憧れの人と、午後のお茶会
「アマリリス嬢。私と婚約していただけませんか」
「…………え?」
目の前の男性が何をおっしゃったのか、すぐには理解できなかった。
三年間、ずっと想い続けてきた人。憧れて、遠くからお姿を見つめるだけで幸せだった人。
そんなルシアン様が、今、私に婚約を申し込んでいる。
まさか、こんな日が来るなんて。夢にも思わなかった。
けれど、このときの私はまだ知らなかったのだ。
婚約者というお役目が、あんなにも大変なものだなんて――。
◇ ◇ ◇
数日前。
「ねえ、リリス」
「はい、エレオノーラ様」
「今日はあなたとわたくし、二人だけのお茶会なのよ?そんなに他人行儀にしなくてもいいのに」
目の前で、エレオノーラ様が小さく頬を膨らませた。
エレオノーラ様は、この国の王女殿下であり、私がお仕えする大切な方だ。
私が十五歳で王女付き侍女になってから、三年。エレオノーラ様はいつも私を気にかけてくださり、こうして時折、お茶にも誘ってくださる。
けれど、いくら親しくしていただいているとはいえ、王女殿下と同じテーブルでお茶をいただくなど、恐れ多いことなのだ。
「こうしてご一緒させていただくだけでも、身に余る光栄でございます。どうかご容赦ください」
「あら、あなたって本当にそういうところが堅いわよね」
エレオノーラ様は呆れたようにため息をついたあと、楽しそうに微笑まれた。
そんな穏やかな時間を過ごしていた、そのときだった。
「エレオノーラ!」
不意に男性の声が響いた。
「あら、お兄様!」
振り返ると、そこにはこの国の王太子、アレクシス殿下がいらっしゃった。
そして、その隣には――。
……ルシアン様!
思わず胸が跳ねる。
淡い灰金色の髪に、灰緑色の瞳。すらりとした長身に、整ったお顔立ち。
王太子殿下の側近として活躍される、侯爵家のご嫡男。
ルシアン様は、私が三年間ずっと想い続けているお方だ。
……って、今はそれどころではないわ!
私は慌てて椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「やあ、エレオノーラ。お茶の時間だったのかい?」
「ええ。今日はリリスと二人で楽しんでいたところですの」
エレオノーラ様が答えると、アレクシス殿下は私に視線を向けられた。
「アマリリス、エレオノーラが許しているんだから、そんなに畏まらなくていいよ」
「ですが、そういうわけには……」
「相変わらず真面目だね。なあ、ルシアン?」
「殿下。アマリリス嬢を困らせないでください」
落ち着いた、よく通る声。
……ルシアン様が、私を気遣ってくださった!
「別に困らせたつもりはないんだけどな」
アレクシス殿下は肩をすくめられた。
「お兄様、ルシアン。せっかくですもの。お二人もお茶はいかが?」
「そうだね。いただこうかな」
「私はまだ仕事が――」
「ルシアン!」
アレクシス殿下が、なぜか楽しそうにルシアン様を呼び止めた。
ルシアン様は小さく息をつくと、こちらへ向き直られる。
「アマリリス嬢。私もご一緒してよろしいでしょうか」
「……はい!」
思わず声が弾んでしまった。
だって、まさかルシアン様と同じテーブルでお茶をいただけるなんて!
「ありがとうございます」
そうおっしゃったルシアン様の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
……気のせい、かしら。
ふと見ると、アレクシス殿下がなぜか楽しそうに微笑んでいらっしゃった。
一体、どうされたのだろう?
