第三十七話 本能
泥のように眠り、丸一日ゆっくりと休養を取った。
おかげで五十歳のボロボロだった腰も、
どうにか出発に耐えられる程度には回復した。
「よし、そろそろ行くか」
宿の外で、八起たちは出発の準備を整えていた。
荷物をまとめつつ、
八起はこの小さな宿場町のことが少し気になり、
そこに顔を出していた旅の高級商人に尋ねてみることにした。
「なぁ、ちょっと聞きたいんだが、
この宿場町は普段から人の出入りが多いのか?」
耳に鉛筆を挟んだ作業着姿の八起に、
商人は親切に教えてくれた。
「ああ、八起殿。実はな、
この近くには手頃な迷宮があってね。
そこを目指す冒険者や、
彼らを相手にする商人の出入りがそこそこあるんだよ。
それなりに活気のある町さ」
「なるほど、ダンジョンねぇ……」
八起は顎をさすりながら、そして元経営者としての直感を働かせた。
(人の往来が途絶えないダンジョンの拠点か。
シンプルな塩味のフライドポテトなんかを売り出す商店を
ここに一つ出すのも、悪くないかもしれないな……)
それは偶然にも、魔王城に残された軍師ゼフェルが
手紙から読み取った『超解釈』と、
完全に一致する経営判断だった。
もちろん、今の八起には知る由もないことだが。
そんな風に、心の中で新たなインフラ計画を思いついていた、その時。
ダァァァン!!と宿の外壁の先からもの凄い地響きと砂煙が上がった。
「ボスーーーッ!! ただいま!」
突風と共に乱入してきたのは、
砂埃まみれで目を輝かせたガウラだ。
「うおっ!? ガ、ガウラ!?」
突然の乱入に、腰を抜かしそうになって驚く八起。
「お前、手紙を届けに魔王城へ行ったんじゃなかったのか?」
「おう! ちゃんと届けて、今戻ってきたところだぜ!」
フンスと胸を張る人狼の少女。
「……は、早すぎだろっ!?」
ここから城までは、普通に歩けばまだ数日はかかる中間地点だ。
それを昨晩出て、もう往復してきたという。
その規格外の脚力に、八起は完全に引いていた。
尻尾をブンブン振るガウラ、
おもわず「お手」と言ってしまった。
なんの躊躇もなく、
右手をバッと八起の手のひらの上に乗せる。
ブンブンと激しく振られた尻尾が、
宿の外の砂埃を舞い上げる。
「…………」
「…………」
流れる静寂。
ここは異世界の宿場町。
目の前にいるのは、誇り高き魔王国軍の将軍の娘であり、
最強の人狼族だ。
我に返ったガウラ。
無意識に『お手』の動作に従っていた己に気づき、
顔を真っ赤にして八起の手を自らバシッとはたき落とした。
「な、何させてんだよボス!
あたしは犬じゃねえぞ!」
本能的に従っておきながら、
自分で手を払い落としたガウラは、
シュンと耳を寝かせて気まずそうにモジモジとし始めた。
なんとも言えない気まずい雰囲気が二人の間に流れる。
「す、すまん。つい、な……」
あまりにかわいそうな様子に、
八起も冷や汗を流しながら苦笑いする。
「よし、じゃあ出発の前に、宿の朝食でも腹いっぱい食べな。
それから今度こそ、魔王城へ向けて出発だ」
「ご飯!? 食べる!」
現役の忠犬は、食べ物の名前を聞いた瞬間に
再びパタパタと耳を立たせて喜び、
八起の後を嬉しそうに追うのだった。
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