捕らえた犯人と、すれ違う想い
ローデリックの供述から、事件の経緯が少しずつ明らかになった。
彼は多額の借金を抱えており、ある男から金銭と引き換えに王宮への侵入を手助けするよう持ちかけられていた。
偽造された紹介状を受け付け、代理の作業員として男を通す。さらに、事件後の混乱に紛れて、使用人用の搬入口から逃がす手はずだったという。
「……その男が何をするつもりだったか、本当に知らなかったのか?」
俺の問いに、ローデリックは震える声で答えた。
「庭園に忍び込んで、ある人物と接触するとしか……。王女殿下を襲うなんて、聞いていませんでした!」
どこまで本当かは分からない。
だが、少なくとも侵入を手助けしたことは間違いない。彼の供述は記録とも一致していた。
ローデリックは拘束され、王宮の警備担当者へ引き渡された。
その後、彼が受け取った金銭の流れと男との接触記録を調べた結果、犯人が潜伏している可能性のある場所が判明した。
王都の外れにある、使われなくなった倉庫だった。
◇ ◇ ◇
「……見つけたな」
アレクシスは報告を聞き、静かに息を吐いた。
「ああ。だが、まだ終わっていない」
俺は倉庫周辺の地図を広げた。
「相手は王女殿下を狙った男だ。追い詰められれば、何をするか分からない」
「分かっている。騎士団を動かそう」
「俺も現場へ行く」
「……ルシアン」
アレクシスが、わずかに眉を寄せた。
「お前が直接行く必要はないだろう」
「事件の経緯を把握している者が現場にいた方が、判断が早い」
「それだけか?」
俺は一瞬、言葉を止めた。
脳裏に浮かんだのは、あの日のリリスの姿だった。
エレオノーラ殿下を庇い、危険の前に立ちはだかった彼女。もし、あのとき少しでも対応が遅れていたら。
「……二度と、同じことを起こさせたくない」
そう答えると、アレクシスはしばらく俺を見つめていた。やがて、小さく頷く。
「分かった。ただし、無茶はするな」
「ああ」
俺は地図を畳んだ。
必ず、ここで終わらせる。
◇ ◇ ◇
倉庫の周囲を騎士団が包囲したのは、その日の午後だった。
逃走経路を塞ぎ、周囲に人がいないことを確認してから、騎士たちが慎重に建物へ近づく。
俺は少し離れた位置で、指揮官と状況を確認していた。
「裏手の扉は?」
「すでに封鎖しております」
「窓からの逃走にも備えろ。相手は刃物を持っている可能性がある」
指示を終えた直後、倉庫の中から物音が響いた。
「動くな!」
騎士の声が聞こえる。続いて、何かが倒れる音。
俺は思わず一歩踏み出したが、すぐに足を止めた。
ここで自分が飛び込めば、かえって指揮を乱す。今、俺がすべきことは冷静に状況を見極めることだ。
やがて、倉庫の扉が開いた。
二人の騎士に両腕を押さえられ、一人の男が姿を現す。
「確保しました!」
その報告を聞き、俺はようやく息を吐いた。
男の特徴は、事件当日に目撃された侵入者と一致していた。所持品からは、王宮周辺の地図と、エレオノーラ殿下の行動予定を記した紙が見つかった。
これで、襲撃事件の実行犯を確保できた。
俺は男を見据えた。
「王女殿下を狙った理由は、これから詳しく聞かせてもらう」
男は何も答えず、視線を逸らした。
事件の背景には、まだ調べるべきことが残っている。だが、少なくとも、リリスとエレオノーラ殿下を直接脅かしていた男は捕らえた。
俺は空を見上げた。
……これで、ようやく。
彼女を安心させてやれる。
◇ ◇ ◇
屋敷へ戻ったのは、夕方を少し過ぎた頃だった。
玄関を抜けると、廊下の向こうからリリスが姿を現した。
「ルシアン様!」
俺を見つけた途端、彼女の顔がぱっと明るくなる。
「お帰りなさいませ。今日は少し遅かったのですね」
「ただいま戻りました。少し、仕事が長引いてしまって」
「お疲れ様でした」
彼女は微笑み、それから何かを思い出したように両手を合わせた。
「あの、ルシアン様。実は今日、厨房の方にお願いして、お菓子を作っていただいたんです」
「お菓子、ですか?」
「はい! 蜂蜜を使った焼き菓子です」
……蜂蜜。
昨夜、俺が好きだと話したものだ。
「昨日のお話を覚えていてくださったんですか?」
