第九十三話 好きなものはしょうがねぇ
うつむいたまま耳の裏を赤くしているセシリアの姿を前に、
俺は胸の内でそっと安堵の息を漏らした。
人間の国を追われ、生真面目さゆえに頑なになっていた彼女が、
まさか真っ白なモフモフを前にここまでだらしない笑顔を
見せるとは思いもしなかった。
この城の周りにこれ以上、戦うことしか頭にないような
生粋の脳筋が溢れかえってしまえば、それこそ遠からず
国そのものが内側から崩壊しかねない。
俺は耳を不満げに伏せているガウラの方へと向き直り、
その丸い頭を軽く小突いた。
「ガウラ、ちょっと頼みがあるんだが、時々でいいから
セシリアのことも裏庭に呼んで遊んでやってくれないか?
大切な鎧が呪いの鎧みたいになっちまって、本人はあれで
結構落ち込んでるんだよ」
その言葉を聞いたガウラは、突き出していた細い腕を引っ込め、
尻尾を小さく左右に振った。
「おう、わかった。ボスがそこまで言うなら文句ない」
ガウラはセシリアがしがみついている白い魔獣を
乱暴に指差した。
「そいつの名前はサンだ。いぢめたら私が許さないからな!」
そう言い残すと、彼女は象ほどもあるひときわ巨大な
モフモフの魔獣の背へと器用に飛び乗り、放牧地の方へと
楽しげな声を響かせながら去っていった。
「サン、か……。数字の3か、それとも太陽のサンかね」
まあ、名前であることは間違いないだろうと俺は一人で納得し、
まだ気まずそうに佇んでいる前衛を振り返った。
「セシリア、良かったな。解決策が見つかるまでは、
そいつに思いっきり癒されててくれや」
セシリアの落ち着きを取り戻した横顔を見届けた俺は、
城内へと戻り、そのまま厨房へと足を向けた。
鉄の扉を開けると、室内にはドラゴンの骨から取った濃密な香りと、
小麦粉の白い粉が至る所に漂っている。
「コウタロウ、調子はどうだい。安定した味が出せるようになったか?」
麺台の前で汗を拭っていた鈴木コウタロウが、師匠の姿に
気づいて慌てて頭を下げた。
「あっ、師匠。スープの方はバッチリ安定したんですけど、
どうしても麺がうまく作れなくて……。茹で上がりが
どうしてもモソモソになっちゃうんです」
コウタロウが差し出してきた太い麺を、
俺は指先で軽く摘んで感触を確かめた。
「コウタロウ、これ、ちゃんと寝かせてるか?」
「寝かせる、ですか……?」
「熟成させることだよ。練り上げた生地をそのまま茹でると、
どうしてもコシが出ねえんだ。
ただ、この世界には正確な時計がないからな。
生地の表面がしっとり滑らかになるまで、
乾燥しないように布をかけて置いといてみな。
今はその加減を、自分の感覚で覚えるしかないな」
「なるほど……! わかりました、がんばります!」
素真面目に頷く弟子の肩を一度叩き、俺は調理場を後にする。
廊下の向こうから書類を抱えたルナリアと、
背筋を伸ばしたゼフェルが歩いてくるのが見えた。
「おっ、ゼフェルにルナリア、いいところに。
例のレオンハルト辺境伯領への出店の進捗はどうなってる?」
俺の問いに、ゼフェルが胸を張って即座に応じた。
「順調です、八起殿。現地の通関ルートも完全に掌握し、
近日中には間違いなく開店できる段階にあります」
「そいつはありがたい。大したもんだな」
「ところで、おじさん」
ルナリアが手元の書類から視線を上げ、少しだけ上目遣いに
俺を睨んだ。
「オープンセレモニーの準備はどうするの?
主賓としての挨拶くらいは考えておいてもらわないと困るんだけど」
「勘弁してくれ、俺はそういう表舞台のきらびやかなのは
大の苦手なんだよ。ルナリア、本当に悪いんだが、
俺の代わりに仕切ってきてくんないかな?」
俺が本気で嫌そうな顔をして頭を下げると、ルナリアは
フンと短く鼻を鳴らした。
「もう、しょうがないわね……。行ってあげます」
相変わらずツンとした態度ではあるが、その口元が微かに緩み、
どことなく嬉しそうなのは気のせいではないだろう。
「あっ、師匠……どこにいた……すぐ来る……」
そのやり取りの最中、廊下の影からぬっとメルが現れた。
その小さな胸をフンスッと張り、これ以上ないほどのドヤ顔を
浮かべて俺の服の袖を引っ張る。
何やら手応えがあったらしく、俺はルナリアたちに片手を振って別れ、
メルのガラクタ部屋へと連行された。
古い鉄の扉を閉め、埃っぽい暗がりに戻るなり、
メルは大きく袖を翻して声を張り上げた。
「我が叡智と魔が――」
「それより、一体何がどうしたんだい?」
「…………」
途中で言葉を遮られたメルは、途端に不満げに頬をぷくっと膨らませて
沈黙した。
「悪い悪い、急かしすぎた。続けてくれ」
俺が苦笑しながら手を合わせると、メルは気を取り直したように
再び口を開いた。
「……我が叡智と魔眼が魔界の溜から見出した魔導融合兵装、『柄』!」
「えっ? 柄?」
俺は思わず耳を疑った。
「違う……っ」
メルはさらに声を張り出す、
持っていた奇妙な形の金属を突き出すように掲げた。
「『ツカッ!!』」
どうやら、何か凄まじい機能を持つ
持ち手部分が出来上がったことだけは分かった。
だが、俺の視線はメルの手元ではなく、彼女の足元で、
全く同じポーズを取りながら「ドヤッ」と胸を張っている、
見覚えのない奇妙な人形の方へと完全に奪われてしまっていた。




