第14話 Bランク昇格試験、開始
日曜日の朝六時。
市河信太は目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
今日はBランク昇格試験の日だ。
ベッドから起き上がり、肩や腰を軽く動かして身体の状態を確かめる。昨日は香澄との約束通り訓練を休み、十分な睡眠を取っていた。
信太「……よし、問題なし」
装備を確認してから一階へ下りると、母の美咲が朝食を用意していた。
美咲「おはよう、信太。今日は早いのね」
信太「おはよう。ちょっと用事があって」
美咲「そう。何時頃帰るの?」
信太「夕方には帰れると思う」
美咲「分かったわ。気をつけてね」
それ以上は聞かれなかった。
ただ、母の視線が一瞬だけ信太のバッグへ向いたことには気づいていた。
信太「……母さん」
美咲「何?」
信太「いや、何でもない」
美咲は穏やかに微笑んだ。
美咲「頑張ってらっしゃい」
まだ何をするとも言っていない。
信太は苦笑しながら朝食を済ませ、家を出た。
◇ ◇ ◇
午前八時半。
埼玉探索者協会が管理する《奥秩父訓練ダンジョン》には、Bランク昇格試験を受ける探索者たちが集まっていた。
受験者は全部で八名。
全員がCランク探索者であり、それぞれ十分な討伐実績を持っている。
受付で探索者証を提示すると、橘沙耶が笑顔で迎えてくれた。
沙耶「おはようございます、市河さん」
信太「おはようございます。橘さんも来てたんですね」
沙耶「今日は試験運営の応援です。緊張してます?」
信太「少しだけ」
沙耶「珍しいですね」
信太「試験ですから」
沙耶「そのくらいがちょうどいいですよ」
受付を終えた信太は待機室へ向かった。
そこには大剣使い、槍使い、魔術師など、さまざまな探索者がいた。
信太が空いている椅子へ座ると、隣の男性が声をかけてきた。
男性「君、もしかして《シンタ》?」
信太「……そうですけど」
男性「やっぱり! 俺、配信見てるよ。九条さんとの戦闘、すごかったな」
信太「ありがとうございます」
男性「俺は高瀬直人。Cランクの槍使いだ。よろしく」
信太「市河信太です。よろしくお願いします」
高瀬「本名もシンタなんだな」
信太「そのまま使ってます」
高瀬「しかし、あれだけ戦えるなら試験も余裕じゃないか?」
信太「どうでしょう。戦闘以外も評価されるらしいですから」
高瀬「確かにな」
二人が話していると、待機室の扉が開いた。
黒崎「全員、注目!」
黒崎誠司が入ってくる。
その後ろには、見覚えのある大柄な男性がいた。
信太「……あれ?」
九条蓮司だった。
九条「よう、シンタ」
信太「九条さん!?」
高瀬「えっ、本物の《剛剣》!?」
室内がざわめく。
九条は楽しそうに笑った。
九条「今日は試験官の一人として参加する。よろしくな」
信太「聞いてないんですけど」
九条「言ってねえからな」
信太「ですよね……」
黒崎「静かに。これから試験内容を説明する」
全員が姿勢を正した。
黒崎「今回の試験は、四名ずつ二班に分かれて実施する。訓練ダンジョン内で指定地点まで進み、課題を達成して帰還してもらう」
高瀬「四人一組ですか」
黒崎「そうだ。ただし評価は個人ごとに行う。敵を多く倒した者が合格するとは限らない」
信太は頷いた。
黒崎「試験中は安全管理班が監視するが、危険と判断した場合は即座に中止する。試験官の指示には必ず従うこと」
説明が終わると、班分けが発表された。
信太は高瀬と、盾使いの女性、魔術師の男性と同じ第一班になった。
◇ ◇ ◇
午前九時半。
第一班の四人は訓練ダンジョンへ入った。
先頭は盾使いの宮野彩花。続いて信太、魔術師の藤堂健、最後尾が高瀬という隊列だ。
宮野「私が前衛で敵を受けます。市河さんは遊撃をお願いします」
信太「分かりました」
藤堂「後方から魔法で援護します」
高瀬「俺は最後尾の警戒を担当する」
役割を決めて進み始める。
第一層は岩場が続く洞窟だった。
しばらくすると、前方から三体のアーマーゴブリンが現れた。
宮野「敵三体!」
信太「右の一体を引き受けます!」
宮野「お願いします!」
信太が前へ出る。
