第23話 合同探索に向けた訓練と、後輩の成長
神崎レイナさんとの合同探索を控えた木曜日の午後、俺は大学の講義を終えると、埼玉県探索者協会の訓練施設へ向かっていた。
合同探索の予定日は翌週の日曜日。まだ十日ほど余裕があるが、初めて組む相手との戦闘に備えて、身体の調子を整えておきたかった。
もっとも、今日の目的はそれだけではない。
協会の訓練室には、先に到着していた香澄がいた。
香澄は俺を見つけると、嬉しそうに手を振った。
「市河先輩、お疲れさまです! 今日はよろしくお願いします!」
俺も軽く手を上げて応えた。
「お疲れさま。こっちこそよろしく。もう準備運動は終わった?」
香澄は頷き、手にしていた訓練用の槍を持ち直した。
「はい。今日は前に教えてもらった身体操作を、もう少し練習したいと思ってます」
以前から香澄には、槍を扱う際の重心移動や脱力について助言していた。
彼女は真面目で、一度教えたことを自分なりに考えながら練習する。最近では、初めて会った頃とは見違えるほど動きが滑らかになっていた。
俺は訓練用の木刀を手に取り、香澄と向かい合った。
「じゃあ、まずはいつもどおり突きを見せてもらおうか」
「はい!」
香澄は槍を構え、右足を一歩踏み込ませた。
鋭い突きが俺の胸元へ向かって伸びる。
俺は半歩だけ身体をずらし、穂先をかわした。
「うん。前よりずっといいね。踏み込みと突きのタイミングが合ってきた」
香澄は嬉しそうに笑った。
「本当ですか?」
「本当。ただ、突いた後に少し肩が上がる癖があるかな。そこを直せば、次の動作に移りやすくなると思う」
香澄は自分の肩に目を向け、何度か槍を動かして確かめた。
「確かに、力が入ってますね……」
俺は頷いた。
「力を入れるのは、相手に穂先が届く瞬間だけでいい。最初から力んでいると、どうしても動きが硬くなるから」
香澄は真剣な表情で頷き、再び槍を構えた。
今度は息をゆっくり吐きながら踏み込み、腕だけではなく腰の回転も使って突きを繰り出す。
先ほどよりも自然な動きだった。
俺は思わず笑みを浮かべた。
「そう、それ。今の感覚を覚えておくといいよ」
香澄は嬉しそうに槍を引いた。
「ありがとうございます! 先輩に教えてもらうと、何となく分かってきます」
「香澄がちゃんと練習してるからだよ」
俺がそう答えると、香澄は少し頬を赤くした。
◇ ◇ ◇
それから三十分ほど、俺たちは基本動作を中心に訓練を続けた。
途中で休憩を挟み、香澄がスポーツドリンクを飲みながら尋ねてきた。
「先輩は、今日はご自分の練習をしなくていいんですか?」
「もちろんするよ。合同探索に向けて、少し確認しておきたいことがあるんだ」
俺は木刀を持ち直し、訓練室の中央へ移動した。
今回の相手は双剣使いのレイナさんだ。
双剣は左右の手で異なる攻撃を繰り出せる反面、味方との距離が近すぎると互いの動きを妨げてしまう。
俺が普段使う日本刀も、振り抜くための空間が必要になる。だからこそ、間合いの調整が重要だった。
俺は床に引かれた目印を確認しながら、前後左右へ移動した。
足裏の接地を意識し、膝や股関節に余計な力を入れず、重心だけを滑らかに移していく。
続いて木刀を構え、踏み込みと同時に突きを放った。
右片手平突き・壱式。
もちろん、訓練なので速度も威力も抑えている。
それでも、刀身が空気を裂く小さな音が響いた。
香澄は目を丸くした。
「相変わらず、すごい速さですね……」
俺は木刀を下ろして首を振った。
「今のはかなり抑えてるよ。今日は速さよりも、動き始めと止まり方の確認が目的だから」
香澄は少し考えてから尋ねた。
「先輩って、どうしてそんなに滑らかに動けるんですか?」
「そうだな……身体の一部分だけで動こうとしないことかな」
俺は自分の腰に軽く手を当てた。
「足で地面を押して、その力を股関節、骨盤、背中、肩へ伝える。腕は最後についてくるくらいの感覚なんだ」
香澄は感心したように頷いた。
「だから先輩の動きって、無駄がないんですね」
「無駄を減らせば、その分だけ疲れにくくなるからね」
実際、長時間の探索では一度の大技よりも、安定した動きを続けられることの方が大切になる。
魔力による身体強化も同じだ。
