第二十一話 何事もホドホドが一番
「――いやぁ、二人とも。本当にすまなかったな。ハッハッハッ!」
数時間後。ようやく「毒煙」が引き、
念入りな換気が終わった調理場。
八起は全身を包んでいた防護服を脱ぎ捨て、
いつもの作業着姿に戻っていた。
廊下の隅で魂が抜けたように座り込んでいた
ルナリアとゼフェルを呼び戻す。
二人の目はウサギのように真っ赤に充血しており、
特にルナリアは八起と目が合うなり、
喉の奥から絞り出すような声で呪詛を吐いた。
「笑いごとじゃないわよ……!
本気で暗殺されるかと思ったんだから。
秘書官が職務中に料理の煙で殉職なんて、
笑い話にもならないわ!」
「まぁそう言うな。一度にこれだけ大量の
『死神オイル』を仕込めれば、当分は
あの地獄の作業をしなくて済むからさ。
一度の地獄で、向こう数ヶ月の平和を
買ったと思えば安いもんだろ?」
八起は調理台の上に、ルナリアの高級美容オイルが
禍々しいほど鮮やかな「深紅」に変貌した瓶を並べた。
それは、窓から差し込む夕日を浴びて、
触れてはいけない宝石のような妖しい輝きを放っている。
「さて、メインはこっちだ。
恐怖を乗り越えた者だけが味わえる、特権ってやつだぜ」
八起は錬金釜で練り上げたばかりの、
黄金色で濃厚なマヨネーズを小鉢に取り分けた。
そこに、例の『死神オイル』をスポイトで慎重に吸い上げ、
一滴、また一滴と垂らしていく。
純白の雪原に、鮮血のような赤がポタリと落ち、混ざり合う。
やがてそれは、どこか可愛げのある、しかし
不穏な気配を秘めた「サーモンピンク色」へと変わっていった。
「これね、一気にいくと文字通り命に関わる。
まずはこの『一滴混ぜ』から試してみてくれ。
……いいか、絶対に一度に大量に舐めるなよ。
現場の安全基準を遵守しろ」
八起は、黄金色のソースに蒸し上がった
巨ジャガを一口大に切り、
そのピンク色のソースを薄く、本当に薄く塗って二人に差し出した。
「……本当に、食べられるものなのですか?
毒の類ではないのですね?」
「おじさん……信じていいんでしょうね。
裏切ったら、今度こそこの城を追い出すわよ」
ゼフェルとルナリアは、未知の毒物を差し出された
囚人のような顔で、おそるおそるその芋を口へと運んだ。
一秒、沈黙。
二秒、咀嚼。
三秒。
「――っ!? ぁ、熱い……いや、痛い!?
なんだこれ、舌が焼けて……っ、水! 誰か水を!!」
ルナリアが顔を瞬く間に真っ赤に染め、
ハフハフと熱い吐息を漏らしながら悶絶する。
しかし、彼女の手は水を求める一方で、
皿に残った次の一片を無意識に掴んでいた。
「な、なんという破壊力だ。
マヨネーズのコクが、この突き刺すような痛みを
『快楽』へと昇華させている……。
八起殿、これはもう、ただの食べ物ではありません。
脳が、脳が直接震えております……!」
ゼフェルもまた、絶世のイケメンな顔を苦悶に歪ませ、
涙を流しながらも、次の一口を求める衝動を
抑えきれない様子だった。
「だろ? 何事もホドホドが一番なんだが……
一度この『刺激』を知っちまうと、
もう普通のマヨじゃ物足りなくなる。
現場の刺激中毒ってやつだな」
八起はニヤリと笑うと、背側で「生」の
死神唐辛子の欠片をポリポリとおつまみ感覚で
食べているシオリを横目に、自身もピンク色の芋を一口頬張った。
胃の奥がカッと熱くなる。
それは、魔王国の食卓に「激辛」という名の、
二度と戻れない快楽の門が開かれた瞬間だった。
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