婚約者を迎えに
――アマリリス視点。
翌朝。
「……リリス。本当に、よろしいのですか?」
朝食を終えたあと、ルシアン様がもう一度確認された。
「はい。エレオノーラ殿下に、きちんとご挨拶したいんです」
先日、ルシアン様からお話を伺った。
エレオノーラ殿下が、私のことをとても心配してくださっていること。そして、落ち着いたらぜひ会いたいとおっしゃっていたこと。
王宮での襲撃事件以来、殿下とはゆっくりお話しできていなかった。
……きっと、ご心配をおかけしてしまった。
「殿下にも、お伝えしたいことがありますから」
そう言うと、ルシアン様は優しく微笑まれた。
「……では、午後にお時間をいただけるよう、確認しておきます」
「ありがとうございます」
「移動には護衛をつけます。王宮内でも、私か信頼できる者がご案内しますので」
「はい。わかっています」
以前なら、そんなふうに守られることを申し訳なく感じていたかもしれない。
けれど、今は違う。
ルシアン様が私を大切にしてくださるように、私も自分自身を大切にしたい。
「……それに」
「……はい?」
ルシアン様が、少しだけ声を落とされた。
「あなたが王宮へいらっしゃるなら、私も嬉しいです」
「……ルシアン様?」
「仕事の合間に、あなたのお顔が見られますから」
「…………っ!」
……また。
朝から、そんなことを。
私が俯くと、ルシアン様は楽しそうに微笑まれた。
「……では、午後に」
「……はい」
その笑顔を見送りながら、私は胸元に手を当てた。
……今日も、心臓が忙しくなりそう。
◇ ◇ ◇
午後。
私は護衛とともに王宮へ向かった。
久しぶりに足を踏み入れる王宮は、以前と変わらず美しかった。磨き上げられた大理石の床に、高い天井から差し込む柔らかな光。
三年間、エレオノーラ殿下にお仕えしていた頃は、毎日のように歩いていた場所だ。
……懐かしい。
そんなことを思いながら回廊を進んでいると、背後から声をかけられた。
「……ベルフォード伯爵令嬢?」
振り返ると、見覚えのある若い令息が立っていた。
「まあ、お久しぶりです」
「やはり!しばらくお姿を拝見していなかったので、驚きました」
令息は、嬉しそうに微笑んだ。
「お元気そうで何よりです。それに……以前にも増して、お美しくなられましたね」
「……まあ。ありがとうございます」
少し照れながらお礼を伝えると、近くを歩いていた別の令息も足を止めた。
「ベルフォード伯爵令嬢ではありませんか。王宮へお戻りになったのですね」
「本当に、お久しぶりです」
「以前からお美しいと思っていましたが、今日はひときわ華やかでいらっしゃる」
「……ありがとうございます」
次々に声をかけられ、私は少し戸惑ってしまった。
以前から、こうしてお褒めの言葉をいただくことはあった。
けれど、今日はなぜか、皆さんの視線がいつも以上に集まっている気がする。
「もしよろしければ、今度お茶でもいかがでしょう?」
「あ……」
どうお断りしようかと考えた、そのとき。
「……リリス」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、ルシアン様がこちらへ歩いてこられるところだった。
「……ルシアン様!」
思わず笑顔になる。
ルシアン様も、優しく微笑んでくださった。
「お待たせしました。殿下のもとへご案内します」
「はい」
そして、令息たちへ丁寧に一礼される。
「失礼。婚約者を迎えに参りました」
「……ああ、これはルシアン様」
「お二人のご婚約のお話は伺っております。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ルシアン様は、穏やかな笑顔を崩されなかった。
「では、私たちはこれで」
そうおっしゃって、私に手を差し出される。
私は、嬉しくなってその手を取った。
……以前も、こんなことが何度かあった。
言い寄られて困っていると、いつもルシアン様がさりげなく助けてくださったのだ。
でも、今日は少し違う。
『婚約者を迎えに参りました』
その言葉が、胸の奥で何度も響いていた。
……私、ルシアン様の婚約者なんだ。
そう思うだけで、自然と笑みがこぼれた。
◇ ◇ ◇
――ルシアン視点。
……まったく。
少し目を離しただけで、これか。
リリスが美しいことなど、三年前から知っている。
王宮へ来れば、必ず誰かが声をかけることも。これまで彼女が困っているところへ、何度割って入ったかわからない。
……あの男など、以前にも一度、彼女を茶会に誘って断られていたはずだ。
それなのに、また誘うとは。
私は、表情に出さないよう気をつけながら、隣を歩くリリスに目を向けた。
……しかし。
今日の彼女は、以前にも増して綺麗だった。
もともと目を引く美しさを持っていたが、最近は表情まで柔らかくなったように思う。
