第16話 Bランクになったことを、まだ家族には言えません
Bランク昇格試験に合格した日の夕方。
市河信太は、自宅の玄関前で足を止めていた。
財布の中には、今日受け取ったばかりのBランク探索者証が入っている。
探索者としては嬉しい出来事だった。これまで立ち入りを制限されていた高難度ダンジョンにも、正式な資格で挑めるようになる。
だが、問題が一つあった。
信太「……どう説明するかな」
家族には探索者であることすら話していない。
しかも母の美咲と妹の莉奈には、すでに正体を疑われている。
信太は小さく息を吐き、玄関を開けた。
信太「ただいま」
美咲「おかえりなさい」
リビングから母の声が聞こえる。
続いて莉奈が顔を出した。
莉奈「お兄ちゃん!」
信太「何だよ」
莉奈「今日、何してたの?」
信太「ちょっと用事」
莉奈「楽しかった?」
信太「楽しいっていうか……」
莉奈「何かいいことあった?」
信太「…………」
どうして分かるんだ。
莉奈は兄の表情を見つめ、にやりと笑った。
莉奈「やっぱり何かあったんだ」
信太「何も言ってないだろ」
美咲「莉奈、そのくらいにしてあげなさい」
莉奈「はーい」
美咲は信太へ視線を向ける。
美咲「お疲れさま。今日はゆっくり休みなさい」
信太「……うん」
何も聞かれなかった。
それがかえって落ち着かなかった。
◇ ◇ ◇
夕食後。
信太は自室でスマートフォンを操作していた。
探索者協会の公式アプリには、更新されたランクが表示されている。
『市河信太 Bランク探索者』
信太「……本当にBになったんだな」
思わず笑みがこぼれる。
Fランクで登録した頃は、ここまで続けるつもりなどなかった。
危険だと思えば辞める。
そう考えていたはずなのに、探索を続けるうちに剣術と魔法を組み合わせる面白さを知り、気づけば上級探索者になっていた。
信太「せっかくだし、配信でも報告するか」
昇格試験の内容は公開できないが、結果を報告することは認められている。
信太はチャンネルの投稿機能を開いた。
『いつも配信を見ていただきありがとうございます。本日、探索者協会のBランク昇格試験に合格しました。次回からBランク探索者として活動します。今後ともよろしくお願いします。――シンタ』
投稿。
数秒後、通知が鳴り始めた。
『えっ!?』
『Bランク昇格おめでとう!』
『早すぎるだろwww』
『むしろ今までCだったのがおかしい』
『九条さんと戦ってた時点で予想してた』
『次はAランクですね!』
信太「いや、Aはまだ無理だろ」
思わず独り言が漏れる。
さらにコメントが増えていく。
『名無しの剣道民:昇格おめでとうございます。次の配信でも剣術解説を期待しています』
『ダンジョン考察ニキ:Bランクなら探索可能な範囲が広がりますね。ただし最近の異常個体には注意してください』
信太「……そうだな」
武甲森林ダンジョン。
雁坂深層洞。
どちらも通常では考えにくい場所に強力な魔物が現れていた。
原因はまだ分かっていない。
Bランクになったからといって、油断するつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
その頃。
市河家のリビング。
莉奈はスマートフォンを見つめたまま固まっていた。
莉奈「……お母さん」
美咲「どうしたの?」
莉奈「シンタ、Bランクになった」
美咲「そう」
莉奈「そう、じゃないよ!」
莉奈は画面を母へ向ける。
莉奈「今日、昇格試験に合格したんだって!」
美咲は投稿を確認した。
そして静かに息を吐く。
美咲「なるほどね」
莉奈「お兄ちゃん、今日出かけてたよね?」
美咲「ええ」
莉奈「朝早く出て、夕方帰ってきた」
美咲「そうね」
莉奈「もう確定じゃない?」
美咲「……そう考えていいでしょうね」
莉奈は二階へ続く階段を見る。
莉奈「聞いてくる?」
美咲「待ちなさい」
莉奈「でも!」
美咲「今はお父さんもいるわ」
莉奈は口を閉じた。
隆一は探索者という仕事を快く思っていない。
もし息子がBランク探索者だと知れば、冷静ではいられないかもしれない。
莉奈「……じゃあ、いつ聞くの?」
美咲「近いうちに、私から話すわ」
莉奈「本当に?」
美咲「ええ。もうこれ以上、知らないふりを続けるのも難しいもの」
美咲はスマートフォンの画面を見つめた。
そこには《シンタ》のBランク昇格報告が表示されている。
美咲「……おめでとう、信太」
息子には届かない、小さな祝福だった。
◇ ◇ ◇
翌日。
駿我代大学。
信太が講義室へ入ると、悠斗が勢いよく立ち上がった。
悠斗「信太!」
信太「朝からうるさい」
悠斗「シンタがBランクになったぞ!」
信太「……らしいな」
悠斗「らしいな、じゃない!」
悠斗はスマートフォンを突き出す。
悠斗「俺の予想、大当たり!」
信太「そうだな」
悠斗「というわけで昼飯よろしく!」
信太「……分かったよ」
悠斗「やった!」
