第5話 後輩に身体強化を教えることになった
武甲森林ダンジョンでの二度目の配信から二日後。
市河信太は、駿我代大学の講義室でスマートフォンを眺めながら小さく息を吐いていた。
画面に表示されているのは《シンタのダンジョン探索》のチャンネル管理画面だ。
登録者数――八千七百四十二人。
信太「……増えすぎじゃないか?」
初配信を始めた時には、当然ながら登録者はゼロだった。それが二度目の配信を終えただけで、もう一万人が見えている。
原因は分かっていた。
武甲森林ダンジョンで使用した《右片手平突き・四式》だ。
オーク・ウォリアーへ突進し、胸を一撃で貫いた場面が切り抜かれ、SNSや動画サイトで急速に拡散されている。
信太自身が確認した中で最も再生されている切り抜きは、すでに二十万再生を超えていた。
信太「こんなの、そんなに面白いのか?」
何度見返しても自分がオーク・ウォリアーを倒しているだけである。
もちろん、信太にとっては、だが。
コメント欄にはまったく違う感想が並んでいた。
『踏み込みが見えない』
『これ本当にCランク?』
『刀でオーク・ウォリアーの斧を受け流してる方もおかしい』
『四式ってことは弐式と参式もあるのか?』
『本人が「ちょっと強いかな」くらいに思ってそうなのが怖い』
信太「いや、オーク・ウォリアーならCランクでも倒せるだろ……」
そう呟いたところで、横から声が飛んできた。
悠斗「何が倒せるって?」
信太「うおっ!?」
慌ててスマートフォンの画面を消した。
振り返れば、親友の神谷悠斗が怪訝そうな顔をしている。
悠斗「何隠した?」
信太「何も」
悠斗「今、絶対なんか見てただろ」
信太「ニュース」
悠斗「なんの?」
信太「ダンジョン関係」
悠斗「お前、最近ダンジョンに興味出てきた?」
信太「まあ……ちょっとな」
悠斗「ならちょうどいい!」
嫌な予感がした。
悠斗が満面の笑みでスマートフォンを取り出す。
画面に映ったのは、見慣れすぎた黒い探索装備だった。
悠斗「《シンタ》の二回目の配信見たか!?」
信太「……少しだけ」
悠斗「少しじゃなく全部見ろ!」
信太「なんで布教する側のお前がそんな偉そうなんだよ」
悠斗「俺は初配信から見てる古参だからな」
信太「二日前だろ」
悠斗「古参は古参だ」
悠斗は自信満々だった。
悠斗「特にこれ!」
再生されたのは、やはり四式だった。
映像のシンタが姿勢を低くする。
オーク・ウォリアーが巨大な斧を振る。
次の瞬間には間合いが消え、刀が胸を貫いていた。
悠斗「かっけえ……」
信太「そんなに?」
悠斗「そんなにだよ! なんだよ四式って! 必殺技じゃん!」
信太「別に必殺技ってわけじゃ……」
悠斗「なんでお前が否定するんだよ」
信太「いや……なんとなく」
危ない。
また余計なことを言いかけた。
悠斗「それに助けた女の探索者も可愛くない?」
信太「え?」
悠斗「ほら、この槍の子」
画面には水城香澄が映っている。
顔は遠目で分かりにくいものの、大学で何度か会っている悠斗なら気づく可能性がある。
信太「他人が映ってる切り抜きはあんまり見るなよ」
悠斗「急に真面目だな」
信太「プライバシーあるだろ」
悠斗「それはそうか」
悠斗は素直に動画を閉じた。
信太は内心で安堵する。
シンタの正体だけでなく、香澄が探索者だということまで大学内で広まれば面倒なことになる。
悠斗「しかし、シンタって何者なんだろうな」
信太「普通の大学生だったりして」
悠斗「それはないだろ」
信太「…………」
悠斗「大学生が片手でオーク・ウォリアーぶち抜くかよ」
信太「いるかもしれないだろ」
悠斗「いねえよ」
ここにいる。
そう言いたくなったが、信太は黙っておいた。
◇ ◇ ◇
昼休み。
信太が学食を出たところで、後ろから声をかけられた。
香澄「市河先輩」
信太「水城さん」
振り返ると、香澄が小さなバッグを肩にかけて立っていた。
香澄「今、少しいいですか?」
信太「大丈夫だけど」
香澄「ここだとちょっと……」
信太「じゃあ外に出ようか」
二人は大学構内の人通りが少ない場所へ移動した。
ベンチへ座る。
香澄は周囲を確認してから、小声になった。
香澄「先輩、チャンネルすごいことになってますよ」
信太「水城さんも見てたの?」
香澄「見ますよ。私、登録してますから」
信太「登録したんだ」
香澄「助けてもらう前からしてました」
信太「そうだったのか」
香澄「今、八千人超えてますよね?」
信太「朝見たらそれくらいだった」
香澄「二回しか配信してないんですよね?」
信太「うん」
香澄「普通じゃないです」
信太「またそれ?」
香澄「またです」
香澄は少し笑った。
それから表情を改める。
香澄「それで先輩。前にお願いしたことなんですけど」
信太「身体強化?」
香澄「はい」
武甲森林ダンジョンから帰る際、信太は香澄へ身体強化の使い方を教える約束をしていた。
信太「俺はいつでもいいよ」
