第八十二話 師匠!
魔王城の大きな扉が、音もなく左右に開いた。
俺の後に続いて、コウタロウたちが恐る恐る足を踏み入れる。
城内は驚くほど塵ひとつなく、清潔に保たれていた。
出迎えたのは、下半身が蜘蛛の姿をした少女、シオリだった。
その異形を目にした四人が、小さく息を呑んで身を硬くする。
人間の国ではまず見かけない亜人の姿に、軽い緊張が走った。
俺は泥のついた作業着のまま、いつも通りに声をかける。
「シオリ、悪いんだがこの四人の着替えを用意してやってくれ。
長旅で服がすっかり汚れてちまってるんだ」
「おじ様ぁ、おかえりなさいませぇ……。
はいですぅ、すぐに上質なものを用意いたしますわぁ」
シオリが穏やかに微笑み、その指先がわずかに動いた。
次の瞬間、四人の視界を白い魔糸の残像が埋め尽くす。
何が起きたのか理解する時間すら、そこにはなかった。
瞬きを一つした直後には、すでに糸の軌跡は消え去っている。
ただ呆然とする四人の腕の中には、完璧に仕上がった衣服が収まっていた。
「気に入っていただけると嬉しいのですけれどぉ……」
シオリは何事もなかったかのように、笑顔を向ける。
驚く暇さえ与えられない次元の違う神速の業。
四人は呆然と、真新しい衣服を抱えて立ち尽くすしかなかった。
「詳しい話は後だ。シオリ、彼らを風呂に案内してやってくれ。
俺は応接室で待ってるからな」
俺の促しに、四人は小さく頷いて浴場へと向かった。
着替えを済ませた一行は、豪奢な応接室へと通された。
長机の奥には、すでに魔王国の重鎮たちが並んでいる。
俺の隣には、書類を抱えた秘書官のルナリア。
背筋を伸ばして座る、ゼフェル。
人狼族の老雄であるガルム将軍と、その娘のガウラ。
空間の隅で、お茶を淹れるシオリの六人が、静かに待っていた。
「さて、まずは旅の疲れを落とせたようで何よりだ。
で、聖法国では何があったんだ?」
俺が静かに問いかけると、コウタロウが拳を握りしめた。
彼は聖王に直訴した際の話を、ぽつりぽつりと語り始める。
魔王はただのおじさんだと伝えた途端、国を追放されたことを。
「あの国の空気感は、どこか奇妙な違和感があったんです。
僕の言葉を、聞こうとする人は誰もいませんでした」
「おかしかったのは聖王様だけではありません。
私の家族も、全員がどこか噛み合わない。
うまく言葉にできないのですが、何か歪んでいる気がしたのです」
聖女ノエルが静かに口を開くと、セシリアが悔しげに言葉を重ねる。
「私の家もそうだ。具体的に何が変とは言い表せないが、
不気味であの言葉にできない違和感に耐えられなくて出てきました」
魔法使いのメルも、無言で深く首を縦に振った。
「えっ……みんなの家族までそんな状態だったの……!?」
コウタロウは初めて知る仲間の事実に、驚愕の声を上げた。
自分を追って国を出た彼女たちも、同じ違和感を感じていたのだ。
その話を、魔王国側の俺たちは冷静に聞き入っていた。
ゼフェルは腕を組み、熱い視線を八起へと向ける。
(おお、これこそ八起殿の深謀遠慮。
胃袋を掴まえて、世界の最高戦力を戦わずして籠絡させるとは……!)
「なるほどね。事情はよく分かった。
だが、これからどうするかを焦って決める必要はねえ。
まずは城下町でも観光して、少しゆっくり考えてみな」
俺の言葉に押され、四人は一度、活気あふれる城下町へと観光に出かけていった。
一行が席を外した後、応接室に残った俺たちは今後について話し合いを始める。
「ちょっと、おじさん! 国に捨てられたあの子を、本当に受け入れるつもりなの!?」
ルナリアが書類を机に置き、少しぶっきらぼうに問い詰める。
するとガルム将軍が、フンと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「国を追われた腑抜けのガキどもなど放っておけ!
