第13話 Bランク昇格試験の前に
Bランク昇格試験まで、あと六日。
市河信太は朝の大学へ向かう電車の中で、探索者協会から送られてきた試験要項を読んでいた。
昨日、埼玉支部で昇格推薦を受諾した直後、正式な案内が届いている。
試験会場は探索者協会が管理する訓練用ダンジョン。
内容の詳細は非公開。
事前に知らされているのは、戦闘能力だけではなく、探索判断、危険察知、救助対応、撤退判断などを総合的に評価するということだけだった。
信太「……戦うだけじゃ駄目なんだよな」
むしろ黒崎誠司からは、戦闘以外を重点的に見られると思えと言われている。
信太自身、それには納得していた。
九条蓮司と《雁坂深層洞》へ入って分かった。
強い魔物を倒せることと、優れた探索者であることは完全には一致しない。
危険を見抜く。
退くべき時に退く。
仲間がいれば、その状態まで把握する。
そして何か起きた時には、生きて情報を持ち帰る。
九条が第三層への調査を即座に中止した判断は、今でも印象に残っている。
信太「俺一人だったら……」
あの場でどうしていただろう。
ブラックオーガ・ジェネラルを倒した後。
予定では第三層までだったからと、そのまま進んでいた可能性はある。
信太「……それは駄目だな」
倒せた。
だから先へ進める。
そんな単純な話ではない。
信太は試験要項を閉じた。
信太「戦闘技術より、そっちを意識した方がよさそうだ」
無理に新しい技を覚える必要はない。
今あるものを、正しく使う。
信太なりに、Bランク昇格試験へ向けた方針が決まった。
◇ ◇ ◇
午前中の講義を終えた信太が学食へ向かうと、悠斗がすでに席を確保していた。
悠斗「遅い!」
信太「講義が長引いたんだよ」
悠斗「今日は重大発表がある」
信太「またシンタ?」
悠斗「そうだ」
信太「もう驚かないぞ」
悠斗「登録者三万人突破」
信太「…………」
驚いた。
悠斗「驚いてるじゃん」
信太「いや、早いなと思って」
悠斗「神崎レイナが配信で名前出したからな。昨日の夜からまた伸びた」
信太「三万……」
初配信の時には視聴者が一人来ただけでも嬉しかった。
それが四回配信しただけで三万人。
自分でも現実感がない。
悠斗「しかも九条さんと神崎さん、二人ともシンタをフォローしてる」
信太「それは知ってる」
悠斗「だから何で知ってるの早いんだよ」
信太「SNS見てるから」
悠斗「お前、俺よりシンタ追ってない?」
信太「そんなことない」
悠斗「怪しいなあ」
信太「何がだよ」
悠斗は冗談めかして笑いながらスマートフォンを操作する。
悠斗「あと、これ」
信太「何?」
画面には《シンタ》の戦闘スタイルについて分析する投稿が表示されていた。
『シンタの身体強化、普通の探索者と根本的に違う説』
『常時全身強化じゃなく、動作に合わせて魔力を移動させている?』
『だから魔力消費が異常に少ないのでは』
『剣道+身体操作+魔法を組み合わせた独自技術か』
信太「……よく見てるな」
悠斗「だろ?」
信太「でも、だいたい合ってる」
悠斗「なんで分かるんだよ」
信太「本人が配信で説明してただろ」
悠斗「ここまで細かくは言ってないぞ」
信太「…………」
またやった。
悠斗が目を細める。
悠斗「信太」
信太「何?」
悠斗「お前さ」
信太「うん」
悠斗「本当にシンタじゃないよな?」
今度は前より少しだけ真剣だった。
信太「なんでそうなる」
悠斗「剣道やってる。声がちょっと似てる。体格も近い。シンタが配信する日は、お前が山に行ってることが多い」
信太「…………」
意外と見られている。
悠斗「あと、シンタの技に妙に詳しい」
信太「お前が毎日見せてくるからだろ」
悠斗「それはそうなんだけど」
信太「そもそも俺がCランク探索者に見える?」
悠斗は信太を見る。