必要以上に魔力を流せば一時的な出力は上がるが、消耗も激しくなる。だから俺は、必要な瞬間に必要な量だけ使うようにしていた。
香澄は俺の説明を聞き終えると、少しだけ笑った。
「先輩って、本当に剣術が好きなんですね」
「まあ、子供の頃から続けてるからな」
「そういうところ、素敵だと思います」
不意に褒められ、俺は少し照れくさくなった。
「ありがとう。でも、まだまだ練習することは多いよ」
香澄は小さく笑いながら頷いた。
◇ ◇ ◇
訓練を終えた俺たちは、更衣室で着替えてから協会の休憩スペースへ向かった。
自動販売機で飲み物を買っていると、受付担当の橘沙耶さんが声をかけてきた。
「市河さん、水城さん。お疲れさまです」
俺は振り返って挨拶した。
「お疲れさまです、橘さん」
沙耶さんは手元の端末を確認しながら微笑んだ。
「ちょうどよかったです。市河さんにお渡しする資料があるんですよ」
「資料ですか?」
「はい。神崎レイナさんとの合同探索について、候補ダンジョンの安全確認が完了しました」
沙耶さんは端末の画面をこちらへ向けた。
表示されていたのは、《秩父西部渓谷ダンジョン》の探索許可に関する通知だった。
俺は内容を読み進める。
探索予定日は翌週の日曜日。対象階層は第一階層から第三階層まで。ただし、当日の状況によっては途中で引き返すことも認められている。
さらに、配信用ドローンの使用についても正式な許可が下りていた。
「これで場所は確定ですね」
俺がそう言うと、沙耶さんは頷いた。
「はい。ただし、出発前には必ず現地管理所で最新の情報を確認してください。安全確認が終わっていても、ダンジョンの状況は変わることがありますから」
「分かりました。ありがとうございます」
沙耶さんは少しだけ声を落とした。
「それにしても、市河さんの配信、最近すごい人気ですね」
「そうなんですか?」
俺が首を傾げると、沙耶さんは苦笑した。
「ご自分のことなのに、相変わらずですね。協会にも合同配信について問い合わせが来ているんですよ」
「問い合わせですか?」
「ええ。もちろん、個人情報や詳しい行動予定についてはお答えしていませんけどね」
それを聞いて、俺は少し驚いた。
登録者数が増えていることは知っていたが、協会にまで問い合わせが来るとは思わなかった。
香澄は隣で嬉しそうに笑っていた。
「先輩、すっかり人気配信者ですね」
「いや、まだまだだよ」
俺がそう答えると、沙耶さんと香澄は顔を見合わせ、なぜか同時に笑った。
◇ ◇ ◇
帰り道、俺と香澄は駅まで並んで歩いていた。
夕方の空は薄い茜色に染まり、街路樹の葉が涼しい風に揺れている。
香澄は少しだけ歩幅を緩めると、俺の方を見上げた。
「先輩、合同探索が終わったら、また一緒にお出かけしませんか?」
俺は頷いた。
「いいよ。今度はどこに行こうか」
香澄は嬉しそうに微笑んだ。
「実は、気になっているカフェがあるんです。駅の近くに新しくできたお店なんですけど」
「へえ、いいね。じゃあ、今度そこに行こうか」
「はい!」
香澄の表情がぱっと明るくなる。
その笑顔を見ていると、こちらまで楽しい気分になってきた。
やがて駅に到着し、俺たちは改札の前で足を止めた。
香澄は少し名残惜しそうにしながらも、笑顔で頭を下げた。
「今日はありがとうございました。合同探索、応援していますね」
「ありがとう。香澄も訓練、無理しすぎないようにな」
「はい。また大学で!」
香澄が改札の向こうへ歩いていくのを見送り、俺も帰りの電車へ向かった。
その途中、スマートフォンが震えた。
画面にはレイナさんからのメッセージが表示されていた。
『シンタさん! 協会から正式な許可が届きましたね! 当日が今から楽しみです!』
俺は歩きながら返信を打った。
『こちらも確認しました。当日はよろしくお願いします』
すると、すぐに返事が届いた。
『こちらこそ! 最高の合同探索にしましょう!』
俺は小さく笑みを浮かべ、スマートフォンをポケットへしまった。
人気Aランク探索者との合同配信。
その日が近づくにつれて、少しずつ実感が湧いてきた。
もっとも、俺が一番大切にしたいことは変わらない。
無理をせず、安全に探索して、必ず帰ってくること。
それだけは、どれほど有名な探索者と一緒でも忘れないつもりだった。