私は気を取り直し、お二人のために新しいカップを用意した。
ルシアン様の前に紅茶をお出しすると、指先が少しだけ震えてしまう。
どうしましょう。いつもどおりにしなくちゃ。
「ありがとうございます、アマリリス嬢」
「い、いえ!」
……声が裏返ってしまった。
恥ずかしい。
そっと顔を上げると、ルシアン様が優しく微笑んでいらっしゃる。そのお顔を見ただけで、胸がいっぱいになってしまった。
「ところで、アマリリス。今日のエレオノーラの予定は?」
アレクシス殿下がティーカップを手にしたまま、私に尋ねられた。
「本日は特に外出の予定もなく、午後も宮殿でお過ごしになる予定でございます」
「そうか。ありがとう」
殿下は安心したように微笑まれた。
「お兄様は、毎日お忙しそうですわね」
エレオノーラ様が心配そうにお声をかける。
「そうだね。最近は少し、面倒なことが増えていてね」
「……王政に反対する者たちのことですか?」
「エレオノーラ」
アレクシス殿下の声が、ほんの少し低くなった。
「それは僕の仕事だよ」
けれど、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻られる。
「お兄様は、わたくしを甘やかしすぎですわ」
「大切な妹だからね」
「わたくしだって、何かお力になりたいのに……」
「その気持ちだけで十分だよ」
エレオノーラ様は少し不満そうに唇を尖らせた。そのご様子に、私は思わず微笑んでしまう。
アレクシス殿下は、エレオノーラ様を本当に大切にしていらっしゃる。
「さて、そろそろ戻らないとね」
アレクシス殿下がティーカップを置き、席を立たれた。
「アマリリス、美味しいお茶をありがとう」
「恐れ入ります」
「それから、エレオノーラのことを頼んだよ」
「はい。お任せください、アレクシス王太子殿下」
そう答えると、殿下は満足そうに頷かれた。
「それじゃあ、ルシアン。行こうか」
「……はい、殿下」
ルシアン様も静かに席を立たれる。
そのとき、ふと私と目が合った。
「アマリリス嬢。美味しいお茶をありがとうございました」
「い、いえ!お口に合いましたなら何よりでございます」
「ええ。とても美味しかったです」
そう言って、ルシアン様は小さく微笑まれた。
……ああ、もう。
その笑顔は、反則です。
思わず頬が熱くなり、私は慌てて視線を伏せた。
「それじゃあ、またね」
アレクシス殿下は笑顔で手を振られ、エレオノーラ様も微笑みながら手を振り返された。
私は深く頭を下げ、お二人をお見送りする。
扉が閉まる音がして、ようやく顔を上げた。
……はぁ。
まさか、ルシアン様とご一緒にお茶をいただけるなんて。今日は、なんて素敵な日なのかしら。
「ふふっ。リリス、ずいぶん嬉しそうね?」
「……えっ?」
突然のお言葉に、私は慌ててエレオノーラ様へ顔を向けた。
「ルシアンとお茶ができて、そんなに嬉しかった?」
「ひ、姫様っ!」
「まあ、顔が真っ赤よ?」
エレオノーラ様は楽しそうに微笑まれる。
「そ、それは……ルシアン様はとても立派な方ですし、お仕事も素晴らしくて……」
「ええ、そうね。お顔も素晴らしいものね?」
「はい!それはもう、とても……あっ!」
しまった。思わず本音が出てしまった。
エレオノーラ様は口元に手を当て、くすくすと笑っていらっしゃる。
「ふふっ。リリスったら、本当に可愛いわ」
「もう……エレオノーラ様!」
「ごめんなさい。でも、あなたがあんまり嬉しそうだから」
そうおっしゃると、エレオノーラ様は優しく微笑まれた。
「ねえ、リリス。いつか、その気持ちを伝えてみたら?」
「……とんでもございません!」
私は慌てて首を振った。
「ルシアン様は侯爵家のご嫡男でいらっしゃいます。それに、王太子殿下の側近としてご活躍されているお方です。私などが想いをお伝えするなんて……」
「あなたも伯爵家の令嬢でしょう?」
「それは、そうですが……」
たとえ同じ貴族であっても、ルシアン様は私には遠いお方だ。
それに、女性が苦手だという噂もある。私の気持ちをお伝えして、困らせるようなことだけはしたくない。
「私は、こうして時折お姿を拝見できるだけで十分幸せなのです」
そう言って微笑むと、エレオノーラ様はなぜか少し困ったようなお顔をされた。
「……本当に、もう」
「姫様?」
「いいえ、何でもないわ」
そして、何かを思いついたように、いたずらっぽく微笑まれる。
「でも、またルシアンをお茶に誘ってもいいわよね?」
「……っ! エレオノーラ様!」
私の抗議など、どこ吹く風。
エレオノーラ様の楽しそうな笑い声が、お茶室に響いた。




