第9話 Aランク探索者の本気
《雁坂深層洞》第二層。
本来なら、この区域に現れるはずのない魔物が二人の前に立ちはだかっていた。
三メートルを超える巨体。岩のように隆起した筋肉を黒い皮膚が覆い、その上から傷だらけの金属鎧をまとっている。握られている戦斧は、市河信太が両手を広げたほどの長さがあった。
《ブラックオーガ・ジェネラル》。
B級ダンジョン深層部、場合によってはA級ダンジョンでも確認される上位個体。
そんな魔物が、まだ第二層にいる。
ブラックオーガ・ジェネラル「グオオオオオオオッ!」
咆哮と同時に、巨体が地面を蹴った。
信太「速っ……!」
見た目から想像していた速度を完全に上回っていた。
巨大な戦斧が振り上げられる。
その正面へ、九条蓮司が出た。
九条「シンタ! 下がれ!」
信太「はい!」
信太が横へ跳ぶ。
直後。
戦斧が振り下ろされた。
九条は避けない。
大剣を両手で握り、真正面から受ける。
激突。
ドォンッ!
洞窟内に轟音が響いた。
衝撃波が広がり、地面に積もっていた砂埃が一気に吹き飛ぶ。
信太「……!」
思わず目を見開いた。
九条は動いていない。
巨大な戦斧を、大剣一本で真正面から止めていた。
ブラックオーガ・ジェネラル「グ……オ……!」
九条「重いな」
その声には、まだ余裕がある。
九条「だが――」
九条の全身を魔力が包んだ。
信太にもはっきり分かる。
自分の身体強化とは違う。
信太は必要な場所へ必要な瞬間だけ魔力を集中させるが、九条は全身を均等かつ強固に強化している。
脚。
腰。
背中。
肩。
腕。
全身が一つの巨大な武器になったかのようだった。
九条「この程度なら押し負けねえ!」
大剣を振り抜く。
ブラックオーガ・ジェネラルの戦斧が弾かれた。
信太「うわ……」
今度こそ、素直な声が漏れた。
力と力。
正面衝突。
自分なら絶対に選ばない戦い方だ。
だが九条は、それを可能にするだけの身体能力と魔力を持っている。
コメント欄も爆発していた。
名無しの剣道民『これがAランクかよ!』
新人探索者好き『真正面から止めた!?』
ダンジョン考察ニキ『九条さんの全身強化やっぱ出力おかしい』
名無しの剣道民『シンタがドン引きしてるの初めて見た』
信太「いや、だってあれはおかしいでしょう」
九条「聞こえてるぞ!」
信太「九条さん、普通じゃないですよ!」
九条「お前が言うな!」
戦闘中にもかかわらず、そんなやり取りが飛ぶ。
だが九条の視線は一瞬たりとも敵から外れていない。
ブラックオーガ・ジェネラルが体勢を戻す。
戦斧を横へ構えた。
九条「シンタ!」
信太「はい!」
九条「こいつの動きを見ろ! ただ力任せに振ってるわけじゃねえ!」
信太「分かりました!」
ブラックオーガ・ジェネラルが踏み込む。
横薙ぎ。
九条は大剣を斜めに立てた。
今度は受け止めない。
刃を滑らせ、戦斧の軌道を上へ逸らす。
信太「……!」
信太の目が細くなった。
自分と似ている。
力の方向を変えている。
しかし規模が違う。
九条は大剣という重量武器を使いながら、繊細な受け流しまで行っている。
九条「大剣使いが全部力任せだと思ったか?」
信太「ちょっとだけ」
九条「正直だな、おい!」
戦斧を流した九条が前へ出る。
大剣が下段から跳ね上がった。
九条「ふっ!」
斬撃。
ブラックオーガ・ジェネラルの金属鎧へ大剣が叩き込まれる。
ガァンッ!