大学の講義を受け、普通の服を着て、学食で定食を食べている友人。
悠斗「……見えない」
信太「だろ?」
悠斗「でもシンタも配信してない時は普通の大学生だったりして」
信太「…………」
妙なところで鋭い。
悠斗「まあいいや」
信太「いいのかよ」
悠斗「もし本当にお前だったら、そのうちボロ出すだろ」
信太「……そうかな」
悠斗「絶対出す」
信太は否定できなかった。
すでに何度も出している気がする。
◇ ◇ ◇
昼休みの後。
信太が次の講義へ向かっていると、香澄と顔を合わせた。
香澄「先輩」
信太「水城さん」
香澄「試験要項、来ました?」
信太「昨日来たよ」
香澄「どんな内容なんですか?」
信太「詳細は秘密。戦闘、探索判断、救助、危険察知、撤退判断を総合評価だって」
香澄「やっぱりBランクは違いますね」
信太「水城さんもそのうち受けるだろ」
香澄「私はまだEランクです」
信太「今のペースなら上がれるよ」
香澄「先輩に言われると基準が分からなくなります」
信太「なんで?」
香澄「気づいたらCランクになって、気づいたらBランク候補になった人だからです」
信太「ちゃんと試験は受けてるよ」
香澄「そこじゃないんですよね……」
香澄は苦笑する。
信太「今日、訓練する?」
香澄「先輩は試験前なのにいいんですか?」
信太「だからこそかな」
香澄「どういうことです?」
信太「一人で動く練習は普段からしてるけど、誰かと一緒に動く経験が少ないから」
香澄は少し驚いた顔をした。
香澄「私でいいんですか?」
信太「むしろ水城さんがいい」
香澄「……え?」
信太「何回か一緒に訓練してるから、今の動きが分かるし」
香澄「…………」
信太「水城さん?」
香澄「そういう意味ですよね」
信太「他に何が?」
香澄「何でもありません」
なぜか少し残念そうだった。
◇ ◇ ◇
放課後。
探索者協会の訓練施設。
今回はいつもの個人訓練スペースではなく、複数人での戦闘を想定した模擬フィールドを借りた。
岩。
障害物。
高低差。
狭い通路。
簡易的ではあるが、ダンジョン内部を再現した訓練設備だ。
信太「今日は俺が前、水城さんが後ろ」
香澄「はい」
信太「敵役は自動人形がやってくれる。倒すことより、声を掛け合うことを優先しよう」
香澄「先輩がそんなこと言うようになるなんて」
信太「どういう意味?」
香澄「前だったら全部一人で倒しそうです」
信太「否定できない」
香澄「できないんですね」
信太「一人で潜ることが多かったからな」
香澄「じゃあ今日は私をちゃんと頼ってください」
信太「分かった」
模擬戦闘開始。
前方から三体の自動人形が現れる。
信太「正面二体、右奥一体」
香澄「確認しました」
信太「右奥を任せる」
香澄「はい!」
信太が走る。
正面の一体へ接近。
刀を振る。
一撃。
だが二体目には行かない。
後方を確認する。
香澄が右奥の自動人形へ槍を突き出していた。
以前より明らかに速い。
後ろ脚。
腰。
背中。
肩。
腕。
まだ完璧ではないが、身体強化が動作に沿って移動している。
香澄「はっ!」
槍が標的の胸を捉えた。
撃破判定。
信太「いい!」
香澄「前!」
信太「っ!」
二体目が来る。
信太は反射的に刀を振ろうとした。
だが一瞬だけ止まる。
避ける。
信太「水城さん!」
香澄「はい!」
信太が敵の注意を引く。
香澄が側面へ。
槍。
撃破。
香澄「やった!」
信太「今のいいね」
香澄「先輩なら一人で倒せましたよね?」
信太「倒せたけど、それじゃ練習にならない」
香澄「ちゃんと頼ってくれましたね」
信太「そういう練習だから」
香澄「そこは素直に『頼りにしてる』って言ってください」
信太「頼りにしてるよ」
香澄「…………」
信太「どうしたの?」
香澄「先輩って時々ずるいですよね」
信太「何が?」
