↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮の婚約者のはずですが、侯爵令息様の溺愛が本気すぎます! ~両片思いから始まる甘すぎる婚約生活~  作者: ルミ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/36

さようなら、私の大好きな人

――リリス視点。


クラリスから返事が届いたのは、手紙を出してから三日後のことだった。


『もちろんよ、リリス。あなたが相談したいなんて珍しいわね。何か困っていることがあるのなら、遠慮なく話してちょうだい』


懐かしい文字を見つめていると、胸の奥が少しだけ温かくなった。クラリスとは、王宮で侍女をしていた頃からの付き合いだ。いつも明るく、けれど人の気持ちには誰よりも敏感な友人。


きっと、彼女なら。


私は返事を丁寧に折り畳み、そっと胸に抱いた。


◇ ◇ ◇


数日後、私は王都の小さな茶館でクラリスと向かい合っていた。


事件の実行犯が捕らえられてから、外出の制限は少しずつ緩和されている。それでも王宮の調査は続いているため、ルシアン様に外出の予定を伝え、屋敷の護衛を伴って出かけていた。


「リリス、久しぶりね!」

「久しぶり、クラリス。急にお願いしてしまってごめんなさい」

「何を言っているの。あなたからのお誘いなら、いつだって大歓迎よ」


クラリスは紅茶を一口飲むと、私の顔を覗き込んだ。


「それで?相談したいことって、何かしら」


私はカップを両手で包み込んだ。……何から話せばいいのだろう。


ルシアン様との婚約のこと。事件が解決に向かっていること。そして、そろそろ自分の役目が終わるのではないかと思っていること。


ひとつずつ言葉にすると、クラリスは途中で口を挟まず、静かに聞いてくれた。


「……だから、いつまでもお世話になるわけにはいかないと思っているの」


話し終えると、クラリスは少し考えるように目を伏せた。


「リリス。ひとつ聞いてもいい?」

「ええ」

「その婚約が一時的なものだって、ルシアン様がはっきりおっしゃったの?」


私は言葉に詰まった。


「……それは」

「婚約を解消するって、約束されたの?」


私は小さく首を振った。


「でも、私を守るための婚約だったから……」


クラリスは困ったように眉を下げた。


「守るために婚約したからって、それが一時的とは限らないでしょう?」


胸が、どきりと鳴った。


「……でも、ルシアン様は、とてもお優しい方なの。きっと、私に気を遣ってくださっているだけで……」


クラリスはしばらく私を見つめていた。


「……リリス。あなたは、本当はどうしたいの?」


その問いに、胸がぎゅっと締めつけられた。本当は、ずっとそばにいたい。けれど、それを口にすることはできなかった。


「……ご迷惑をおかけしたくないの」


やっとの思いで答えると、クラリスは小さく息を吐いた。


「あなたらしいわね。でも、相手の気持ちを確かめずに決めてしまっていいのかしら」


私は俯いた。……分かっている。きちんと話さなければいけないことくらい。


でも、もしルシアン様から「もう婚約を続ける必要はありません」と言われたら。その場で笑って頷ける自信が、私にはなかった。


「……少しだけ、時間が欲しいの」


クラリスは、私の手にそっと自分の手を重ねた。


「それなら、無理に答えを出さなくてもいいわ。ただ、ひとつ約束して」

「……何かしら?」

「ルシアン様の気持ちを、あなた一人で決めつけないこと。落ち着いたら、ちゃんとお話しするのよ」


私は小さく頷いた。


「……ええ。ありがとう、クラリス」


その温かさに、涙がこぼれそうになった。


◇ ◇ ◇


それから数日後、クラリスからもう一通の手紙が届いた。


彼女の母方の親戚が所有する、王都から少し離れた場所にある別邸。今は使われていないけれど、長年仕えている管理人夫婦が暮らしているという。


『少し静かな場所で考えたいのなら、使ってもいいそうよ。ただし、逃げるための場所ではなく、落ち着いて考えるための場所だからね。あなたが一人で無理をしないこと。それから、落ち着いたら必ず話を聞かせてね』


