第10話 母には、ほとんどバレていました
《雁坂深層洞》から帰還した市河信太が、埼玉探索者協会支部での事情聴取を終えたのは午後三時を少し過ぎた頃だった。
ブラックオーガ・ジェネラルとの遭遇地点、周囲に残されていた足跡、魔物が不自然なほど姿を消していた区画、戦闘開始から討伐までの流れ。
九条蓮司と信太は、それぞれの視点から一通り説明した。
配信映像も残っているため、戦闘そのものの確認は難しくない。
問題は、なぜ本来そこにいるはずのない上位個体が第二層まで移動していたのかという点だった。
黒崎「当面、《雁坂深層洞》は第二層以降への一般探索者の立ち入りを制限する」
信太「第一層は開けるんですか?」
黒崎「調査班の先行確認次第だ。状況によっては全面閉鎖もある」
九条「その方がいいだろうな」
黒崎「九条さんには改めてこちらから連絡します」
九条「ああ。いつでも呼んでくれ」
黒崎「市河は帰れ」
信太「俺だけ扱い雑じゃないですか?」
黒崎「大学生をいつまでも拘束してどうする」
信太「探索者でもありますけど」
黒崎「今日は十分働いた」
信太「まあ、それはそうですね」
黒崎「それと寄り道するなよ。まっすぐ家に帰って休め」
信太「子供じゃないんですから」
黒崎「お前みたいな奴は、帰り道で『ちょっと気になる場所がある』とか言って別のダンジョンへ入りそうで怖いんだ」
信太「さすがにしませんよ」
九条「どうだかな」
信太「九条さんまで」
九条が楽しそうに笑う。
九条「まあ、今日は面白かった。また一緒に潜ろうぜ」
信太「いいんですか?」
九条「むしろ俺から頼みたいくらいだ」
信太「ありがとうございます」
九条「ただし次からは、俺が言わなくても自分で引き際を判断しろよ」
信太「はい」
九条「それができりゃ、もっと強くなる」
信太は素直に頷いた。
今日の探索で学んだことは多い。
戦闘技術だけではない。
異常を感じ取った時点で立ち止まること。
予定よりも安全を優先すること。
そして強敵を倒したからといって、その先へ進む必要はないこと。
信太はこれまで、基本的に一人で探索してきた。
だからこそ、経験豊富なAランク探索者と行動したことは大きな刺激になっていた。
九条「じゃあな、シンタ」
信太「はい。また」
九条「次は参式も見せろよ」
信太「使う場面があれば」
九条「楽しみにしてる」
九条と別れた信太は、探索装備を入れたバッグを肩へ掛け直し、協会支部を後にした。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
市河家のリビングでは、母の美咲と妹の莉奈が少し変わったことをしていた。
テレビには、先ほど終了した《シンタ》の配信アーカイブが表示されている。
その横。
テーブルの上には莉奈のスマートフォン。
さらに美咲のタブレットには、過去三回の配信日時が並べられていた。
莉奈「……お母さん」
美咲「何?」
莉奈「これ、もう調査じゃなくて答え合わせじゃない?」
美咲「まだ答えは出てないわよ」
莉奈「出てるよ!」
美咲「本人が認めてないでしょう?」
莉奈「でも!」
莉奈は指を折りながら話す。
莉奈「一回目。お兄ちゃんが大学の午後休講で出かけた日にシンタが初配信」
美咲「ええ」
莉奈「二回目。武甲山の方へ行くって出かけた日に、シンタが武甲森林ダンジョンで配信」
美咲「ええ」
莉奈「三回目。お兄ちゃんが山に出かけた日に、シンタが秩父第二鉱山ダンジョンで配信」
美咲「そうね」
莉奈「そして今日! お兄ちゃんが朝から遠くの山へ行った日に、シンタが雁坂深層洞!」
美咲「見事に重なってるわね」
莉奈「名前もシンタ!」
美咲「そうね」
莉奈「剣道やってる!」
美咲「信太も四段ね」
莉奈「右手一本の突き!」