「もちろんです。ルシアン様のお好きなものですから」
彼女は少し照れたように笑った。
「お口に合うか分かりませんけれど……よろしければ、あとで召し上がってください」
俺はしばらく、言葉を失っていた。
たった一度話しただけの好物を、覚えていてくれた。それだけでなく、わざわざ用意してくれたのだ。
「……リリス」
「はい?」
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
彼女の頬が、ほんのり赤く染まった。
「よかったです!」
俺は思わず微笑んだ。
本当に、この人は。
どこまで俺を幸せにしてくれるのだろう。
「それから、リリス。あなたにお伝えしたいことがあります」
「……何でしょう?」
俺は彼女をまっすぐに見つめた。
「王宮で起きた事件の犯人を、捕らえました」
「……え?」
リリスの瞳が、大きく見開かれる。
「本当、ですか?」
「ええ。まだ調査は続きますが、王女殿下を襲った男は確保しています」
彼女は胸元で両手を握りしめた。
「……よかった」
その声が、小さく震えていた。
「エレオノーラ様も、これで少しは安心できますね」
「そうですね。殿下にも、すでに報告が届いているはずです」
リリスはほっとしたように微笑んだ。俺も、ようやく肩の力が抜けるのを感じた。
「これで、少しずつ以前の生活に戻れるでしょう」
「……以前の、生活……」
リリスが、小さく繰り返した。
「ええ。警備の状況を確認する必要はありますが、落ち着いたら、あなたをどこかへお連れしたいと思っています」
「……私を、ですか?」
「もちろんです」
俺は微笑んだ。
「以前、静かな場所が好きだとお話ししましたね。王都の外に、美しい湖があります。いつか、あなたと一緒に行けたらと思っていたんです」
リリスは、少し驚いたように俺を見つめた。それから、ゆっくりと微笑む。
「……素敵ですね」
その声は、どこか儚げだった。
「リリス?」
思わず名前を呼ぶと、彼女は慌てて首を振った。
「い、いいえ! 何でもありません」
いつもと変わらない笑顔。けれど、その奥にほんの少しだけ、寂しさのようなものが見えた気がした。
……事件のことを思い出したのだろうか。
危険が去ったと聞いても、すぐに気持ちが落ち着くとは限らない。無理に話を聞き出すより、今は安心して過ごせるようにすることが先だ。
「……無理はしないでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
リリスは優しく微笑んだ。
俺はそれ以上、尋ねなかった。
事件が落ち着けば、きっと彼女も安心できる。
そう信じていた。
◇ ◇ ◇
――リリス視点。
自室へ戻った私は、窓辺に立って夜空を見上げていた。
犯人が、捕まった。
エレオノーラ様を狙った、あの恐ろしい事件が終わろうとしている。
本当なら、心から喜ぶべきことだ。
もちろん、嬉しい。エレオノーラ様がもう危険な目に遭わずに済むのなら、それ以上に望むことはない。
けれど。
『これで、少しずつ以前の生活に戻れるでしょう』
ルシアン様の言葉が、何度も胸の中で繰り返される。
以前の生活。
それは、私がこの屋敷に来る前の生活。ルシアン様の婚約者ではなかった頃の、日々。
……そうよね。
最初から、分かっていたことだもの。
この婚約は、私を守るためのもの。事件が解決したのなら、もうルシアン様にご迷惑をおかけする理由はない。
私はそっと、胸元に手を当てた。
それなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。
昨日、ルシアン様の好きなものを知ることができて、あんなに嬉しかったのに。今日、蜂蜜のお菓子を用意して、喜んでいただけて。
もっと、いろいろなことを知りたいと思ってしまったのに。
……でも。
いつまでも、甘えていてはいけない。
ルシアン様には、これから本当にお迎えになるべき方がいるのだから。
私は小さく息を吐いた。
大丈夫。
きっと、笑顔でお別れできる。
そう自分に言い聞かせながら、窓の外に広がる夜空を見つめ続けた。