私は手紙を読み終え、窓の外を見つめた。


……静かな場所。


ルシアン様のおそばにいると、どうしても気持ちが揺らいでしまう。優しくされるたびに、期待してしまう。


もう少しだけ。あと一日だけ。そんなふうに、自分に言い訳を重ねてしまうのだ。


私は手紙をそっと畳んだ。……決めなくては。


◇ ◇ ◇


その日の夕食も、ルシアン様はいつもと変わらず優しかった。


「リリス。今日は少し疲れていませんか?」

「……そうでしょうか?」

「ええ。顔色があまりよくないように見えます」


私は慌てて微笑んだ。


「大丈夫です。少し寝不足なだけですから」

「それなら、今夜は早めに休んでくださいね」


ルシアン様は、心配そうに眉を寄せられた。


「……ありがとうございます」


私はそっと視線を落とした。こんなにも優しい方。この方の隣にいられた時間は、きっと一生忘れない。


「そういえば、リリス」


顔を上げると、ルシアン様が柔らかく微笑まれた。


「例の湖ですが、来週あたりなら時間が取れそうです」

「……湖」

「ええ。まだ正式には決めていませんが、あなたの都合がよければと思いまして」


胸が、ひどく痛んだ。……来週。その頃には、私はもうここにいないつもりだった。


「……ありがとうございます。お気持ち、とても嬉しいです」


ルシアン様は、少し不思議そうに私を見つめられた。


「リリス?」

「……何でもありません」


私は微笑んだ。今だけは、どうか。この幸せな時間を、壊させないでください。


◇ ◇ ◇


翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。


窓の外は、まだ薄暗い。机の上には、昨夜書き終えた一通の手紙が置かれている。


何度も書き直した。どう書けば、ルシアン様に余計な心配をおかけせずに済むのだろう。どうすれば、感謝の気持ちをきちんと伝えられるのだろう。


考えても、考えても、答えは見つからなかった。結局、最後に残ったのは、とても短い言葉だった。


『ルシアン様へ


これまで、私を守ってくださり、本当にありがとうございました。


事件も解決に向かい、私の婚約者としてのお役目も、これで終えられたのだと思います。


これ以上、ルシアン様のご厚意に甘えるわけにはまいりません。


どうか、これからはご自身の幸せを一番にお考えください。


あなたが幸せでいてくださることを、心から願っています。


本当に、ありがとうございました。


アマリリス・ベルフォード』


私は手紙を封筒に収め、机の上に置いた。


……これで、いい。


そう思おうとしても、胸の奥が苦しかった。


部屋を見渡す。初めて案内されたとき、あまりの美しさに驚いた寝室。窓辺の椅子も、柔らかな寝具も、私のために用意してくださったもの。


何もかもが、温かな思い出だった。


私は小さな鞄を開き、持っていくものを確認した。衣服と、必要な身の回りの品。それから、クラリスの手紙。


最後に、机の上の小さな箱へ視線を向けた。ルシアン様からいただいた、淡い紫色のブローチ。


私はそっと箱を開いた。朝の光を受けて、石がきらりと輝く。


『あなたの瞳の色に似ていると思ったんです』


あのときの、優しい声が蘇る。


……持っていきたい。


このブローチだけは、ずっと大切にしたい。


でも、これを持っていたら、いつまでも諦められなくなってしまうかもしれない。


私はしばらく迷ったあと、箱の蓋を閉じた。そして、手紙の隣にそっと置いた。


……さようなら。


◇ ◇ ◇


屋敷を出る前、私は玄関ホールで立ち止まった。


ルシアン様はすでに王宮へ向かわれている。昨夜、今日は朝から重要な会議があるとおっしゃっていた。


私は執事に、いったん実家のベルフォード伯爵家へ戻ることを伝えた。事件の実行犯は捕らえられたとはいえ、調査は続いているため、屋敷の護衛の方々に実家まで送っていただく。


その後は、伯爵家の護衛に付き添ってもらい、クラリスが紹介してくれた別邸へ向かうつもりだった。


ルシアン様への手紙は、私が屋敷を出たあとにお渡ししてほしいとお願いした。


執事は驚いた様子だったけれど、私の意思を確認したうえで、馬車を手配してくださった。


……これなら、少なくとも危険な目に遭うことはないはず。


そう思いながら、私は最後にもう一度、屋敷を振り返った。


ここで過ごした日々。ルシアン様と一緒に食事をしたこと。庭を歩いたこと。私のために、たくさんの優しい言葉をくださったこと。


すべてが、宝物だった。


「……ありがとうございました」


小さく呟く。


馬車がゆっくりと動き出した。窓の向こうで、屋敷が少しずつ遠ざかっていく。


私は膝の上で、両手を強く握りしめた。


……泣かない。


泣いてはいけない。自分で決めたことなのだから。


けれど、屋敷の姿が見えなくなった瞬間。


「……っ」


堪えていた涙が、頬を伝った。一度こぼれた涙は、もう止まらなかった。


「……ルシアン様……」


声に出してしまった名前が、胸を締めつける。


大好きでした。


ずっと、ずっと。


三年間、あなたのことが大好きでした。


そして、今も。


こんなにも、愛しています。


私は両手で顔を覆った。


馬車は静かに走り続ける。私が置いてきた、あの温かな場所から。大好きな人のいる場所から。


少しずつ、遠ざかっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。