戦力にもならん人間の小童など、いちいち構う必要はない!」
「八起殿が引き受けた以上、彼らには何か大きな役目があるはずです」
ゼフェルが確信に満ちた目で頷く。
俺は腕を組みながら、少し呆れたように笑った。
「そんな大層なもんじゃねえさ。
まあ、やりたいことがあるなら、遊ばせておくのも勿体ねえからな」
そんな方針を決めてから、数時間が経過した。
城下町の活気と美味に目を丸くした勇者一行が、応接室へと戻ってくる。
彼らの瞳には、先ほどまでの迷いや疲れは消え失せていた。
長机の前に戻るなり、セシリアが真っ先に立ち上がった。
ガルム将軍の前に歩み寄り、深く頭を下げる。
「ガルム将軍。私をあなたの元で訓練してください!
聖騎士とは名ばかりで、私には本当の実戦経験がありません」
ガルムは鋭い眼光で、真っ直ぐに頭を下げるセシリアを睨みつけた。
その体から放たれる圧倒的な威圧感に、部屋の空気が張り詰める。
「はん、聖法国の温室で育った腑抜けの騎士が、
我らの土が舞う戦場に耐えられるとでも思っているのか?
一日と持たずに泣いて逃げ帰るのがオチだ」
「逃げません! どんな過酷なことにも耐えてみせます!」
セシリアが顔を上げ、一歩も引かずにガルムの視線を受け止めた。
その曇りのない瞳をしばらく見つめ、ガルムは忌々しげに舌を打つ。
「……フン、口先だけは一丁前か。
いいだろう、そこまで言うなら明日から地獄を見せてやるわ」
ガルムが獰猛な笑みを浮かべ、咆哮のような声で応じた。
俺は腕を組んだまま、静かに二人のやり取りを見届ける。
(ガルムの猛特訓を自ら願い出るとは、大した根性だ。
下手をしたら聖騎士から、暗黒騎士にでもなっちまいそうだな)
そんな俺の心配を余所に、今度はノエルがシオリに向かって一歩を踏み出した。
「シオリ様。私にその精巧な裁縫の技術を教えてください!」
「あらぁ、私にですのぉ? 構いませんけれどぉ……」
シオリは首を傾げながら、おっとりと微笑んだ。
だが、俺は心の中で激しく突っ込みを入れていた。
(いやいや、それはアラクネだからできる芸当だぞ。
人間が真似したら、腕がいくつあっても足りねえよ)
そんなやり取りの最中、突然コウタロウが勢いよく机を叩いた。
「師匠っ!!」
熱い眼差しを八起に向けるコウタロウの隣で、魔法使いのメルが一歩前へ出る。
メルは無表情のまま、感情の起伏のない淡々とした声で呟いた。
「軽トラ……感嘆……仕組み……知りたい……魔道具……研究したい……」
視線は完全に固定され、その瞳の奥にだけ異様な熱量が宿っている。
続けて、コウタロウもさらに身を乗り出して叫んだ。
「僕は、宿場町で約束したラーメンを作りたいです!」
「ちょっと待て、気が早いぞコウタロウ君。
ラーメンなんて、まだ構想の段階だ。
麺やスープ、一から作り出さなきゃいけねえ」
俺が呆れたように肩をすくめると、コウタロウは力強い笑顔を見せた。
「僕も、一緒に研究させてください!
あの懐かしい味、みんなで一緒に食べたいんです!」
コウタロウの真っ直ぐな熱意に、八起の職人魂が心地よく刺激された。
顎に手を当て親方らしい挑戦的な笑みを浮かべる。
「よし、やるか! コウタロウ君、絶対にうまいラーメンを作るぞ!」
「はい、師匠!!」
この瞬間、世界の不条理へ勇者の反攻作戦が始まるのであった。
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