鎧が大きくへこんだ。
巨体が二歩後退する。
信太「鎧ごと……」
九条「まだだ!」
ブラックオーガ・ジェネラルが戦斧を振り回す。
九条が避ける。
洞窟の壁へ戦斧が直撃した。
岩が砕け散る。
その破片の一つが信太へ飛んできた。
信太「っと」
半歩ずれて回避。
そのまま信太は戦況を観察する。
九条から無理に攻撃するなと言われている。
だから今は見る。
相手の動き。
癖。
攻撃後の隙。
呼吸。
足運び。
信太「…………」
ブラックオーガ・ジェネラルは確かに強い。
速い。
重い。
そして頑丈だ。
だが、九条が言った通り、ただ暴れているわけではない。
戦斧を振る前に、わずかに左足へ重心を移す。
大振りの後は右肩が下がる。
連続攻撃は三回まで。
三回目の直後に、一瞬だけ呼吸が止まる。
信太「……見えてきた」
九条「何がだ?」
信太「攻撃の癖です」
九条が笑った。
九条「早えな」
ブラックオーガ・ジェネラルが九条へ突進する。
一撃。
二撃。
三撃。
信太「今!」
九条「おう!」
三撃目。
戦斧が地面へ突き刺さる。
ブラックオーガ・ジェネラルの右肩が下がった。
九条が踏み込む。
大剣へ魔力が集中する。
九条「――《剛断》!」
横一文字。
轟音。
大剣がブラックオーガ・ジェネラルの胸部へ直撃した。
金属鎧が裂ける。
黒い巨体が大きく吹き飛ばされ、岩壁へ激突した。
新人探索者好き『うおおおおお!』
名無しの剣道民『鎧割った!』
ダンジョン考察ニキ『さすがAランク』
信太「すごい……」
だが。
九条「まだ終わってねえ!」
岩壁の前で、ブラックオーガ・ジェネラルが立ち上がった。
胸の鎧は大きく裂けている。
その下には深い傷。
それでも倒れない。
むしろ赤い瞳が、さらに強い光を放ち始めた。
ブラックオーガ・ジェネラル「グルルルル……!」
信太「雰囲気が変わった?」
九条「怒ったな」
信太「魔物って怒ると強くなるんですか?」
九条「種類による。オーガ系の上位個体は特にな」
ブラックオーガ・ジェネラルの筋肉が膨張する。
身体から赤黒い魔力が噴き出した。
九条「《狂化》だ」
信太「狂化?」
九条「痛覚と防御を捨てて、身体能力を一時的に上げる。攻撃力と速度が跳ね上がるぞ」
信太「なるほど」
九条「なるほどじゃねえ。ここからが危ねえんだ」
ブラックオーガ・ジェネラルが消えた。
信太「――っ!」
違う。
消えたのではない。
速すぎた。
九条の正面。
戦斧が迫る。
九条「ぐっ!」
大剣で受ける。
轟音。
今度は九条の身体が後方へ滑った。
靴底が地面を削る。
九条「さすがに重くなったな……!」
二撃目。
九条が受ける。
三撃目。
今度は回避。
戦斧が壁を粉砕する。
信太「九条さん!」
九条「まだ来るな!」
信太「でも!」
九条「見るのも経験だ! 今のお前は、B級上位の速度を身体に覚えろ!」
信太「……はい!」
信太は刀を握りながら、じっと戦いを見る。
九条が何をしようとしているのか分かった。
ただ守っているわけではない。
自分へ見せている。
上位探索者の戦い。
B級以上の魔物の速度。
攻撃を受けるべき場面。
避けるべき場面。
反撃すべき瞬間。
信太「……すごいな」
配信で見るのとは違う。
目の前で感じる圧力。
地面を伝わる振動。
武器同士がぶつかる衝撃。
魔力の流れ。
何より、判断の速さ。
九条は大剣使いだから強いのではない。
魔力量が多いから強いのでもない。
経験が違う。
九条「シンタ!」
信太「はい!」
九条「見えたか!?」
信太「だいたい!」
九条「だいたいで十分だ!」
九条が大きく後退した。
ブラックオーガ・ジェネラルが追う。
九条「じゃあ――」
大剣を肩へ担ぐ。
九条「今度は一緒にやるぞ!」
信太「え?」
九条「実戦は見学会じゃねえ!」
信太の表情が変わった。
信太「分かりました!」
刀を構える。
ブラックオーガ・ジェネラルが九条を狙う。
九条「俺が正面を取る!」
信太「なら俺は右から!」
九条「それでいい!」
二人が同時に動いた。
九条は真正面。
信太は右側面。
ブラックオーガ・ジェネラルは九条へ戦斧を振り下ろす。
九条「ふんっ!」
大剣で受け止める。
信太はその横を抜けた。
狙うのは右脚。
刀を振る。
ガキンッ!
