第八十七話 世界の半分……いや、全部やるわ
城下町の市場から買い出しを終えて戻ると、
俺とコウタロウはすぐに魔王城の厨房へと直行した。
広い調理台の上には、市場で仕入れてきた
数々の食材がずらりと並べられている。
猪に似た獣の骨、旨味の凝縮された干し肉、
天日で乾かした干し魚。さらには、数種類の新鮮な野菜、
香辛料、独自の風味を持つ薬草など、
現場で手に入る材料を片っ端から集めていた。
二人は完成のイメージを頭の中に描きながら、
早速スープの仕込みに取りかかる。
職人の仕事と同じで、まずは色々な組み合わせを試して
規格を検証する段階だ。材料の配合を変え、火加減を調整し、
何種類もの試作スープを大鍋で同時に煮込んでいった。
「「…………」」
数時間後、出来上がったいくつかのスープを前に、
二人は同時に沈黙した。小皿に取って口に含んでみるが、
お互いに微妙な表情のまま顔を見合わせる。
不味くはないのだ。いや、不味くはないどころか、
この食文化の乏しい世界なら十分に極上と言える。だが、美味くもない。
一言で表現するなら、ただの「普通」なのだ。
「……なんか、こう、パンチが足りないっていうか、
まとまりが無いですね」
「そうだな。混ぜ合わせてもみたが今ひとつだ。
あのガツンとくる濃厚な出汁のコクには、これじゃあ遠く及ばねえな」
さんざん試作スープを作っては味見を繰り返したせいで、
二人の腹はすでにタプタプだった。
これ以上は正確な検証ができないと判断し、俺は手帳を閉じる。
「コウタロウ、ひとまず一旦休もう。これだけ飲み続けりゃ、
味覚も麻痺してくる。現場のトラブルと同じで、
一朝一夕にはいかないもんだ」
「……師匠。俺、少し一人で考えてみてもいいですか?」
「おう、あまり無理するんじゃないぞ」
コウタロウは真剣な目でそう言うと、考え込むようにして厨房の奥へと
引っ込んでいった。
一人残された俺は、気分転換のために一度外へ空気を吸いに出ることにした。
狭い厨房に何時間も篭っていたせいで、
衣服や髪にはスープの独特な匂いがすっかり染み付いている。
廊下を歩いていると、向こうから書類を抱えたルナリアが歩いてきた。
「あら、おじさん……って、ちょっと何ですかその格好。
うわっ、臭っ! おじさん、お風呂ちゃんと入ってる!?
なんかもの凄く獣臭いわよっ、近寄らないで!」
ルナリアは眉根を寄せて小さくため息を吐いた。呆れたように書類で
鼻元を覆い、それでもどこか親しげな毒を吐きながら足早に通り過ぎていく。
「お、俺が臭いのか……」
俺は自分の作業着の袖を鼻に近づけて少し凹んだ。
しばらく廊下で佇んでいると、ドタドタと騒がしい足音が響いてくる。
見れば、さっきまで悩んでいたはずのコウタロウが、
満面の笑みを浮かべて走ってきた。
「師匠! すごいのができました! 早く来てください!」
急かされるままに俺が調理場へと戻ってみると、
扉を開けた瞬間に驚くような芳香が鼻腔をくすぐった。
先ほどまでの獣の臭いは完全に消え去り、上品で深みのある、
嗅いだこともない高貴な香りが広がっている。
コウタロウに促されるまま、
俺は新しく出来上がったスープを木匙で一口すすった。
「っ……!」
驚愕が走った。まろやかで圧倒的なコクがあり、
それでいて後味はすっきりと抜けていく。脳が揺れるほどの、
得も言われぬ芳香のスープが完成していた。
この世界において、これ以上の「食の暴力」は存在しないと
断言できるレベルだ。
「な、何入れたんだこれ!?
さっきの材料に何を足したらこんな味になるんだい!?」
俺が目を見開いて尋ねると、コウタロウは待ってましたとばかりに
得意げな胸を張った。
「ふふん、師匠の部屋にあったドラゴンの骨、忘れてたでしょ?
あれをちょっと削ってスープに入れたら、一気に大化けしたんです!」
「あっ……」
俺は短い声を上げたまま、完全に固まった。
あれは忘れていたわけでは……ない。断じてない。いつか時間ができたら、
頭骨から尾動骨に至るまで、この手で繋ぎ合わせ組み立てて、
格好良く飾ろうと大事に積み上げていた、俺の愛しきドラゴンの骨……。
よりによって、あろうことかスープの材料に……。
喉まで出かかった「お、俺の、ドラゴォォォォン!!」の言葉を、
あふれ出そうとする涙と一緒に飲み込んだ。
「師匠がラーメンのためにあそこに用意してくれたんだって
気づいた時、本当に感動しました!」
キラキラとした、一点の曇りもない満面の笑顔でコウタロウがこちらを
見つめている。その純粋な敬意の眼差しを前に、
「至高の蒐集品が……」とは流石の俺も言い出せなかった。
忘れていたふりを突き通すことを決意し、心の中で血の涙を流す。
「コウタロウ……。世間じゃ魔王ってのは、
気に入った奴に世界の半分をやると言うらしいがっ…………
この世界すべて君のものだ……」
俺は引きつった笑顔の仮面を貼り付け、心で血を吐きながら、
魂の底からの称賛を贈るのだった。