香澄「何でもありません!」
よく分からない。
その後も模擬戦闘を続ける。
敵が増える。
障害物の陰から出現する。
負傷者役の人形が追加される。
信太は最初こそ、敵を見れば自分で倒す判断をしていた。
だが徐々に変わった。
香澄の位置。
退路。
負傷者。
敵の数。
すべてを同時に見る。
香澄「左から二体!」
信太「俺が一体止める! もう一体お願い!」
香澄「はい!」
信太は敵の攻撃を受け流す。
倒さない。
香澄が自分の担当を撃破するまで待つ。
その後、二人で残った一体を処理する。
信太「……なるほど」
香澄「何がです?」
信太「九条さんが言ってた意味、少し分かった」
香澄「雁坂深層洞の?」
信太「うん」
信太は刀を下ろす。
信太「一人だと、自分が倒せるかどうかだけ考えればいい。でも複数人だと違う」
香澄「そうですね」
信太「自分が勝てても、仲間が危険なら意味がない」
香澄「はい」
信太「Bランクになるって、こういうことなのかも」
香澄は少し笑った。
香澄「先輩、ちゃんと試験対策してますね」
信太「一応ね」
香澄「最初は何も考えず戦闘訓練すると思ってました」
信太「俺を何だと思ってるの?」
香澄「強い敵を見ると、とりあえず斬る人」
信太「黒崎さんにも似たようなこと言われた」
香澄「やっぱり」
信太「やっぱりって」
香澄は楽しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
訓練終了後。
信太と香澄が受付フロアへ戻ると、橘沙耶が二人を見つけた。
沙耶「また二人で訓練ですか?」
信太「試験対策です」
香澄「私も勉強させてもらってます」
沙耶「なるほど」
沙耶は二人を交互に見る。
信太「何です?」
沙耶「いえ、仲がいいなと思って」
香澄「えっ」
信太「大学の先輩後輩ですから」
沙耶「そういうことにしておきましょう」
信太「本当に何なんですか?」
香澄「…………」
香澄は少し顔を赤くしている。
信太には理由が分からない。
沙耶「それより市河さん。試験前の注意事項があります」
信太「はい」
沙耶「昇格試験の内容を配信することは禁止されています」
信太「やっぱり駄目ですか」
沙耶「受験者ごとの公平性がありますから」
信太「分かりました」
沙耶「合否が出た後、受験したことや結果を配信で報告するのは問題ありません。ただし具体的な試験内容は話さないでください」
信太「了解です」
沙耶「それと試験当日は十分に休んで来てください」
信太「前日にダンジョンへ潜るのは?」
沙耶「駄目です」
信太「まだ最後まで言ってないですけど」
沙耶「市河さんの考えることくらい分かります」
香澄「私も止めようと思ってました」
信太「二人とも信用ないな」
沙耶「信用しているから言ってるんです」
香澄「そうです」
信太「……分かりました。前日は休みます」
沙耶「約束ですよ」
香澄「私にも連絡してくださいね」
信太「なんで?」
香澄「本当に休んでるか確認します」
信太「監視されるの?」
沙耶「いい後輩ですね」
信太「そうですか?」
沙耶「ええ、とても」
香澄はさらに顔を赤くした。
◇ ◇ ◇
その夜。
市河家。
信太は自室の机で、試験要項をもう一度確認していた。
戦闘。
探索。
救助。
判断。
撤退。
今日の香澄との訓練で、自分に足りない部分が少し見えた。
信太「あと六日か」
焦る必要はない。
身体能力や剣術は、六日で劇的に変わるものではない。
それより体調を整える方が重要だ。
信太「……問題は」
日曜日。
家族へ何と言って出かけるか。
信太「また山って言ったら、さすがに怪しまれるよな」
すでに怪しまれているのだが、本人はまだその程度の認識だった。
コンコン。
ドアがノックされる。
信太「はい」
美咲「私」
信太「どうぞ」
ドアが開いた。