アーマーゴブリンが剣を振り上げた。
信太は半歩だけ身体をずらし、刀で相手の武器を受け流す。
そのまま胴へ一撃。
魔物が倒れる。
残り二体も宮野と高瀬が連携して処理した。
藤堂「思ったより順調ですね」
信太「まだ第一層ですから。油断しない方がいいと思います」
宮野「同感です」
四人は慎重に進んだ。
その様子を、別室の監視画面で九条と黒崎が見ていた。
九条「シンタ、今日はずいぶん大人しいな」
黒崎「普段が目立ちすぎなんですよ」
九条「いや、いいことだ。自分が全部倒す必要はないって分かってる」
黒崎「なるほど」
九条「雁坂で教えたこと、ちゃんと覚えてるみたいだな」
◇ ◇ ◇
第二層へ続く通路。
先頭の宮野が足を止めた。
宮野「……何か聞こえませんか?」
信太も耳を澄ませる。
微かな物音。
人の声に似ている。
藤堂「魔物でしょうか?」
高瀬「確認してみるか?」
信太「待ってください」
三人が信太を見る。
信太「声がする方向、指定ルートから外れています」
宮野「確かに」
高瀬「試験の仕掛けかもしれないな」
信太「そうかもしれません。でも本当に誰かが困っている可能性もあります」
藤堂「どうします?」
信太は少し考えた。
信太「まず協会の連絡端末で報告しましょう。そのうえで、安全を確認しながら調べませんか?」
宮野「賛成です」
高瀬「俺も異論なし」
藤堂「分かりました」
宮野が端末で状況を報告する。
返信は短かった。
『状況を確認。現場判断で対応を継続せよ』
四人は声のする方向へ進んだ。
通路の奥には、倒れた探索者が一人いた。
足を押さえて苦しんでいる。
負傷者役の協会職員だろう。
だが試験中だからといって無視する理由にはならない。
宮野「大丈夫ですか!」
負傷者「足を痛めて……動けないんです」
信太「藤堂さん、周囲の警戒をお願いします。高瀬さんは後方を」
藤堂「了解!」
高瀬「任せろ!」
信太は負傷者のそばへしゃがむ。
信太「足を確認してもいいですか?」
負傷者「お願いします……」
右足首が腫れている。
骨折の可能性もある。
信太「無理に歩かせない方がよさそうですね」
宮野「運びますか?」
信太「はい。ただ、まず安全な場所を確保しましょう」
その時だった。
通路の奥から低い唸り声が響いた。
高瀬「敵だ!」
現れたのは大型のオーク二体。
宮野「こんな時に!」
信太は立ち上がる。
信太「宮野さん、負傷者を守ってください。高瀬さん、一体お願いします!」
高瀬「おう!」
藤堂「魔法援護します!」
信太「俺がもう一体を止めます!」
オークが突進する。
信太は刀を構えた。
右片手平突きを使えば、一瞬で倒せるだろう。
だが負傷者が近くにいる。
勢いよく踏み込めば、敵の身体がそちらへ倒れる可能性もある。
信太「……こっちだ!」
あえて横へ移動し、オークの注意を引く。
負傷者から十分に離れたところで、攻撃を受け流した。
そして首筋へ刀を振る。
一撃。
オークが倒れた。
もう一体も高瀬と藤堂の連携で撃破する。
宮野「全員無事です!」
信太「よかった」
信太は負傷者へ視線を戻した。
信太「まず、この人を安全な場所まで運びましょう」
高瀬「指定地点へ進まなくていいのか?」
信太「負傷者を置いて進むのは違うと思います」
宮野「私もそう思います」
藤堂「同感です」
高瀬「分かった。俺も手伝う」
四人は協力して負傷者を搬送し始めた。
◇ ◇ ◇
監視室。
九条は腕を組んだまま、画面を見つめていた。
黒崎「どうです?」
九条「いい判断だ」
黒崎「戦闘能力は?」
九条「そこは最初から問題ねえ」
九条は笑う。
九条「それより、自分が一番強いと分かってても仲間に役割を任せてる。敵を倒す位置まで考えてたな」
黒崎「以前とは違いますか?」
九条「ああ。雁坂で会った時より、少し探索者らしくなった」
黒崎は記録用紙へ評価を書き込んだ。
ただし試験はまだ終わっていない。
第二層の先には、受験者の判断力を試す最後の課題が用意されていた。
そして信太たちは、そのことを知らないまま負傷者を安全地点へ運んでいた。
Bランク昇格試験は、ここからが本番だった。