香澄「本当ですか?」
信太「ただ、大学の中じゃ無理だな」
香澄「ですよね」
魔法そのものを使うだけなら違法ではないが、大学構内で本格的な身体強化を行うのはさすがに問題になる。
信太「探索者協会の訓練施設を借りよう」
香澄「今日でも大丈夫ですか?」
信太「講義終わった後なら」
香澄「お願いします!」
香澄が嬉しそうに頭を下げる。
その様子を見ながら、信太はふと思った。
信太「そういえば水城さん、槍ってどれくらいやってる?」
香澄「探索者になってからです。最初は剣も考えたんですけど、リーチが長い方が怖くないかなって」
信太「なるほど」
香澄「変ですか?」
信太「いや。むしろ合理的だと思う」
魔物を相手にする以上、距離は重要だ。
経験の浅い探索者が無理に近距離戦を選ぶ必要はない。
信太「なら、槍の動きに合わせて身体強化を組んだ方がいいな」
香澄「私にもできますか?」
信太「練習すれば」
香澄「先輩が言うと簡単そうなんですよね……」
信太「実際、そんな難しくないと思うけど」
香澄「その基準から直した方がいいと思います」
また言われてしまった。
◇ ◇ ◇
午後五時過ぎ。
二人は埼玉探索者協会が運営する訓練施設へ来ていた。
探索者資格を持つ者なら利用できる施設で、魔法や武器を使用できる訓練室も用意されている。
受付を済ませ、二人は個人訓練区画へ入った。
床には衝撃吸収材。
壁にも魔法対策が施されている。
香澄は持参した訓練用の槍を取り出した。
信太も木刀を持っている。
香澄「まず何をすればいいですか?」
信太「身体強化を見せてもらっていい?」
香澄「はい」
香澄が槍を構える。
魔力が全身を包んだ。
脚、腰、腕。
ほぼ均等に強化している。
香澄「こんな感じです」
信太「なるほど」
香澄「何か変ですか?」
信太「変じゃないよ。普通の身体強化だと思う」
香澄「先輩のは?」
信太「俺の場合、ずっと全部を強化することはあまりない」
信太は木刀を右手へ持った。
信太「例えば突く時」
ゆっくり動いて見せる。
信太「最初に必要なのは踏み込みだから、まず脚」
右脚へ魔力を集中させる。
香澄「……本当に脚だけ」
信太「次に腰」
踏み込む。
魔力が脚から腰へ移る。
信太「背中」
上体が前へ出る。
信太「肩」
木刀が前へ伸びる。
信太「肘、手首」
最後に切っ先が止まった。
動作そのものは非常にゆっくりだった。
それでも香澄には分かった。
魔力が身体の中を流れている。
一つの場所へ留まっているのではない。
動作に合わせ、必要な場所へ次々と移動している。
香澄「……こんな細かく?」
信太「実戦だともっと速いけどね」
香澄「それを考えながらやってるんですか?」
信太「今はほとんど無意識かな」
香澄「無意識……」
信太「剣道でも、いちいち『次は右脚を動かして、次は腰を回して』なんて考えないだろ?」
香澄「それはそうですけど」
信太「身体に覚えさせればいい」
香澄は自分の槍を見る。
信太「ただ、その前に身体操作からやった方がいいな」
香澄「身体操作?」
信太「水城さん、ちょっと力入りすぎてる」
香澄「え?」
信太は香澄の構えを見る。
肩。
肘。
腰。
どこも少し硬い。
信太「魔物が怖いから、槍を強く握ってるだろ?」
香澄「……はい」
信太「それだと動き出しが遅くなる」
香澄「でも、力を抜いたら武器を落としませんか?」
信太「全部抜くわけじゃないよ。必要ない力を抜くんだ」
信太は木刀を軽く握った。
信太「身体って、全部に力を入れると逆に動かしにくいんだ。だから普段は脱力する。必要な瞬間だけ締める」
香澄「必要な瞬間だけ……」
信太「まず槍を軽く持ってみて」
香澄が握る力を弱める。
信太「肩も落として」
香澄「こうですか?」
信太「もっと」
香澄「……これ、すごく不安なんですけど」
信太「大丈夫。じゃあ、そのまま突いてみて」
香澄が槍を突く。
ヒュッ、と風を切る音がした。
香澄「……あれ?」
先ほどより速い。
信太「今度は足から」
香澄「足?」
信太「腕で槍を突こうとしない。後ろ足で床を押して、その力を腰から肩、腕へ伝える」
香澄「やってみます」
何度か繰り返す。
最初はぎこちなかった。
それでも信太が姿勢を修正するたび、香澄の動きは少しずつ変わっていった。
三十分後。
香澄「はっ!」
踏み込み。
腰。
肩。
腕。
槍が一直線に伸びた。
先ほどまでとは明らかに違う鋭い音が響く。
香澄「……できた!」
信太「今の感じ」
香澄「さっきより全然力を入れてないのに……」
信太「その方が速いだろ?」
香澄「はい!」
信太「じゃあ、そこに少しだけ身体強化を足してみよう」
香澄「全身じゃなくて?」
信太「まず後ろ脚だけ」
香澄が集中する。
右脚へ魔力を集める。
信太「一気にやらなくていい。踏み込む瞬間だけ」
香澄「……はい」
呼吸を整える。
踏み込む。
身体強化。
床を蹴る力が増す。
その力を腰へ伝える。
槍を突く。
ドンッ!
