけでは処理できない、ということか」
「ああ。少なくとも、正規の手続きならな」
逮捕されたローデリック・ハインツは、施設管理部門の副責任者だった。
王宮内部の通路や設備に詳しく、襲撃犯の侵入を助けるには十分な立場にいた。だが、今回の許可変更には、彼の権限だけでは説明できない部分がある。
「承認した者の名前は?」
「記録にない」
アレクシスの表情が険しくなった。
「……またか」
「しかも、変更された許可の控えだけが、通常の保管場所から抜けている」
「偶然とは思えないな」
「ああ。俺もそう思う」
私は、机の上に別の書類を並べた。
許可変更の日時、警備担当者の交代時刻。そして、襲撃犯が通ったと考えられる経路。
「……見てくれ」
アレクシスが身を乗り出す。
「許可が変更されたのは、警備担当の交代直前だ。新しい担当者が配置についたときには、変更後の許可が有効になっていた」
「つまり、現場の警備兵は、正式な許可だと思って通した可能性がある」
「ああ」
私は頷いた。
「問題は、誰がその変更を承認したかだ」
ハインツが単独で記録を書き換えた可能性も、まだ完全には否定できない。だが、承認の仕組みを知る者が関わっていたと考えた方が、筋が通る。
「……内部に、まだ協力者がいるかもしれないな」
アレクシスが低く呟いた。
「その可能性は高い。ただし、今は断定できない」
「わかっている」
彼は、静かに息を吐いた。
「……慎重に進めよう。相手にこちらの動きを悟らせるな」
「そのつもりだ」
私は、書類を重ね直した。
「まずは、承認を扱える者を洗い出す。それから、原本と控えの保管経路を調べる」
「任せる」
短い言葉だった。
だが、その一言には、幼い頃から変わらない信頼があった。
◇ ◇ ◇
調査を進めるうちに、もうひとつ不自然な点が見つかった。
「……この記録を見せてくれ」
私は、担当者が持ってきた帳簿を受け取った。
許可変更が行われた日の、書類の受け渡し記録。
そこには、通常なら記されているはずの受領者の署名がなかった。代わりに残されていたのは、簡単な受領印だけだった。
「この印は?」
「王宮の文書管理室で使用されているものです。ただ、共用の印ですので、個人までは特定できません」
「……なるほど」
私は、印影を確認した。
一見すると、何の変哲もない記録だ。
だが、承認者の名前が消え、控えが抜け、受領者の署名までない。
……不自然な空白が、多すぎる。
「この日の文書管理室の勤務記録は残っているか?」
「はい。ただ、当日の担当者の一人が、急な体調不良で早退しています」
「早退?」
「はい。代わりに別の職員が業務を引き継いだそうです」
私は、顔を上げた。
「引き継いだ職員の名前は?」
担当者が、別の帳簿を開く。
「……こちらです」
そこに記されていた名前を確認する。
王宮の文書管理室に勤務する職員の一人だった。
だが、業務を引き継いだというだけで、その人物を疑う理由にはならない。
「この職員の勤務状況と、当日の出入りの記録を確認してくれ」
「承知しました」
担当者が退出すると、私は椅子の背にもたれた。
……少しずつ、つながってきたな。
ただし、まだ足りない。
誰かが記録を隠したとしても、それが襲撃を指示した人物とは限らない。
必要なのは、推測ではなく証拠だ。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
アレクシスが執務室へ戻ってきた。
「進展は?」
「許可変更に関わった可能性のある人物を、数人まで絞り込めそうだ」
「……ほう」
「ただ、まだ決め手はない」
私は、机の上の資料を指した。
「書類の受け渡しがあった時間帯に、文書管理室へ出入りした者を確認している。正式な記録と、警備側の巡回記録を照合中だ」
「それで?」
「……ひとつ気になることがある」
「何だ?」
「変更された許可の内容が、襲撃犯の侵入経路と都合よく一致しすぎている」
アレクシスの目が細くなった。
「偶然ではないと?」
「そう考えている」
私は、指先で経路図をなぞった。
「警備の薄い時間帯だけを狙い、通常なら確認が必要な通路を通れるようにしている。王宮の警備体制を、かなり詳しく把握していたはずだ」
「……厄介だな」
「ああ」
アレクシスは、しばらく黙って資料を見つめていた。
やがて、低い声で言った。
「……ルシアン」
「何だ?」
「アマリリス嬢の警護は、今のままで十分か?」
私は、すぐには答えなかった。
屋敷の警備は強化している。彼女の外出にも、信頼できる護衛をつけている。
だが、黒幕が判明していない以上、絶対に安全だとは言い切れない。
「……現時点では、必要な対策を取っている。ただ、調査の進展に応じて見直すつもりだ」
「そうか」
アレクシスは頷いた。
「……アマリリス嬢が、ようやく笑顔を取り戻したんだ。二度と同じ思いをさせたくない」
「……ああ」
私は、静かに答えた。
「俺もだ」
◇ ◇ ◇
