優しい人の、知らない本音
お茶会のあと、私はエレオノーラ様に頼まれた品を受け取るため、宮殿の廊下を歩いていた。
曲がり角に差しかかったとき、女性たちの話し声が聞こえてくる。
「ねえ、見た? アマリリス様」
「ええ。今日も殿方に声をかけられていたそうね」
「薔薇色の髪に、あの紫の瞳でしょう?まるで人を惑わせるために生まれてきたみたい」
「魔性の美貌、なんて呼ばれているそうよ」
……まただ。
私は足を止めず、そのまま通り過ぎた。
こういう話には、もう慣れている。幼い頃から、何度も聞いてきた言葉だから。
私の髪は、少し珍しい薔薇色をしている。瞳も深い紫色で、光が当たると明るく輝くのだそうだ。
自分では、そんなに特別なものだと思ったことはない。
けれど、この容姿のせいで、昔から周囲の女性たちに好かれないことが多かった。
……別に、誰かを惑わせたいわけではないのに。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
それでも、私は顔を上げる。
エレオノーラ様がお待ちなのだ。こんなことで落ち込んでいる場合ではない。
そう思って歩き始めたところで、前方から一人の貴族令息が近づいてきた。
「おや、アマリリス嬢」
「ごきげんよう」
立ち止まり、礼をする。
「ちょうどよかった。今度、私と食事でもいかがです?」
「申し訳ございません。王女殿下のお務めがございますので……」
「そう固いことを言わずに。お休みの日でも構いませんよ」
「お気持ちはありがたいのですが……」
困った。どうお断りすれば、失礼にならないだろう。
「彼女はお断りしていますよ」
そのとき、背後から落ち着いた声が聞こえた。
振り返ると、そこには――。
「ル、ルシアン様!」
ルシアン様がいらっしゃった。
「王女殿下の侍女を、これ以上引き留めるおつもりですか?」
穏やかな口調。けれど、灰緑色の瞳は、いつになく冷たく見えた。
「い、いえ!そのようなつもりでは……」
「そうですか。では、彼女は仕事がありますので」
「し、失礼いたしました!」
令息は慌てて立ち去っていった。
……すごい。
さすがルシアン様。
私が困っていることに気づいて、助けてくださったのね。
「アマリリス嬢。大丈夫でしたか?」
「はい!ありがとうございます、ルシアン様」
「いえ。あなたが謝る必要はありませんから」
そうおっしゃって、ルシアン様は私を見つめられた。
「困ったことがあれば、遠慮なく私に言ってください」
「……はい!」
なんてお優しい方なのだろう。
王太子殿下の側近としてお忙しいのに、私のような侍女にまで気を配ってくださるなんて。
胸がじんわりと温かくなる。
「それでは、失礼いたします」
「ええ。また」
……また。
たったそれだけの言葉なのに。今日だけで、何度幸せな気持ちにさせていただいたことだろう。
私は頬が緩むのを抑えながら、エレオノーラ様のもとへ急いだ。
◇ ◇ ◇
――ルシアン視点。
「……ずいぶん機嫌が悪そうだな」
執務室に戻るなり、アレクシスが楽しそうに声をかけてきた。
「何のことだ」
「さっき、どこぞの令息を追い払ったそうじゃないか」
「王女殿下の侍女を、しつこく引き留めていたからな」
「なるほど。職務上の判断か」
「当然だ」
アレクシスはにやりと笑った。
「……本当に、それだけか?」
「…………」
「お前、昔から女性に言い寄られるのは嫌がるくせに、アマリリスには随分と親切だよな」
「彼女は優秀な侍女だからな」
「へえ?」
……面倒な男だ。
幼い頃からの付き合いだからこそ、こいつには隠し事が難しい。
「それにしても、今日のお茶は美味しかったな」
「そうだな」
「……お茶だけか?」
「…………アレクシス」
「ははっ!」
楽しそうに笑う親友を、思わず睨む。
まったく。王太子ともあろう者が、そんなに暇なのか。
「そう怖い顔をするなよ。ところで、アマリリスは今日も可愛かったな」
「……お前」
「ん?」
「いい加減にしろよ」
アレクシスはとうとう声を上げて笑い始めた。
「はははっ!わかった、わかった!」
俺はため息をつき、机の上の書類へ視線を戻した。
アマリリス。
初めて彼女を見たのは、三年前。
王女付き侍女になったばかりの彼女は、慣れない仕事にも懸命に取り組んでいた。
誰かに褒められるためでも、王族に取り入るためでもなく。ただ、エレオノーラ殿下の役に立ちたいと、真っすぐに。
その姿に、いつの間にか目を奪われていた。
彼女の美しさを噂する者は多い。けれど、俺が惹かれたのは、あの容姿だけではない。
真面目で、優しくて、少し頑固で。そして、笑うと驚くほど可愛らしい。
……今日も、そうだった。
俺がお茶に同席してもよいかと尋ねたとき、彼女は花が咲くように笑った。
あんな顔を見せられて、平静でいられる男がいるだろうか。
「……ルシアン?」
アレクシスの声に、我に返る。
「何だ」
「いや。随分と優しい顔をしていたから」
「……仕事しろ、アレクシス」
「はいはい」
再び笑い声が響く。
俺は書類を手に取りながら、小さく息を吐いた。
……アマリリス。
いつか、仕事の話だけではなく。君自身のことを、もっと聞いてみたい。
そしてできることなら――。
あの笑顔を、俺だけに向けてほしい。
そんな願いを胸に秘めたまま、俺は目の前の仕事へと意識を戻した。




