第九十六話 せ、聖なる女性だよな?
「ノエル、すまなかったな。大事な修業の邪魔をしちまって」
八起は城の廊下を歩きながら、隣を歩くノエルに頭を下げた。
「いいえ、大丈夫です。あともう少しで、自分のモノに
出来そうですから。うふっ」
ノエルはふわりと微笑んだ。だが、その直後、八起の背中の
中心を針で刺されたような冷気が一瞬だけ通り抜けた。
(……あれ? 今、背筋に寒気が……)
八起は自分の腕を軽くさすり、怪訝そうに眉をひそめる。
さっきメルの作った柄を使った時も、妙な違和感を
覚えていた。
連日の内政や現場の立ち回りで、知らず知らずのうちに
無理をしすぎて風邪でもひきかけているのだろうか。
今日は大人しく、早めに特製敷布団へ潜り込んで休んだ方が
いいかもしれない。
そんなことを考えながら、ノエルをシオリの部屋の前まで
送り届けた。
「おじ様ぁ」
不意に背後から、衣擦れの音と共に独特の甘い声が降ってきた。
「うわっ」
八起は思わず肩を跳ね上げ、振り返る。そこには、下半身が
蜘蛛の亜人であるシオリが、何やら興奮を帯びた
潤んだ瞳で佇んでいた。
「お、すまんすまん。ちょっとびっくりしただけだ。
シオリ、ノエルを借りちまってすまなかったな。
あともう少しで技をモノに出来そうだと、本人が喜んでいたぞ」
八起の言葉に、シオリは首を傾げて細い指先を口元に当てた。
「?? あらぁ、おじ様。ノエルちゃんはぁ、魔糸に魔力を通して
硬度を操る修行なんてぇ、もうほとんど覚えちゃいましたよぉ。
もう立派な魔糸使いですぅ」
「そうなのか? じゃあ、コウタロウへのエプロンが、
もう完成しそうなんだな」
「かもですねぇ。あの子、ずっと誰かのことを考えながら
一針ずつ縫っていましたからぁ」
シオリの言葉を聞いて八起がふと振り返ると、そこにはどこか
薄暗い寒気を纏うような、言葉にできない微笑みを浮かべた
ノエルが立っていた。
「どうしたんですか?」
「いや……なんか、風邪ひいたみたいでゾクゾクするんだ。
あったかいもんでも食って今日はやすむかな」
八起が曖昧に笑うと、ノエルは静かに小首を傾げた。
「病気は魔法で治せないのでお大事にしてください」
「おう、心配すまんな」
八起は歩き出しながら、首の後ろに残る冷気を手で払った。
(いつものノエルだよな、なんだったんだ)
ノエルやシオリと別れてから、八起は冷えた身体を温めるべく、
城の地下にある調理場へと足を向けた。重い鉄の扉を開けるよりも
早く、廊下の向こうから強烈に胃袋を刺激する、芳醇で濃密な
香りが鼻腔を突いてきた。
「おっ、いい匂いだな」
調理場に入ると、旨そうなラーメンが出来上がっていた。
「あ、師匠いいタイミングです! 完成したラーメン食べてください」
厨房の熱気の中で汗だくになりながら、コウタロウが
満面の笑みを浮かべて八起を出迎えた。
袖を捲くりあげた腕と、やりきったと言わんばかりの
誇らしげな表情に、八起は器の中へ視線を落とす。
見た目完璧だな。
「はい、チャーシューはドラゴンの肉、麺はキャベッツァ産の
小麦で作りました。食べてみてください」
「おう、いただくよ」
まずは、スープを一口……旨いっ!!
なんか……涙が……出てくる……旨いよ……コウタロウ。
満面の笑みを浮かべる弟子を前に、八起は器の底を見つめながら、
心の中で血の涙を流していた。
(ああぁぁぁぁ……ドラゴンンンンン……)
「そんなに喜んでくれるなんてホント嬉しいです!」
(ドラゴン成仏してくれ、ううゥぅぅ……)
「そういえばセシリアは大丈夫ですか?」
コウタロウがふと思い出したように尋ねてきた。
八起はスープの旨味で涙目を誤魔化しながら、大きく頷いた。
「ああ、それなら問題ない。メルの大発明で解決した。
お前たち、本当にいい仲間だな」
「ノエルも頑張ってたぞ」
コウタロウが嬉そうに言うのを見て、八起は鼻をすすりながら
笑った。
「近いうちにこの……このラーメンで打ち上げしよう」
「はいっ!」
ドラゴンがつなぐ絆という事で良しとしよう(涙)。
八起は少し複雑な涙を噛み締めながら、コウタロウが作った
至高の麺を、勢いよく口へとすすり込んだ。