信太「硬い!」
浅い。
狂化によって筋肉そのものが硬化している。
ブラックオーガ・ジェネラルが信太を見る。
九条「止まるな!」
信太「はい!」
すぐに離脱。
戦斧が信太のいた場所を薙ぎ払った。
信太「危な……!」
九条「今の判断はいい!」
信太「褒める余裕あるんですか!?」
九条「ある!」
九条が大剣を振る。
ブラックオーガ・ジェネラルが戦斧で受けた。
信太は再び側面へ。
今度は斬らない。
観察する。
狂化していても身体構造そのものは変わっていない。
筋肉が硬いなら、関節。
鎧の隙間。
九条が先ほど破壊した胸部。
信太「……そこか」
ブラックオーガ・ジェネラルの胸。
金属鎧が裂け、その下に九条がつけた傷がある。
信太「九条さん!」
九条「どうした!」
信太「胸の傷、狙えます!」
九条「やれるか!?」
信太「やります!」
九条「なら作る!」
何を、とは聞かなかった。
九条が全身強化の出力を上げる。
その魔力圧に、信太の肌が震えた。
九条「おおおおおっ!」
真正面から突進。
ブラックオーガ・ジェネラルも戦斧を振る。
九条は大剣を横に構えた。
激突。
今度は押し合い。
九条「シンタ!」
信太「はい!」
信太が走る。
右脚。
身体強化。
腰。
背中。
肩。
右腕。
魔力が動作に合わせて移動していく。
狙うのは一点。
胸部。
九条が作った傷。
ブラックオーガ・ジェネラルが信太に気づく。
信太「遅い!」
だが相手も上位個体。
九条と押し合いながら、強引に戦斧を引いた。
九条「まずい!」
戦斧が信太へ向かう。
四式を使えば止まれない。
直進中に攻撃を受ければ致命傷になる。
信太「なら――!」
踏み込みを変える。
正面ではない。
斜め。
身体を沈める。
戦斧が頭上を通過した。
信太「近づけば!」
巨大な武器ほど、懐へ入られた時に取り回しが悪くなる。
信太はブラックオーガ・ジェネラルの真正面へ入り込んだ。
胸の傷が目の前にある。
信太「ここなら!」
右手一本で刀を構える。
水平。
だが助走距離がない。
四式は使えない。
なら。
信太「――右片手平突き・壱式!」
腰を回す。
右肩。
肘。
手首。
全身の力を一点へ集約する。
刀の切っ先が胸の傷へ突き刺さった。
ブラックオーガ・ジェネラル「グオオオッ!」
信太「まだ浅い!」
止まった。
筋肉が刀を押し返している。
信太「だったら……!」
左手を柄頭へ添えようとする。
その瞬間。
九条「シンタ! そのまま押せ!」
信太「え?」
九条が大剣を引いた。
そしてブラックオーガ・ジェネラルの背後へ回り込む。
信太「九条さん!?」
九条「挟むぞ!」
九条が大剣の腹を、ブラックオーガ・ジェネラルの背中へ叩きつけた。
九条「おらあああっ!」
巨体が前へ押し出される。
信太「うわっ!?」
信太の刀へ、向こうからブラックオーガ・ジェネラルの身体が迫った。
結果。
ズブッ!
刀が一気に胸の奥へ入る。
信太「なるほど!」
九条「今だ!」
信太「はい!」
刀をひねる。
重心を落とす。
刃筋を合わせる。
そして必要な瞬間だけ、右腕へ身体強化を集中。
信太「――斬鉄!」
内部から斬り上げた。
ブラックオーガ・ジェネラル「グオオオオオオオ――ッ!」
絶叫。
巨体が大きく仰け反る。
九条「離れろ!」
信太は刀を引き抜き、後方へ跳んだ。
九条も距離を取る。
ブラックオーガ・ジェネラルが数歩よろめく。
戦斧が地面へ落ちた。
そして。
ドォンッ。
巨体が膝をつく。
光の粒子が身体から溢れ始めた。
信太「……倒した?」
九条「ああ」
ブラックオーガ・ジェネラルの身体が崩れ、無数の光となって消えていく。
残ったのは、大きな黒い魔石。
そして一本の角だった。
しばらく誰も喋らなかった。
コメント欄さえ、一瞬だけ静かだった。
次の瞬間。
名無しの剣道民『うおおおおおおおお!!』
新人探索者好き『倒したああああ!!』
ダンジョン考察ニキ『A+Cでジェネラル討伐!?』
名無しの剣道民『シンタ普通に戦力になってたぞ!?』
新人探索者好き『最後の連携やばすぎる』
信太「……疲れた」
信太は大きく息を吐いた。