美咲が入ってくる。
珍しい。
母が一人で信太の部屋へ来ることはあまりない。
美咲「少しいい?」
信太「うん」
美咲はベッドの端へ座る。
信太「どうしたの?」
美咲「日曜日」
信太の身体がわずかに固まった。
美咲「また出かけるの?」
信太「……たぶん」
美咲「山?」
信太「いや」
美咲「じゃあ、どこ?」
信太「ちょっと用事」
美咲「そう」
母はそれ以上聞かなかった。
信太「…………」
逆に怖い。
美咲「信太」
信太「何?」
美咲「あなたが何かを隠していることは、もう分かってる」
信太は黙った。
美咲「でも、無理に聞き出すつもりはないわ」
信太「……母さん」
美咲「自分で話せる時に話して」
信太「…………」
美咲「ただし」
母の目が少しだけ厳しくなる。
美咲「命に関わることだけは、隠したままにしないで」
信太「…………」
探索者。
ダンジョン。
その二つの言葉は出ていない。
それでも、ほとんど答えを言われているようなものだった。
信太「母さんってさ」
美咲「何?」
信太「どこまで知ってる?」
美咲は少し考えた。
美咲「あなたが思っているよりは」
信太「…………」
やっぱり。
美咲は立ち上がる。
美咲「おやすみ」
信太「おやすみ」
ドアへ向かう。
だが開ける直前、美咲が振り返った。
美咲「日曜日」
信太「うん?」
美咲「頑張ってね」
信太「――え?」
美咲「おやすみ」
扉が閉じた。
信太は動かなかった。
十秒。
二十秒。
ようやく口を開く。
信太「……日曜日に何するか言ってないんだけど」
冷や汗が流れた。
◇ ◇ ◇
廊下。
美咲がリビングへ戻ろうとすると、階段の陰から莉奈が顔を出した。
莉奈「どうだった?」
美咲「盗み聞きは駄目よ」
莉奈「ごめんなさい」
まったく反省していない。
莉奈「認めた?」
美咲「まだ」
莉奈「頑固だなあ」
美咲「でも、そろそろね」
莉奈「何か分かったの?」
美咲「日曜日に何かある」
莉奈「シンタ関係?」
美咲「おそらく」
莉奈はスマートフォンを見る。
現在、《シンタ》の次回配信予定は告知されていない。
莉奈「配信かな?」
美咲「分からないわ」
莉奈「調べてみる」
美咲「ほどほどにね」
莉奈「はーい」
莉奈は楽しそうに自室へ戻っていった。
美咲は苦笑する。
息子は隠しているつもり。
娘は暴こうとしている。
そして夫だけが何も知らない。
美咲「……どうしたものかしらね」
静かな家の中で、小さく呟いた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
埼玉探索者協会支部。
黒崎誠司は、Bランク昇格試験の受験者資料を確認していた。
その中の一枚。
市河信太。
二十一歳。
Cランク探索者。
武器、刀。
得意分野、近接戦闘、身体強化、身体操作。
黒崎「戦闘だけなら心配してないんだがな」
隣で資料を整理していた沙耶が顔を上げる。
沙耶「市河さんですか?」
黒崎「ああ」
沙耶「落ちると思います?」
黒崎「試験だから何があるか分からん」
沙耶「でも?」
黒崎は少し考える。
黒崎「雁坂で九条さんから学んだことを、ちゃんと理解していれば問題ないだろう」
沙耶「意外と素直ですからね」
黒崎「戦い方に関してはな」
沙耶「それ以外は?」
黒崎「自分が普通だと思ってるところをどうにかしてほしい」
沙耶「それは難しそうですね」
二人とも苦笑する。
黒崎は資料を閉じた。
日曜日。
市河信太のBランク昇格試験。
本人はまだ知らない。
試験官として参加する探索者の一人が、彼の配信をすでに何度も見ていることを。
そして、その人物が試験前から市河信太というCランク探索者へ強い興味を持っていることを。
信太にとって初めてとなる、上級探索者への昇格試験。
その日は少しずつ近づいていた。