美咲「信太も昔から練習してたわね」
莉奈「声も似てる!」
美咲「少し配信用に変えてるみたいだけどね」
莉奈「高いドローン買ってた!」
美咲「探索者向けモデルね」
莉奈「靴にダンジョンの植物ついてた!」
美咲「武甲森林ダンジョン周辺で確認される種類だったわ」
莉奈「もう確定じゃん!」
美咲「そうね」
莉奈「認めた!?」
美咲は紅茶を一口飲んだ。
美咲「九割九分くらいは」
莉奈「残り一分は何!?」
美咲「本人の口から聞いてないこと」
莉奈「そこ必要?」
美咲「必要よ」
美咲は静かにテレビを見る。
アーカイブでは、ブラックオーガ・ジェネラルと九条、そしてシンタが戦っている。
莉奈も視線を戻した。
何度見ても怖い。
巨大な戦斧。
砕ける岩壁。
九条ですら押し戻される攻撃。
その中へシンタは自分から飛び込んでいった。
もしあれが兄なら。
莉奈「……お兄ちゃん、ずっとこんなことしてたのかな」
美咲「分からないわ」
莉奈「Cランクって、結構強いんだよね?」
美咲「探索者の中では中堅ね。少なくとも登録したばかりの人が簡単になれるランクじゃないわ」
莉奈「じゃあ、前から……」
美咲「そういうことになるでしょうね」
莉奈の表情が少し曇った。
兄は普段と何も変わらなかった。
大学へ行き、家に帰り、自分とくだらない話をする。
そんな生活の裏側で、ずっとダンジョンへ潜っていたことになる。
莉奈「なんで言ってくれなかったんだろ」
美咲「それは分かってるでしょう?」
二人の視線が、自然と父の隆一が普段座る席へ向いた。
探索者という仕事を嫌っている父。
正確には探索者そのものを嫌っているわけではない。
命を危険に晒す仕事を家族にしてほしくないのだ。
テレビで探索者の死亡事故が報じられるたび、隆一は言う。
――金になるからって、命まで賭ける仕事じゃない。
信太も何度も聞いている。
莉奈「……お父さんには言えないか」
美咲「少なくとも、簡単にはね」
莉奈「じゃあ私たちも黙ってる?」
美咲「今は」
莉奈「今は?」
美咲「信太が帰ってきてから考えるわ」
◇ ◇ ◇
午後六時十二分。
信太はようやく自宅へ戻った。
信太「ただいま」
玄関を開ける。
いつもなら莉奈が返事をするか、リビングから母の声が聞こえてくる。
しかし今日は妙に静かだった。
信太「……?」
靴を脱ぐ。
探索用ブーツはバッグの中だ。
さすがに最近は莉奈から疑われているため、帰宅前に普段履きへ交換するようにしている。
信太「ただいまー」
もう一度言う。
美咲「おかえりなさい」
ようやく母の声が返ってきた。
リビングへ入る。
美咲と莉奈がソファに座っていた。
二人ともこちらを見ている。
信太「……何?」
莉奈「別に」
信太「その顔で?」
莉奈「どんな顔?」
信太「何か言いたそうな顔」
莉奈「気のせいじゃない?」
信太「母さんまで何で黙ってるの?」
美咲「おかえりなさい、信太」
信太「ただいま」
美咲「山、楽しかった?」
信太「…………」
何かがおかしい。
信太「まあ、それなりに」
美咲「大変じゃなかった?」
信太「ちょっと歩いたから疲れたかな」
莉奈「歩いたんだ」
信太「山だからな」
莉奈「へえ」
信太「なんだよ」
莉奈「別にー」
明らかに別にではない。
信太は警戒しながら自室へ戻ろうとした。
美咲「信太」
信太「何?」
美咲「右手、見せて」
信太の足が止まる。
信太「……なんで?」
美咲「いいから」
信太は右手を見る。
ブラックオーガ・ジェネラルとの戦闘で怪我はしていない。
だが刀を長時間握ったため、掌には少し赤みが残っている。
信太「別に何もないけど」
美咲「そう。ならいいわ」
信太「…………」
ますます怪しい。
莉奈「お兄ちゃん」
信太「今度は何?」
莉奈「今日さ」
信太「うん」