初めてだった。
ここまで一体の魔物へ集中して戦ったのは。
九条「どうだった?」
信太「B級って大変ですね」
九条「だから何度も言ってるだろ」
九条は呆れたように笑う。
九条「こいつは普通のB級第二層の相手じゃねえ」
信太「そうでした」
九条「忘れるな」
信太「はい」
九条は黒い魔石を拾う。
その表情から笑みが消えた。
九条「問題はここからだ」
信太「この魔物がいた理由ですか?」
九条「ああ」
九条は角も回収し、協会支給の証拠保管袋へ入れた。
九条「ブラックオーガ・ジェネラルは、少なくともこの第二層の生態系には入っていない」
信太「深層から上がってきた?」
九条「可能性はある。ただ……」
九条は巨大な足跡を見る。
九条「妙なんだよ」
信太「何がですか?」
九条「こいつ一体が上がってきただけなら、周辺の魔物がここまで綺麗に消えるか?」
信太「逃げたんじゃ?」
九条「普通ならな」
九条は周囲を見渡す。
九条「でも死骸も戦闘痕もほとんどない」
信太も改めて周囲を見る。
確かにそうだ。
ブラックオーガ・ジェネラルが暴れながら移動してきたなら、もっと壁や地面に痕跡が残っていてもいい。
しかし巨大な足跡以外は妙に綺麗だった。
信太「じゃあ……」
九条「何かから逃げてきた可能性もある」
信太「…………」
今度は信太も黙った。
あれほど強かった魔物が逃げる相手。
考えたくない。
九条「今日はここまでだ」
信太「第三層は?」
九条「行かない」
即答だった。
信太「調査予定は第三層までですよね?」
九条「予定は予定だ。第二層で想定外の上位個体と遭遇した時点で状況が変わった」
信太「なるほど」
九条「探索者はな、予定通り進むことより生きて情報を持ち帰る方が大事なんだ」
信太「分かりました」
九条「協会へ報告する。ここから撤退だ」
信太「はい」
九条は配信ドローンへ目を向けた。
九条「視聴者も聞いてるだろうが、今日はここで終了した方がいい。位置情報や詳しい調査内容は協会判断が出るまで伏せてくれ」
信太「分かりました」
信太はドローンへ向き直る。
信太「ということで、予定より早いですけど今日は撤退します」
ダンジョン考察ニキ『それがいい』
名無しの剣道民『無事に帰ってくれ』
新人探索者好き『今日十分すぎるから!』
信太「配信自体は入口まで続けます。何かあるかもしれないので」
九条「それでいい」
二人は来た道を戻り始めた。
◇ ◇ ◇
市河家。
リビングでは、美咲と莉奈がテレビへ映した配信を無言で見ていた。
先ほどまでとは空気が違う。
ブラックオーガ・ジェネラルとの戦闘。
その映像を二人とも最初から最後まで見ていた。
莉奈「…………」
美咲「…………」
莉奈「お母さん」
美咲「何?」
莉奈「もし……もしだよ?」
莉奈は画面を見たまま尋ねる。
莉奈「これがお兄ちゃんだったら、どうする?」
美咲はすぐには答えなかった。
画面の中で、シンタが九条の隣を歩いている。
怪我はしていない。
少し疲れているようだが、普通に歩いている。
美咲「怒るわ」
莉奈「やっぱり?」
美咲「ええ」
莉奈「ダンジョンに行ってたこと?」
美咲「それも少しはね」
美咲は静かに言う。
美咲「でも一番は、こんな危ないことをずっと一人で抱えていたこと」
莉奈「……そっか」
美咲「ただ」
莉奈「うん?」
美咲「頭ごなしに辞めなさいとは言えないわね」
莉奈「お父さんは言いそう」
美咲「言うでしょうね」
二人とも容易に想像できた。
だからこそ信太は秘密にしているのだろう。
美咲「まず本人から聞かないと」
莉奈「でも認めるかな?」
美咲「認めさせる方法ならあるわ」
莉奈「え?」
美咲は少しだけ笑った。
美咲「今日、信太が帰ってきたら分かるでしょう」
莉奈「何が?」
美咲「見ていればね」
◇ ◇ ◇
午後一時過ぎ。
信太と九条は無事に雁坂深層洞を脱出した。
管理施設へ戻ると、すでに協会職員が待っていた。
黒崎「市河」
信太「あれ?」
そこにいた人物を見て、信太が目を丸くする。
埼玉支部探索者管理課の黒崎誠司。
信太がFランクだった頃から世話になっている職員だった。
