第三十話 あの親に、この娘有り。
――お、重い……。胸が苦しい……。
朝、猛烈な圧迫感で目を覚ました八起は、
自分の上にのしかかる巨大な毛玉のような質量に、
危うく息の根を止められそうになっていた。
ぼやける視界をどうにか確保して胸元を見下ろすと、
そこには狼の耳と尻尾を持った
ガウラが、八起を作業着ごと抱き枕のようにして、
幸せそうな顔でスースーと寝息を立てている。
「おい……こら、ガウラ。朝だぞ、起きろ」
「むにゃ……ボス……。もう、お肉食べられない……。
でも、ポテトなら別腹だわふぅ……」
八起が彼女の鋭い狼耳を軽く引っ張ると、
ガウラはうつらうつらと大きな目を開ける。
だが、視界に八起の顔が映った瞬間、
ハッと表情を輝かせてヨダレを拭った。
「ボス! 朝ごはんか!? 昨日の夜もあんなにたくさん食べたのに、
朝になると不思議とお腹が空くんだ!」
「どんだけ食うんだよ、お前は……」
昨日、あれだけ銀貨を渡して一人で外食に行かせたというのに、
この底なしの胃袋はどうなっているんだ。
わかってはいたが、本当に手のかかる駄犬だな。
「ほら、さっさと退け。今日は大事な初めての商売の日だぞ。
気合を入れていくぞ!」
「わふっ! ボスのポテトを売るんだな!
大きな声でたくさんお客さんを集めてやる!」
ガウラはベッドから飛び起きると、
ぶんぶんと千切れんばかりに尻尾を振った。
身支度を整えた八起たちは、ひとまず宿の1階にある食堂へと向かい、
遠征先での初めての朝食をとることにした。
そこそこ値段の張る、この国境の町でも良い部類に入る宿だったのだが、
運ばれてきた料理を見て、八起は思わず眉をひそめた。
テーブルに並んだのは、カチカチに乾燥して石のように硬い黒パンと、
具材がほとんど浮いていない、薄くて塩辛いだけの謎のスープだった。
「……おいおい、そこそこ良い宿だと聞いていたが、朝食はあんなもんか?」
八起はスプーンでスープをすくい、ため息をつくと、
ガウラは硬いパンをガリガリと豪快にかじりながら首を傾げる。
「ん? ボス、これのどこが不満なんだ? 肉は入ってないけど、
スープが塩辛くてパンをふやかして食べれば十分に美味いぞ?
魔王城が崩壊しかけてた頃の、あの泥みたいなスープに比べたら天国だぞ!」
「いや、比較する対象がおかしすぎるだろ……」
そうか、この世界の『普通』の食生活は、
地球の現代社会から来た八起の感覚や、
主食インフラが確立された今の魔王城の基準からすれば、
圧倒的に貧しいのだ。
「これが普通なら……勝機は大アリだな」
八起は不敵な笑みを浮かべた。
マヨネーズをあえて持ち出さず、純正黄金油でカリッと揚げた、
シンプルな塩味のフライドポテト。
それだけでも、この世界の食文化には間違いなく
神話級の衝撃を与えることができるはずだ。
八起は、作業着の袖を力強くまくり上げると
さっそく国境の市場の敷地に移動し、荷車から降ろしたパーツを組み立てる。
ガラクタを組み合わせて作った、特製の移動式調理屋台だ。
「おい、見ろよ。なんだあの奇妙な台は?」
「金属の塊が載っているぞ。魔導具か?」
準備をしていると、市場を行き交う他国の人々から、
露店には似つかわしくない禍々しくも機能的な金属屋台が、
早くも注目を集め始めていた。
この屋台の目玉は、シオリからもらった魔糸で作った
特製の『ジャガイモカッター』だ。
八起が巨ジャガをセットすると、
「ボスのためなら、お安い御用だぜ!」とガウラがその規格外の馬鹿力を発揮して、
レバーを一気に押し下げる。
シュパパパパンッ! と小気味よい音が響き、
一瞬でサクサクと綺麗な細切りのポテトが出来上がっていく。
効率を極限まで高めるため、マナ板から直に投入できるよう、
大鍋の油鍋と横並びに配置してある。
さらにマナ板の反対側には、黄金色に揚がったフライドポテトの油きり兼、
岩塩を振る塩振り場を完璧な動線で構築した。
容器には、薄く挽いた木の板を舟形に折り曲げた、
持ちやすい特製の経木皿を使う。
「よし、油の温度はバッチリだ。いくぞ!」
細切りポテトを純正黄金油に投入すると、パチパチと軽快な音が響き、
周囲に香ばしい油の匂いが一気に広がった。
ポテトがどんどん黄金色に揚がってくる。
「フライドポテト、販売開始だ!」
八起が声を上げると、匂いに釣られた人々が引き寄せられ、
気づくといつの間にか大行列ができていた。
「お待たせしました、どうぞ!」
熱々のポテトを口に運んだ他国の人々は、
カリッとした食感とホクホクの旨味、
指示通りの絶妙な塩気に目を見開いた。
「な、なんだこれは!? 旨すぎる!」
物珍しい食べ物に、あちこちから歓喜の声が聞こえてくる。
シンプルな塩味だけで、確実に他国の人々の胃袋をガッチリとおさえた。
手応えに内心でガッツポーズを決めた、その時だった。
「こ、これ……僕の世界のフライドポテトとまったく一緒だ……」
行列の先にいた、若い冒険者一行の一人が、
舟皿のポテトを見て愕然と呟いた。
その一言に、八起は全身にドッと冷や汗が噴き出し、凄まじい戦慄が走る。
(僕の世界……だと!? まさか、地球人か!?)
驚愕のあまり硬直していると、その黒髪の少年は、
親しみやすい笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってきた。
「あ、すみません。驚かせちゃいましたよね。
初めまして、おじさん。僕はコウタロウといいます。
これを作ったの、あなたですか?」
八起の長年の勘が告げている。こいつは、この世界の人間じゃない。
そして、八起の尋常ではない動揺を、背後にいた忠犬が敏感に察知した。
「……っ!」
ガウラの長い耳が、ピンと限界まで逆立つ。
次の瞬間、空気が凍りつくほどの地響きのような怒気が、
ガウラの全身から吹き荒れた。
彼女は身を低くし、鋭い牙を剥き出しにして、コウタロウを睨みつける。
「キサマガァ……、ユウシャカァーーーッ!!」
鼓膜を震わせる、獣の咆哮。
父親である軍部のガルム将軍も、超脳筋の侵略主義者として恐れられているが、
今目の前で怒りを爆発させる彼女の姿には、
まさしく『あの親に、この娘有り』という戦慄の血筋が色濃く流れていた。
そこには、いつも飯をねだる駄犬の姿は微塵もなかった。
八起の背中を守る、正真正銘の『人狼族の狼』がそこに立っていた。
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