自分の昇格を予想され、自分が昼飯をおごる。
考えれば考えるほど妙な状況だった。
悠斗「それにしても早かったな」
信太「何が?」
悠斗「シンタの昇格だよ。普通、CからBってもっと時間かかるだろ」
信太「実績次第じゃない?」
悠斗「まあ、あの人は実績がおかしいからな」
信太「おかしいって……」
悠斗「オーク・ウォリアー単独討伐、ロックオーガ単独討伐、ブラックオーガ・ジェネラル共同討伐。そりゃ推薦されるわ」
信太「…………」
並べられると、確かにそうかもしれない。
悠斗「でも俺、まだ信じられないんだよな」
信太「何が?」
悠斗「シンタって、配信始めてまだ四回なんだぜ?」
信太「……そうだな」
悠斗「次の配信、絶対見る」
信太「授業は?」
悠斗「配信時間による」
信太「授業優先しろよ」
悠斗「お前に言われたくない」
信太「なんでだよ」
二人は笑い合った。
◇ ◇ ◇
昼休み。
信太は大学の中庭で香澄と向かい合っていた。
香澄「先輩、改めておめでとうございます!」
信太「ありがとう」
香澄「本当にBランクになっちゃいましたね」
信太「なっちゃったって言い方」
香澄「先輩がいつも使うからです」
信太「……確かに」
香澄は嬉しそうに笑う。
香澄「それで、お祝いの約束なんですけど」
信太「覚えてるよ」
香澄「今週の土曜日、空いてますか?」
信太「土曜日?」
香澄「はい。お昼、一緒にどうですか?」
信太「いいよ」
香澄「本当ですか?」
信太「うん。何食べたい?」
香澄「駅前に新しくできた洋食屋さん、気になってるんです」
信太「じゃあそこにしよう」
香澄「ありがとうございます!」
香澄は満面の笑みを浮かべた。
信太は何気なく予定を確認する。
信太「土曜日の十二時くらいでいい?」
香澄「はい!」
こうして二人の約束が決まった。
信太にとっては、後輩と昇格祝いの昼食を食べるだけ。
だが香澄にとっては、少し特別な予定だった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
信太が帰宅すると、美咲が玄関で待っていた。
美咲「おかえりなさい」
信太「ただいま」
美咲「信太、少しいい?」
信太「……何?」
美咲「お父さんが帰ってくる前に、話しておきたいことがあるの」
信太の胸が小さく跳ねた。
リビングへ入る。
そこには莉奈も座っていた。
信太「……何、この雰囲気」
莉奈「お兄ちゃん、座って」
信太「なんで?」
美咲「いいから」
信太は諦めて椅子へ座った。
美咲は息子の目を見る。
美咲「信太」
信太「……うん」
美咲「昨日、何をしていたの?」
信太「ちょっと用事で……」
美咲「探索者協会?」
信太の言葉が止まった。
莉奈も黙っている。
美咲「もう、誤魔化さなくていいわ」
信太「…………」
美咲「あなたが《シンタ》なんでしょう?」
ついに、その名前が母の口から出た。
信太はしばらく黙っていた。
否定しようと思えばできる。
だが、ここまで来て嘘を重ねるのは違う気がした。
信太「……いつから気づいてた?」
美咲は少しだけ笑った。
美咲「最初は偶然だと思っていたわ。でも、配信の日とあなたが出かける日が何度も重なっていたから」
莉奈「動きも声も似てたし!」
信太「……そっか」
美咲「じゃあ、認めるのね?」
信太はゆっくり頷いた。
信太「うん。俺がシンタだよ」
莉奈「やっぱり!」
美咲は安堵したように息を吐いた。
しかし、その表情はすぐ真剣なものへ変わる。
美咲「信太。どうして今まで黙っていたの?」
信太「……父さんが探索者を嫌ってるから」
美咲「それだけ?」
信太「最初はすぐ辞めるつもりだったんだ。でも探索してるうちに楽しくなって、気づいたらCランクになってた」
莉奈「それで昨日Bランクになったんでしょ?」
信太「……うん」
莉奈「本当に『気づいたら』なんだね」
信太「ちゃんと試験は受けたぞ」
美咲は小さく苦笑した。
美咲「信太。探索者を辞めなさいとは言わないわ」
信太「……え?」
美咲「でも、危険なことをしているなら、家族に隠さないでほしかった」
信太「ごめん」
美咲「それと、お父さんにはいつか話さないといけないわ」
信太「……分かってる」
美咲「すぐにとは言わない。でも、ずっと隠し続けるのは駄目よ」
信太「うん」
莉奈「じゃあ私、これから堂々とシンタの配信見られるね!」
信太「今までも見てただろ」
莉奈「お兄ちゃん本人だって分かって見るのは違うもん!」
信太「……コメントで変なこと書くなよ」
莉奈「えー?」
信太「絶対だぞ」
美咲「莉奈、兄の秘密を勝手に広めちゃ駄目よ」
莉奈「分かってるって!」
信太は苦笑した。
こうして、家族に隠していた秘密の一つが明らかになった。
母と妹には正体がバレた。
だが、父の隆一はまだ何も知らない。
そして信太には、もう一つ大きな問題が残されていた。
探索者としてBランクになったことを、父へどう伝えるか。
それが次の難関になりそうだった。




