親友への報告と、隠せない幸せ
しばらくして、殿下がふと私の胸元に目を留められた。
「あら。そのブローチ……」
「……はい」
今日は、淡い紫色の石が映えるよう、飾りの少ないドレスを選んできた。
殿下は、すぐに意味を察したようだった。
「……ルシアンからの贈り物?」
「はい。以前いただいたものなのですが……もう一度、贈ってくださったんです」
「……もう一度?」
私は、少し迷ってから、正直にお話しした。
「……一度、お返ししてしまったんです。もう、身につけてはいけないと思って」
殿下の表情が、少し曇った。
「……アマリリス」
「でも、今は違います」
私は、ブローチにそっと触れた。
「ルシアン様が、愛する女性への贈り物として、もう一度受け取ってほしいとおっしゃってくださって」
「…………!」
殿下が、勢いよく顔を上げられた。
「……あのルシアンが!?」
「……はい」
「……そんなことを!?」
「……はい……」
殿下は、しばらく私を見つめたあと、両手で顔を覆われた。
「……信じられない」
「……殿下?」
「……あの人、そんなことを言えるようになったのね……」
なぜか、しみじみとした声だった。
……ルシアン様。
皆さんから、どんなふうに思われていたのでしょう。
「……それだけじゃないんです」
「……え?」
私は、つい口を滑らせた。
……しまった。
殿下の瞳が、きらりと輝く。
「……それだけじゃない?」
「……い、いえ!」
「アマリリス?」
「……その……」
逃げられない。
私は、真っ赤になりながら、小さな声で答えた。
「……お屋敷へ戻った日に、頬に……」
「……頬に?」
「……口づけを……」
「…………!」
殿下が、椅子から立ち上がりかけた。
「……ルシアンが!?」
「……で、殿下、お声が……!」
「だって!」
殿下は、慌てて声を潜められた。
「……アレクシスお兄様から聞いたのだけれど、あの人、ついこの間まで、あなたの隣に座れたことを嬉しそうに報告していたそうじゃない?」
「……え?」
「……あ」
殿下が、口元を押さえられた。
「……今のは、忘れて」
「……殿下?」
「……忘れてちょうだい」
……ええと。
聞かなかったことにした方が、よさそう。
けれど、胸の奥がくすぐったくなった。
……ルシアン様も、そんなに喜んでくださっていたんだ。
「……それで?」
「……え?」
「頬だけ?」
「…………っ!」
「……あら、その反応。まさか、ほかにも?」
「……き、昨日の朝、額にも……」
「…………」
エレオノーラ殿下は、しばらく無言で私を見つめられた。
そして。
「……アマリリス」
「……はい」
「……あなた、これから大変ね」
「……え?」
「三年間も想いを隠していた人が、ようやく遠慮しなくなったんですもの」
殿下は、にっこりと微笑まれた。
「……覚悟しておいた方がいいわよ?」
「…………っ!」
……殿下まで!
私は、真っ赤になって俯いた。
◇ ◇ ◇
楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
そろそろお暇しようとした頃、エレオノーラ殿下が私の手を取られた。
「……アマリリス」
「はい」
「また、こうしてお茶をしましょうね」
「……もちろんです」
「それから、今度は遠慮しないで、何でも話してちょうだい」
殿下の声が、少しだけ真剣になる。
「嬉しいことも、困ったことも。私は、あなたの友人なのだから」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……ありがとうございます、殿下」
「……それに」
殿下は、いたずらっぽく微笑まれた。
「ルシアンの話なら、いつでも歓迎よ」
「……で、殿下!」
笑い声が、応接室に響いた。
……こんなふうに笑い合える日が、また来るなんて。
私は、心から嬉しかった。
◇ ◇ ◇
王宮を出る前に、ルシアン様が迎えに来てくださった。
「……リリス。お待たせしました」
「……ルシアン様」
「殿下とのお時間は、いかがでしたか?」
「とても楽しかったです」
そう答えると、ルシアン様は安心したように微笑まれた。
「それはよかった」
そして、私の胸元に目を留められる。
「……今日は、ブローチをつけてくださったんですね」
「……はい」
「……よくお似合いです」
「……ありがとうございます」
そのとき。
「……ルシアン」
背後から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、エレオノーラ殿下が扉のそばに立っていらした。
「……殿下」
ルシアン様が、丁寧に一礼される。
殿下は、にっこりと微笑まれた。
「……アマリリスを、よろしくね」
「……もちろんです」
「……それから」
殿下は、少しだけ声を落とされた。
「……あまり、困らせないように」
「……?」
ルシアン様が、不思議そうに首を傾げられる。
すると、殿下は私を見て、楽しそうに笑われた。
「……ね?」
「…………っ!」
……殿下!!
ルシアン様は、私と殿下を交互に見つめられた。
「……何のお話でしょうか」
「……秘密よ」
殿下は、それだけ言うと、優雅に微笑まれた。
……絶対に、楽しんでいらっしゃる。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車の中。
ルシアン様は、私の隣に座っていらした。
「……リリス」
「……はい?」
「……殿下と、何をお話しされたのですか?」
「……えっ」
思わず、肩が跳ねる。
「……い、いろいろと……」
「……いろいろ?」
「……はい」
ルシアン様は、少し考えるように私を見つめられた。
「……もしかして、私のことも?」
「…………!」
……どうして、わかるの!?
私の反応を見て、ルシアン様が小さく笑われた。
「……なるほど」
「……ルシアン様……」
「……何をお話しされたのか、気になりますね」
そうおっしゃって、そっと私の手を取られる。
「……ですが」
「……はい?」
「あなたが楽しそうだったので、それだけで十分です」
……もう。
本当に、ずるい。
私は、そっとその手を握り返した。
「……ルシアン様」
「はい」
「……今日、殿下にお伝えしたんです」
「……何を、ですか?」
「……今、とても幸せだって」
ルシアン様が、ぴたりと動きを止められた。
「…………」
「……ルシアン様?」
「……リリス」
「はい」
「……それは、反則です」
「……え?」
ルシアン様は、片手で口元を覆われた。
「……私の方が、困ってしまいます」
……あ。
もしかして。
私も、少しだけ反撃できたのかしら。
そう思った瞬間、嬉しくなってしまった。
「……では、もうひとつ」
「……もうひとつ?」
私は、そっとルシアン様の肩に寄り添った。
「……これからも、ずっと幸せでいたいです。ルシアン様と一緒に」
「…………っ」
ルシアン様が、息を呑まれた。
そして、ゆっくりと私の肩を抱き寄せられる。
「……もちろんです」
その声は、少しだけ震えていた。
「……私も、同じ気持ちです」
私は、そっと目を閉じた。
……ああ。
幸せって、こんなにも温かいものなんだ。
◇ ◇ ◇
――ルシアン視点。
リリスとともに屋敷へ戻り、しばらくしてから。
私は書斎で、王宮から持ち帰った報告書を開いていた。
今日、王宮で新たに確認された記録。
襲撃前日に変更された、立ち入り許可の内容。
その手続きを行えた人物を調べた結果、ひとつの事実が浮かび上がっていた。
……ハインツだけでは、処理できなかった可能性がある。
変更には、別の部署が管理する承認が必要だったのだ。
私は、報告書を静かに閉じた。
……やはり、まだ終わっていない。
窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいる。
その向こうには、リリスがいる。
今日、彼女は言ってくれた。
『……これからも、ずっと幸せでいたいです。ルシアン様と一緒に』
私は、そっと目を閉じた。
……必ず、守る。
彼女が、ようやく取り戻した笑顔を。
そして、二人で歩き始めた、この日常を。