訓練用の標的が大きく揺れた。
香澄「えっ!?」
本人が一番驚いていた。
信太「成功」
香澄「今の……私ですか?」
信太「水城さん以外に誰がいるんだよ」
香澄「だって、いつもより全然……!」
信太「全身強化より消費魔力も少ないはず」
香澄は自分の身体を確認する。
確かに疲労感が少ない。
これまでは全身へ身体強化をかけた状態で戦っていたため、長期戦になると急激に魔力を消耗していた。
しかし今は違う。
必要な瞬間だけ。
必要な部位だけ。
香澄「先輩……これ、すごいですよ」
信太「そう?」
香澄「そうです!」
信太「でもまだ基礎だぞ」
香澄「これで基礎なんですか……?」
信太「慣れたら、脚から腰、背中、肩、腕って順番に強化を移していく」
香澄「それ、いつできるようになります?」
信太「毎日練習したら、そのうち」
香澄「そのうち……」
途方もない道のりに聞こえた。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
むしろ楽しい。
今まで身体強化魔法は、単純に身体能力を底上げするためのものだと思っていた。
だが使い方次第で、自分が学んできた槍術そのものを大きく変えられる。
香澄「先輩」
信太「ん?」
香澄「また教えてもらってもいいですか?」
信太「もちろん」
香澄「ありがとうございます」
嬉しそうに笑う香澄を見て、信太も自然と笑った。
◇ ◇ ◇
訓練を終え、二人が施設を出た頃には日が暮れ始めていた。
香澄「今日は本当にありがとうございました」
信太「どういたしまして。ただ、無理に実戦で使わない方がいいよ」
香澄「まだダメですか?」
信太「考えないと使えないうちは危ない。魔物を目の前にして『今は脚、次は腰』なんてやってたら、その間に攻撃される」
香澄「なるほど……」
信太「まずは安全なところで反復練習。自然にできるようになってから実戦」
香澄「はい、先生」
信太「先生はやめてくれ」
香澄「じゃあ、師匠?」
信太「もっと嫌だ」
香澄「ふふっ」
香澄が笑う。
二人で駅へ向かって歩いていると、香澄がふと思い出したように尋ねた。
香澄「先輩、次の配信は?」
信太「まだ決めてない」
香澄「視聴者、待ってると思いますよ」
信太「大学もあるからな」
香澄「一万人、すぐ超えそうですね」
信太「さすがにそんな簡単には――」
スマートフォンが震えた。
通知を見る。
信太「…………」
香澄「どうしました?」
信太は無言で画面を見せた。
《チャンネル登録者数が10,000人を突破しました》
香澄「ほら」
信太「早くない?」
香澄「先輩の場合は早いんです」
信太「二回しか配信してないぞ」
香澄「二回でオーク・ウォリアーを一撃で倒す人も普通はいません」
信太「…………」
言い返せなかった。
その頃。
市河家では莉奈がスマートフォンを握りしめていた。
莉奈「一万人いった!」
美咲「何が?」
莉奈「シンタの登録者!」
美咲「あら、早いわね」
莉奈「昨日まで数千人だったのに!」
興奮する莉奈の横で、美咲はタブレットを操作していた。
表示されているのは、ダンジョン関連企業の株価ではない。
探索者向け撮影用ドローンのメーカーサイトだった。
画面には一台のドローンが表示されている。
美咲「……同じね」
莉奈「何が?」
美咲「何でもないわ」
美咲は画面を閉じた。
息子が最近購入した高価な機材。
西の山へ行くと言った日。
泥に混ざっていたダンジョン由来の植物片。
そして同じ日に配信された《シンタ》の映像。
まだ証拠と呼べるほどではない。
だが点と点は、確実につながり始めていた。
美咲「さて……どうしましょうか」
莉奈「お母さん?」
美咲「夕飯、何がいい?」
莉奈「え? ハンバーグ」
美咲「じゃあ、そうしましょう」
何事もなかったように美咲は立ち上がる。
その表情には、まだ誰にも見せない小さな笑みが浮かんでいた。
一方の信太は、自分の秘密を最初に暴くのが妹なのか母なのかなど知る由もない。
彼が今考えていたのは、登録者一万人を超えた次の配信で、どのダンジョンへ潜るかということだけだった。
そしてその次の配信から、《シンタ》を見る目は一般視聴者だけではなくなっていく。
プロとして第一線を走る探索者たちもまた、無名だったCランク探索者の存在へ気づき始めていた。