黒崎「またお前か」
信太「なんで第一声がそれなんですか」
黒崎「武甲森林ダンジョンでオーク・ウォリアーを倒したと思ったら、今度はB級ダンジョンでブラックオーガ・ジェネラルだぞ」
信太「九条さんもいましたよ」
黒崎「そういう問題じゃない」
九条「まあまあ。今回は俺が誘ったんだ」
黒崎「九条さんからの申請だったから許可したんですよ」
九条「ちゃんと生きて帰ってきただろ?」
黒崎「それは結果論です」
九条「耳が痛いな」
黒崎はため息をついた。
それから信太を見る。
黒崎「怪我は?」
信太「ありません」
黒崎「本当に?」
信太「本当に」
黒崎「ならいい」
言葉はぶっきらぼうだが、明らかに心配していた。
黒崎「詳しい報告を聞く。配信は?」
信太「まだついてます」
黒崎「なら、ここで切れ。ここから先は内部情報も含まれる」
信太「分かりました」
信太はドローンへ向き直る。
信太「ということで、無事に戻ってきました。今日はここまでにします」
名無しの剣道民『お疲れ!』
新人探索者好き『無事でよかった』
ダンジョン考察ニキ『協会の調査結果気になる』
信太「公開できる情報が出たら、また話します。それじゃあ、ありがとうございました」
九条「またな!」
九条もカメラへ手を上げる。
配信終了。
その瞬間、信太は大きく息を吐いた。
黒崎「疲れたか?」
信太「ちょっと」
九条「初B級であれに遭遇したんだ。疲れない方がおかしい」
黒崎「その割には元気そうですが」
九条「そこは俺も気になってる」
信太「え?」
九条と黒崎が同時に信太を見る。
信太「何ですか?」
九条「市河」
信太「はい」
九条「お前、魔力どれくらい残ってる?」
信太は自分の状態を確認する。
身体強化。
四式は使わなかったが、壱式、斬鉄、回避行動。
それなりに魔力は使っている。
信太「六割……いや、七割くらい?」
九条「…………」
黒崎「…………」
信太「なんで黙るんですか?」
九条「黒崎さん」
黒崎「言いたいことは分かります」
九条「こいつ、本当にCランクでいいのか?」
信太「Cランクですよ」
黒崎「探索者証上はな」
信太「何ですか、その言い方」
九条は楽しそうに笑った。
九条「ますます面白くなってきた」
信太「俺は普通に探索してるだけなんですけど」
黒崎「市河」
信太「はい?」
黒崎「お前が『普通』と言うたびに、こちらの仕事が増える気がする」
信太「ひどくないですか?」
九条が声を上げて笑う。
だが黒崎の表情はすぐに真剣なものへ戻った。
黒崎「冗談はここまでだ」
九条「ああ」
黒崎「第二層にブラックオーガ・ジェネラルが出た。これは無視できない」
信太「やっぱりですか」
黒崎「雁坂深層洞は一時的に入場制限をかける。調査班を再編成して、魔物の分布を確認する」
九条「俺も参加する」
黒崎「お願いします」
信太「俺は?」
黒崎「帰れ」
信太「即答」
黒崎「今日はな」
黒崎は信太を見る。
黒崎「お前は十分仕事をした。報告を終えたら帰って休め」
信太「分かりました」
黒崎「それと」
信太「まだ何か?」
黒崎「今回の戦闘記録は正式な討伐実績として残る」
信太「九条さんとの共同討伐ですよね?」
黒崎「そうだ」
黒崎は端末を操作する。
黒崎「Cランク昇格後の討伐実績、救助実績、探索記録。それに今回の上位個体との交戦記録」
信太「はい」
黒崎「お前、思っているより早くBランク昇格試験の対象になるかもしれんぞ」
信太「……そんなに早く?」
黒崎「だから普通はこんな速度で実績を積まないんだ」
また言われた。
信太は苦笑するしかなかった。
ただ、この時の信太はまだ知らなかった。
雁坂深層洞で起きた魔物の異常配置。
武甲森林ダンジョンで浅層へ現れたオーク・ウォリアー。
それらは、単なる偶然として処理できない現象へ変わり始めていた。
そして埼玉西部の山中。
探索者協会にも登録されていない場所で。
誰にも発見されていない岩壁の奥から、微かな魔力が漏れ始めていた。
やがて《天嶽迷宮》と名づけられる、日本初のS級ダンジョン。
その入口が、人知れず開こうとしていた。