莉奈「《シンタ》の配信見た?」
来た。
信太「……いや。外にいたから」
莉奈「そうなんだ」
信太「帰ったらアーカイブでも見るよ」
莉奈「へえ」
美咲「今日はAランク探索者の九条蓮司さんと一緒だったのよ」
信太「そうなんだ」
美咲「B級ダンジョンで、大きなオーガと戦っていたわ」
信太「へえ」
莉奈「お兄ちゃん」
信太「何だよ」
莉奈「『へえ』しか言ってないよ」
信太「知らない話だからな」
莉奈「ふーん」
信太は平静を装う。
だが内心では冷や汗をかいていた。
今日の配信を二人とも見ていた。
しかもかなり詳しく。
信太「じゃ、俺着替えてくるから」
美咲「ええ」
信太「…………」
美咲「どうしたの?」
信太「いや」
信太はリビングを出た。
階段を上がる。
自室へ入る。
扉を閉める。
信太「……危なかった」
ベッドへバッグを置く。
マスク。
探索装備。
ドローン。
刀。
絶対に見つけられないよう、いつもの場所へ片づける。
信太「莉奈、絶対疑ってるよな」
問題は母だ。
莉奈より静かな分、何を考えているのか分からない。
信太「……母さんの方が怖いかもしれない」
その予感は正しかった。
◇ ◇ ◇
夕食後。
父の隆一は風呂へ入っていた。
信太はリビングでテレビを見ていたが、スマートフォンへ通知が届いた。
香澄からだった。
『先輩、今日の配信見ました。怪我してませんか?』
信太は返信する。
『大丈夫。怪我はないよ』
すぐに既読がつく。
『本当ですか?』
『本当』
『明日大学で確認します』
信太「確認ってなんだよ……」
小さく笑う。
その時。
莉奈「誰?」
信太「うわっ!?」
真横から声がした。
いつの間にか莉奈がソファの後ろにいる。
信太「覗くなよ!」
莉奈「女の人?」
信太「大学の後輩」
莉奈「女の?」
信太「そうだけど」
莉奈「へえー」
今度は莉奈が意味深な顔をする。
信太「なんだよ」
莉奈「お兄ちゃんにも春が来たのかなって」
信太「そういうのじゃない」
莉奈「怪我してないか心配してくれる女の後輩なんだ?」
信太「…………」
しまった。
信太はスマートフォンを見る。
莉奈も気づいた。
莉奈「なんで大学の後輩がお兄ちゃんの怪我を心配するの?」
信太「体育でちょっと」
莉奈「今日、日曜日だけど」
信太「…………」
莉奈「大学ないよね?」
信太「前の話」
莉奈「苦しくない?」
信太「何が?」
莉奈「言い訳」
信太「…………」
その時だった。
美咲「莉奈」
莉奈「何?」
美咲「その辺にしておきなさい」
莉奈「でも」
美咲「信太が困ってるでしょう?」
信太「母さん……」
助かった。
そう思った。
美咲「その代わり」
信太「え?」
美咲は息子を見る。
穏やかな笑顔。
だが逃げられない気がした。
美咲「今度、ちゃんと話してね」
信太「……何を?」
美咲「あなたが私たちに隠していること」
信太の表情が固まった。
莉奈も黙る。
風呂場からはシャワーの音が聞こえている。
父には聞こえない。
信太「別に、隠してることなんて――」
美咲「信太」
静かな声だった。
怒鳴ってはいない。
責めてもいない。
それでも信太は、それ以上言葉を続けられなかった。
美咲「今すぐ言いなさいとは言わないわ」
信太「…………」
美咲「でも、危ないことをしているなら、一人で抱え込まないで」
信太「母さん……」
美咲「あなたはもう二十一歳だから、自分で仕事を選ぶことも、自分で危険を引き受けることもできる」
信太の心臓が強く跳ねた。
仕事。
危険。
明らかに何かを知っている。
美咲「でもね」
母は少しだけ表情を柔らかくした。
美咲「家族が心配する権利までなくなるわけじゃないのよ」
信太「…………」
何も言えなかった。
その時、風呂場の扉が開く音がした。
