第九十話 戦いの末に
セシリアが自ら選んだ十名の部下たちは、
どれも一筋縄ではいかない面々だった。
魔王城の訓練場に集まった彼らは、かつて人間の国の
聖騎士だった彼女を、まだ完全に信用しているわけではない。
沈黙が支配する中、セシリアは堂々と背筋を伸ばし、
明朝の出発に向けた作戦の概要を冷徹に告げた。
野盗の出没地点、進軍ルート、展開する陣形にいたるまで、
的確に指示を出していく。
「我らの任務は街道の安全確保、および物資の防衛である。
各自、油断なく準備を整えよ。解散」
短い大号令とともに部下たちが散ると、セシリアは小さく息を吐いた。
鎧の擦れる音を響かせながら、彼女が足を向けたのは食堂だった。
遠くから漂う、これまで嗅いだこともない芳醇な香りに誘われるように
扉を開けると、そこには湯気の中で大真面目な顔をしたコウタロウの姿。
「あ、ちょうど良かった。これ、セシリアのために作った試作ラーメンだよ」
差し出された器には、琥珀色に透き通ったスープと、美しく並んだ麺が
収まっていた。セシリアは戸惑いながらも箸を取り、スープをすする。
その瞬間、彼女の端正な顔が驚愕に染まった。
「な、何だこれは……。信じられないほど深いコクと、身体の芯から
力が湧き上がってくるような圧倒的な生命力を感じる。
これが、ラーメンというものなのか……」
「へへ、気合入れて仕込んだからさ!」
嬉そうに笑うコウタロウの横から、ぬっと影が現れ淡々と語る。
「ふん……その程度で……驚くとは……世界……という名の混沌を
知らぬ……ようだな……セシリアよ」
現れたのはメルだった。その手には、奇妙な幾何学模様が刻まれた
小さな金属片が握られている。
「我が師匠より伝わりし技を以て、我が魔力を結晶化させし初にして
至高の魔導護符。これを持っていれば、戦場に渦巻く
邪悪な因果を捻じ曲げ、汝の守護を絶対の……」
「あ、ちょっとメル、そんな大げさに言わないでよ。セシリア、
それ持ってると、ちょっと運が良くなる程度だから。
はい、こっちが私が作った護符入れの袋。汚れないように作ってみたの」
ノエルが照れくさそうに、丁寧に縫われた小さな刺繍入りの袋を差し出す。
セシリアは二人の優しさに胸を打たれ、深く頭を下げてそれらを
受け取った。
「勇者一行勢揃いだな。明日から出かけるセシリアの壮行会か?」
俺はふらりと、温かい眼差しで輪に加わった。
「セシリア、無理だけはするなよ。危なくなったら、格好なんて気にせず
さっさと逃げて来い。とにかく生きて戻ってくるのが一番大切だからな?」
「肝に銘じます、八起殿」
そこへ、地響きのような足音とともにガルム将軍が姿を現した。
その鼻腔が、食堂を満たす香りを捉えて激しくピクリと動く。
「む……何だこの暴力的なまでに魂を揺さぶる香気は!
コウタロウよ、わしにもよこせ!」
「あ、これセシリアの分しか作ってないんですけど……」
コウタロウが困ったような顔をすると、将軍はさらに鼻を鳴らして凄んだ。
「何を言う! これほどの香りを嗅がされて黙っていられるわけが
なかろう! 早くわしのも作るのだ!」
結局、その場にいた全員分のラーメンが慌ただしく調理された。
誰もがその至高の味わいに歓声を上げ、笑顔を浮かべている。
だが、その輪の中心で、俺だけは一人、魂が抜けかけた顔で
器を見つめていた。
(ああ……美味い、美味いよコウタロウ……。だけどな、
楽しみに積んであった、ドラゴンの骨が……溶け混んでやがる……。
俺のロマンが胃袋に消えていく……)
俺は満面の笑みの弟子を前に心の中で血の涙を流し、
ただ静かに麺を噛み締めた。
一夜が明けた早朝、セシリア率いる部隊が出発した。
目指すは東の農業大国キャベッツァ農国。
国境を越え森林に囲まれた悪路へ差し掛かった時、
風を切り裂く音が静寂を破る。
「敵襲ーッ! 散れッ!」
セシリアの叫びと同時に、無数の矢が降り注いだ。
木々の隙間から、下卑た笑みの野盗たちが武器を構えて飛び出してくる。
十五人ほどの集団が一塊になって襲いかかってきた。
「総員、基本陣形を展開! 盾を前に、焦るな!」
初めての実戦指揮。セシリアは必死に声を張り上げるが、
戦場の熱気に頭が白くなりかける。部下たちの動きが僅かに遅れ、
陣形が崩れそうになった。
「セシリアッ!! 何をやっておるかぁっ!!」
後方で見守っていたガルム将軍の怒号が響く。
その喝によって、セシリアの瞳から迷いが消えた。
「……そうだ。私は、守るためにここにいる!」
自ら最前線へ踏み込み、襲いかかる野盗の斧を白銀の剣で弾き飛ばす。
彼女の果敢な一歩が、動揺していた部下たちの闘志に火をつけた。
「隊長に続け! 叩き潰せ!」
セシリアの的確な指示と剣技により、部隊は立て直され、野盗たちを
圧倒していった。激しい戦闘の末、街道には静寂が戻る。
討ち取られた者たちの怨嗟と、生々しい殺意が混ざり合う澱んだ魔力が、
不気味に漂い始めていた。
その時、セシリアの懐でメルの護符が震え、周囲の魔力を引き寄せ始める。
ノエルの袋が淡く発光し、流れ込んだ不浄な魔力を聖なる力で
一瞬にして浄化していった。
浄化された濃密なエネルギーは、護符を媒介とし、
セシリアの鎧へ術式を付与し始める。どこからともなく、
脳裏に直接響く芝居がかった少女の声が聞こえてくる。
『――万象を無へと帰す虚無の深淵より、昏き深紅の因果を紡ぎ、
選ばれし昏冥の騎士に真なる契約の烙印を刻まん……!』
「メル!? うあぁぁぁ身体がっ……!」
セシリアがうめき声を上げると同時に、全身を漆黒の闇が包み込んだ。
闇の収束が収まった時、彼女の誇り高き白銀の鎧は、
禍々しくも美しい漆黒の鎧へと変貌を遂げていた。
セシリアはただ、自身の黒い手甲を見つめて驚愕に目を見開いていた。