微笑むたびに、周囲の視線が集まる。
彼女が幸せそうなのは、何より嬉しい。
……嬉しい、のだが。
だからといって、次々に誘っていい理由にはならないだろう。
私は、そっと彼女の手を握り直した。
「……リリス」
「はい?」
「……今日は、いつも以上にお綺麗ですね」
「…………っ!」
途端に、彼女の頬が赤く染まる。
「……ル、ルシアン様まで……」
「……まで?」
「先ほども、皆さんがそのようにおっしゃるので……」
……知っている。
嫌というほど聞こえていた。
「……皆さんは、正直な感想をおっしゃったのでしょう」
「……そうでしょうか」
「ええ。私も、そう思っていますから」
リリスは、さらに頬を赤くした。
……ああ。
この顔を見られるのが、私だけならいいのに。
そんなことを考えてしまい、内心で苦笑する。
彼女が人に好かれるのは、何も外見だけが理由ではない。
誰に対しても礼儀正しく、優しく微笑む。相手の話にきちんと耳を傾け、さりげなく気遣う。
……私が惹かれたのも、そういうところだった。
それを今さら、ほかの者に見せるなとは言えない。
「……ルシアン様?」
「……はい?」
「……どうかなさいましたか?」
私は、穏やかに微笑んだ。
「……いえ。少し、困っているだけです」
「……困って?」
「……あなたが、あまりにも魅力的なので」
「…………っ!」
リリスが、ぴたりと足を止めた。
……しまった。
少し、言いすぎただろうか。
けれど、彼女は真っ赤な顔で俯きながら、小さく呟いた。
「……そんなことをおっしゃるルシアン様の方が、ずるいです……」
「…………」
……これは。
困ったな。
どうやら、余裕がないのは私の方らしい。
◇ ◇ ◇
――アマリリス視点。
エレオノーラ殿下の私的な応接室の前まで来ると、ルシアン様が立ち止まられた。
「……では、私はここで」
「……はい。ご案内、ありがとうございました」
「お帰りの際は、迎えに参ります」
「……お仕事は、大丈夫ですか?」
「ええ。時間を調整してありますから」
ルシアン様は、優しく微笑まれた。
「……どうぞ、楽しんできてください」
「……はい!」
私は、嬉しくなって頷いた。
扉の前で名前を告げると、中から弾んだ声が聞こえた。
「アマリリス!?」
次の瞬間、扉が開く。
「……殿下!」
エレオノーラ殿下は、私の姿を見るなり駆け寄ってこられた。
「もう!本当に心配したんだから!」
「……申し訳ございません」
「謝らないで!」
殿下は、私の両手をぎゅっと握られた。
「あなたが無事で、本当によかった……」
その瞳が、少し潤んでいる。
胸が、きゅっと締めつけられた。
「……ありがとうございます、殿下」
「……まったく。ルシアンも、もっと早く何とかできなかったのかしら」
「……あの、それは……」
「わかっているわ。あの人だって必死だったんでしょう?」
殿下は小さく息を吐かれた。
「……でも、二人とも遠回りしすぎよ」
「…………」
……それは。
否定できない。
◇ ◇ ◇
お茶が運ばれ、私たちは向かい合って腰を下ろした。
エレオノーラ殿下は、しばらく私の顔を見つめていらした。
「……それで?」
「……はい?」
「ちゃんと、気持ちは伝え合えたのよね?」
「…………っ!」
い、いきなり!
「……は、はい」
「ルシアンから、何て言われたの?」
「……そ、それは……」
殿下が身を乗り出される。
「私、三年間もあなたの話を聞いていたのよ? ここまで来たら、最後まで聞く権利があると思わない?」
「……で、殿下……!」
「……お願い。少しだけ」
そう言って、いたずらっぽく微笑まれる。
……もう。
昔から、こういうところは変わらない。
私は頬を熱くしながら、そっと口を開いた。
「……三年間、ずっと私を想ってくださっていたそうです」
エレオノーラ殿下が、ぴたりと動きを止められた。
「…………」
「……殿下?」
「……三年間?」
「……はい」
「……本当に?」
「……はい」
殿下は、ゆっくりと天井を仰がれた。
「……ああ、もう!」
「……!?」
「だったら、どうしてもっと早く言わないのよ、あの人は!」
思わず、私は笑ってしまった。
「……私も、同じくらい気づいていませんでしたから」
「それはそうだけど!」
殿下は、少しだけ頬を膨らませた。
「……でも」
ふっと、その表情が和らぐ。
「……よかったわ。本当に」
「……はい」
「あなた、以前はルシアンの話をするとき、嬉しそうなのに、どこか寂しそうだったもの」
私は、思わず目を伏せた。
……気づかれていたんだ。
「今は、違うわね」
「……え?」
「とても幸せそう」
その言葉に、胸が温かくなった。
私は、そっと微笑んだ。
「……はい。とても、幸せです」
エレオノーラ殿下は、嬉しそうに目を細められた。
「……それが聞けて、安心したわ」