隆一「風呂空いたぞー」
美咲「はーい」
空気が一瞬で日常へ戻る。
美咲「信太、次入る?」
信太「……うん」
莉奈「…………」
信太は立ち上がった。
リビングを出る直前、振り返る。
母と目が合った。
美咲は何も言わない。
ただ、静かに笑っていた。
信太「……もしかして」
ほとんどバレているのではないか。
そんな疑問が、初めてはっきりと浮かんだ。
◇ ◇ ◇
翌朝。
埼玉探索者協会支部。
黒崎誠司は自分のデスクで、雁坂深層洞の追加調査報告を読んでいた。
黒崎「……これは」
表情が険しくなる。
第二層で確認されたブラックオーガ・ジェネラル。
その後、調査班が痕跡を追った。
結果。
上位個体は深層から通常の経路を通って上がってきたわけではない可能性が高い。
途中の区域に足跡がない。
まるで、第二層の一角へ突然現れたかのように。
橘「黒崎課長」
受付と素材査定を担当する橘沙耶が、追加資料を持ってきた。
黒崎「橘か」
沙耶「武甲森林ダンジョンのオーク・ウォリアーについても再調査結果が届きました」
黒崎「どうだった?」
沙耶「こちらも妙です」
黒崎「妙?」
沙耶「深部から浅層へ移動した痕跡が確認できませんでした」
黒崎「…………」
黒崎は二つの報告書を並べる。
武甲森林ダンジョン。
雁坂深層洞。
場所も規模も違う。
だが、どちらも本来の区域ではない場所へ上位個体が出現している。
沙耶「偶然でしょうか?」
黒崎「偶然なら楽なんだがな」
沙耶「市河さん、また巻き込まれてますね」
黒崎「本人は巻き込まれたと思ってないだろう」
沙耶「でしょうね」
沙耶は苦笑する。
黒崎「それより、市河の昇格実績は?」
沙耶「確認しました」
端末を操作する。
沙耶「Cランク昇格後の討伐実績、救助実績、探索記録、素材納入実績。今回のブラックオーガ・ジェネラル共同討伐も加算されています」
黒崎「基準は?」
沙耶「推薦審査へ回せる段階です」
黒崎「早すぎるだろ」
沙耶「私に言わないでください」
黒崎「分かってる」
黒崎は額へ手を当てた。
Fランクで登録した頃から、市河信太を見てきた。
最初は剣道経験のある大学生。
そう思っていた。
ところが身体強化を覚え始めると、異常な速度で戦闘技術を自分のものにしていった。
魔法へ剣術を合わせるのではない。
剣術へ魔法を組み込む。
その結果、無駄な魔力消費を抑えながら、高い戦闘力を維持できるようになった。
そして今では。
黒崎「Cになってから、まだそんなに経ってないんだぞ……」
沙耶「本人に伝えます?」
黒崎「まだいい」
沙耶「では保留ですか?」
黒崎「いや」
黒崎は書類へ視線を落とした。
黒崎「Bランク昇格候補として、正式に推薦審査へ回してくれ」
沙耶「分かりました」
黒崎「ただし本人には、審査結果が出るまで伝えなくていい」
沙耶「驚きますね」
黒崎「どうせあいつのことだ」
黒崎はため息をついた。
黒崎「『気づいたらBランクになりそうです』くらいにしか思わん」
沙耶「ありそうですね」
二人は揃って苦笑した。
だが。
その机の端には、もう一つ別の報告書が置かれていた。
埼玉県西部の山間部で確認された、局地的な魔力濃度の上昇。
現時点ではダンジョン反応と断定できない。
既存ダンジョンからも離れている。
異常値も短時間で消失したため、観測機器の誤差である可能性も残っていた。
黒崎はまだ、その報告を重大視していなかった。
誰も知らない。
その場所こそが、やがて日本の探索者社会そのものを揺るがすことになる場所だということを。
そして。
誰よりも早くそこへ足を踏み入れるのが、家族に探索者であることすら隠している一人の大学生だということを。
《天嶽迷宮》。
日本初のS級ダンジョンが発見される日は、少しずつ近づいていた。




