第五十五話 青春噛みしめろよぉ(後編)
「……路地裏の子供たち、ねぇ……」
店の奥の特等席で、俺は腕を組み、のっそりと深く椅子に腰掛けた。
ノエルは小さく俯いたまま、ただ静かに俺の言葉を待っている。
自分の稼いだ金をためらいもなく使い切る、勇者の危ういほどの優しさ。
それを最も近くで見守ってきた彼女の横顔には、祈るような、
どこか切ない陰が落ちていた。
「分かった。事情はよーく見えたよ、聖女さん。
そのガキどもの件は、この俺に任せときな」
「え……? 七転さん、それはどういう……」
「あいつが自分の財布を空にしてまでハンバーガーを配らなくても、
腹を空かせたガキどもに美味い飯を食わせる方法なんて、
大人の商売がありゃあいくらでも思いつく。だから、そこは心配すんな」
ノエルは驚いたように目を見開いた。俺は元・何でも屋のオヤジとしての
頼もしさをこれでもかと見せつけるように、不敵に笑ってみせる。
「お前さんは、勇者の奴がこれ以上無茶な買い物をしねえように、
見張っててくれ。今夜、うちの看板娘とも
しっかり話をして、明日にはきっちりケリをつけてやるからな」
「……はい! ありがとうございます、七転さん!」
深々と頭を下げ、少しだけ安心したような笑顔を見せて帰っていくノエルを
見送り、俺は深くため息をついて厨房へと戻った。
その日の夜。営業をすべて終え、二階の住居のリビングで、
俺はルナリアと向かい合っていた。昼間にノエルから聞いた話を、
かくかくしかじかと包み隠さずに彼女へ伝える。
「……というわけだ。アイツ、自分の金を全部使って、
宿場町のガキどもにうちのバーガーを配り歩いてたらしい」
「な、なんですかそれ……! 私に会うための口実と、子供たちを
助けたいっていうお人好しな善意を一緒くたにして、毎日そんな無茶を
していたんですか!? いくらなんでも不器用すぎというか、馬鹿じゃないんですか!?」
呆れと困惑がごちゃまぜになった顔で、ルナリアが声を荒らげる。
コウタロウの暴走が、彼女の常識的な視線にはどうしても許せないらしい。
「ここは当人同士じゃないと解決できないと思うんだ。
だからさ、たのむわ、ルナリア」
俺はいつになく真面目な顔で彼女の目を見つめた。
「次の機会に、あいつをきっぱりとあきらめさせてくれ」
「……分かりました。明日、あの子が来たら、私が責任を持って
引導を渡してあげます」
冷徹なまでの決意を瞳に宿し、ルナリアは静かに拳を握りしめた。
翌日の昼下がり、営業のピークが一段落した頃。注文カウンターの前に、
やはりコウタロウが一人でやってきた。いつもなら淡々と
注文を聞くルナリアだったが、今日ばかりは違った。
カウンター越しに、冷たい風を纏うような眼差しでコウタロウを射抜く。
「コウタロウ様。本日お渡しできる商品はありません。もう二度と、
この店でそのような無茶な買い方をされるのはお止めください」
「えっ……!? ル、ルナリアさん? あの、僕、何か悪いことでもしましたか……!?」
突然の拒絶に、コウタロウが肩を震わせる。だが、ルナリアの瞳には、
一切の容赦も甘えも存在しなかった。
「ノエル様からすべて伺いましたよ。お仲間がどれほど親身になって、
あなたのその無鉄砲な行動を心配されているか、分かっていないのですか」
「えっ!? な、なんでそれを……! ノ、ノエルに心配かけてたの……っ!」
自分の行動が仲間を深く悩わせていた。その事実に、コウタロウの顔が
一気に引きつった。動揺のあまり言葉を詰まらせる彼を、ルナリアは
さらに畳みかける。
「理由は何ですか。お腹を空かせた子供たちが可哀想だったからですか?
それとも、別の目的がおありなのですか」
「それは……! 子供たちを放っておけなかったのも本当です!
でも、それだけじゃなくて……! 僕、ルナリアさんにも、どうしても会いたくて……。
他に店に来る口実が思いつかなくて……っ!」
顔面を赤面させ、ついに本音を白状したコウタロウ。しかし、その不器用な
叫びを聞いても、ルナリアの冷淡な態度が崩れることはなかった。
「子供たちへの善意と、私への下心を一緒くたにして、そんな無責任な
暴走をするのはお止めください。ただの一店員に過ぎない私のために、
世界を救う勇者という立場がありながら己の歩みを曇らせるなど、
甚だ不愉快です」
容赦のない冷たい言葉が、激しい勢いでコウタロウに叩きつけられる。
だが――言われたコウタロウは、激しいショックに打ちのめされながらも、
同時に釘付けになっていた。
罵倒されているはずなのに、目の前の彼女の毅然とした美しさから、
どうしても目が離せない。胸の奥が、これまでにないほどドクドクと
狂ったように高鳴っていた。
「お仲間を心配させ、自分の立場も顧みないような無責任なお方に、
私たちの作った大切な料理を売るわけにはまいりません」
完全なお断りだった。ルナリアは最後まで態度を軟化させることなく、
きっぱりと言い放った。コウタロウは頭をガツンと殴られたかのように
呆然と立ち尽くし、財布を握りしめたまま深く俯いた。
「……すみませんでした。僕、本当に格好悪いですね。
世界を救うだなんて偉そうなこと言っておいて、自分のことばっかりで……」
「格好悪くなどありません。ただ、あまりに不器用で、情熱の使い方が
間違っているだけです。そのお力は、あなたを信じて待つお仲間のために、
正しくお使いください、勇者様」
ルナリアはツンとした態度のまま、完璧な一礼をしてみせた。それは
一人の店員として、世界の命運を背負う勇者への最低限の、そして
揺るぎない敬意の示し方だった。
「……はい。僕、頑張ります。世界をちゃんと救って、みんなで笑顔で、
またこのハンバーガーを食べに来ます!」
涙を堪えながら、コウタロウは今度こそ晴れ晴れとした顔で笑ってみせた。
財布を懐にしまい、勇者らしい力強い足取りで広場を去っていった。
「ふぅ……」
戻ってきたルナリアは、店に入った瞬間にその場へがっくりと
崩れ落ちそうになった。
「お疲れさん、ルナリア。よく言ったな」
「も、もう! おじさんがまじめな顔で頼むから、私、すごく悪者みたいに
なっちゃったじゃない!」
怒るルナリアだが、その目には、少年の純粋な心を傷つけてしまったことへの
切ない痛みが滲んでいた。俺はそんな彼女の隣に歩み寄り、その頭を
優しく小突いてやる。
「これでアイツも一人前の男になるさ。さあ、青春の余韻に浸る暇はないぞ。
ガキどもの件は、これからガルードと打ち合わせするからな」
「はいはい、分かってますよ! おじさん、次の段取りも期待してます!」
ルナリアがエプロンをきゅっと結び直す。その横顔には、秘書官としての
頼もしい仕事人の表情が戻っていた。俺はフッと笑みを浮かべ、
カウンターの向こうで待つ次なる客たちの行列を見据えた。
周囲を心配させて暴走するような中途半端なお節介はここまでだ。
ここからは大人の知恵で、この宿場町の底からしっかりと塗り替えてやる。