夕方。
屋敷へ戻ると、玄関でリリスが出迎えてくれた。
「……お帰りなさいませ、ルシアン様」
その姿を見た瞬間、張りつめていた気持ちが、少しだけ緩んだ。
「……ただいま戻りました、リリス」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「お疲れではありませんか?」
「……少しだけ」
正直に答えると、リリスが驚いたように目を瞬かせた。
「……ルシアン様が、そうおっしゃるなんて」
「……あなたには、隠さないと決めましたから」
彼女の表情が、ふわりと柔らかくなった。
「……では、少し休まれませんか?お茶をご用意していただきますね」
「……ありがとうございます」
私は、彼女と並んで応接室へ向かった。
◇ ◇ ◇
温かな紅茶の香りが、部屋に広がっていた。
リリスは、向かいの席ではなく、私の隣に腰を下ろした。
……最近、彼女がこうして自然に隣へ来てくれるようになった。
それだけのことが、たまらなく嬉しい。
「……今日は、お忙しかったのですね」
「ええ。調べなければならないことが、いくつかありまして」
リリスは、少しだけ表情を曇らせた。
「……事件のこと、ですか?」
「……はい」
私は、彼女の手をそっと取った。
「まだ、すべてが解決したわけではありません。ただ、少しずつ進展しています」
「……そうですか」
「あなたに危険が及ぶような情報があれば、必ずお伝えします」
リリスは、静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
私は、少し考えてから口を開いた。
「……リリス。ひとつ、伺ってもよろしいですか?」
「……はい?」
「王宮でお仕えしていた頃、書類の管理はどのようにされていましたか?」
リリスが、不思議そうに目を瞬かせた。
「……書類の管理、ですか?」
「ええ。今、書類の管理について、少し確認したいことがありまして」
「……そうなのですね」
彼女は、記憶をたどるように視線を落とした。
「私たちが扱う書類は、殿下のお手元に届くものが中心でしたけれど、大切な書類を受け取ったときは、必ず受領の記録を残していました」
「……受領の記録を?」
「はい。それから、別の方へお渡しするときも、どなたに渡したのかを記録していました」
私は、静かに頷いた。
「……なるほど」
「……それに、書類を返却するときも、別の帳簿に記録していたんです」
「……別の帳簿?」
「はい。受領と返却は、それぞれ確認できるようになっていました。もし片方の記録が見当たらなくても、もう片方で確認できることがありましたから」
……受領と、返却。
私は、頭の中で文書管理室の記録を思い返した。
今回確認したのは、書類の受け渡し記録が中心だ。
だが、保管場所へ戻された際の記録が、別に残っている可能性はある。
「……リリス」
「……はい?」
「……とても参考になります」
「……え?」
「明日、確認したいことが増えました」
リリスの顔が、ぱっと明るくなった。
「……お役に立てましたか?」
「ええ。とても」
彼女は、ほっとしたように微笑んだ。
「……よかったです」
その笑顔を見て、私は思わず彼女の手を握り直した。
「……ですが」
「……はい?」
「無理に事件へ関わろうとはしないでくださいね」
「……わかっています」
彼女は、少しだけ頬を膨らませた。
「……私だって、ルシアン様に心配をかけたくありませんから」
「……そうですか」
「はい。だから、できることがあれば、お話しするだけです」
私は、小さく笑った。
「……それなら、安心です」
そして、彼女の手の甲にそっと口づけた。
「……ありがとうございます。私の、大切な婚約者殿」
「…………っ!」
リリスが、真っ赤になって固まる。
……ああ。
今日も、可愛い。
「……ル、ルシアン様……!」
「……はい?」
「……そういうことを、突然なさらないでください……」
「……困りましたね」
私は、微笑んだ。
「……あなたが可愛らしいので、つい」
「…………っ!」
……どうやら、仕事で疲れた心には、彼女の笑顔が何より効くらしい。
◇ ◇ ◇
その夜。
リリスが部屋へ戻ったあと、私は書斎で今日の資料を見直していた。
受領の記録。返却の記録。
彼女の言葉が、頭から離れない。
……もし、書類の保管経路を別の帳簿でも確認できるとしたら。
誰かが一方の記録を消していても、もう一方には痕跡が残っているかもしれない。
私は、明日の調査項目を書き加えた。
そして、机の上に置かれた小さな花瓶へ目を向ける。
そこには、リリスが今日飾ってくれた花があった。
淡い紫色の、小さな花。
……彼女らしいな。
私は、そっと微笑んだ。
事件の真相は、まだ見えていない。
だが、確実に近づいている。
……必ず、突き止める。
彼女が安心して笑える未来のために。
そして、その未来を。
今度こそ、彼女と一緒に歩いていくために。




