第十八話 魔王はいません
「……いやいやいや、待て待て。
そもそも魔王って、そんなに悪い奴なのか?」
八起は耳に挟んでいた鉛筆を落としそうになりながら、
ゼフェルに詰め寄った。
この数日間、八起がやっていたことといえば土にまみれて種を植える。
ガラクタを直し、子供たちの腹を満たすことだけだ。
およそ世界を滅ぼす魔王の所業とは、程遠いものだった。
「ま、まぁ、魔王というくらいですから。
世間一般、特に人族側からすれば、
存在そのものがそれなりには悪と見なされがちでして……」
ゼフェルがイケメンな顔を困らせて、あいまいに言葉を濁す。
確かに、俺と側近二人の共通認識としては、
あのアホの前魔王に対しては「次会った時はぶっ飛ばす!!」
という殺意に近い感情だけはあったが。
八起は腕を組み、ふぅと溜息をついた。
逃げた奴の尻拭いをさせられている身としては、
いきなり「討伐」なんて言われても、とんだもらい事故だ。
「……で、その勇者様とやらは、どのくらいでここまで来そうなんだ?
段取りに関わるからな、ハッキリしてくれ」
「そうですね……。聖法国はここからかなり遠い国ですので。
途中の魔境や関所を越えてくるとなると、
早くても一年くらいはかかるかと」
「一年?」
八起は拍子抜けして、思わず間の抜けた声を上げた。
「……なんだよ、一年か。じゃあ、今の『巨ジャガ』も、
植えたばかりの『大豆』も、全部収穫しちまった後でも
まだ日にちに余裕が有るな」
てっきり明日明後日にも城門を蹴破って入ってくるのかと
身構えていた。
だが、どうやらこの世界の移動手段は、
八起の想像以上にのんびりしているらしい。
「なんだ、慌てなくても平気そうだな。良かった、ハハハ!」
八起は声を上げて笑い、再び耳に鉛筆を挟み直した。
「一年もありゃ、こっちの食糧事情は完璧に立て直せる。
……なんなら、その勇者が着く頃には、マヨネーズをたっぷりつけた
巨ジャガでもてなして、そのまま帰ってもらうことだって
できるんじゃねぇか?」
「おじさん、呑気すぎない……?」
ルナリアが呆れたように額を押さえる。
だが、八起の頭の中はすでに、
「一年後の最高のおもてなし」の段取りに切り替わっていた。
現場の親方にとって、納期が一年先ならそれはもう「余裕の工期」だ。
そうして、八起の魔王城に再び穏やかで活気のある時間が
戻った……かに見えた。
数日後。
早くも「朗報」が八起の元に飛び込んできた。
「八起殿! 例の『赤い地獄の実』を持った商人が城門に現れました!」
「おお! 早いな、もう来たか!」
ゼフェルの報告に、八起は身を乗り出した。
マヨネーズの小瓶を撒き餌にしてから、一週間も経っていない。
商売人の執念、恐るべしである。
「早速商談場所に行こう。……ああ、それとな、ゼフェルさん。
今後こういう来客がどんどん増えそうだ。
現場の安全確保のために、あらかじめ考えておいた布陣で挑むぞ」
八起が提示した「商談用布陣」は、極めて合理的かつ堅実なものだった。
まず、交渉のテーブルには八起、
そして側近であるゼフェルとルナリアの三人が座る。
これが現場の「指揮官」だ。
外側から見える位置には、圧倒的な威圧感を放つ警備として
ガウラを配置した。
狼の耳を立て、鋭い眼光で睨みを利かせる彼女がいれば、
並の商人は余計な小細工など考えもしないだろう。
だが、真に「完璧」なのは隠し玉だ。
「……シオリさん、準備はいいか?」
「はぁ〜い、おじ様ぁ。
天井の死角からしっかり、皆さんを『お守り』しますねぇ……」
見えない所からのボディーガードとして、
シオリを天井の死角に潜ませる。
彼女の操る殺戮兵器級の魔糸は、何かが起きた瞬間に
相手を文字通り「縛り上げる」ことができるのだ。
「よし、完璧だな。……さぁ、赤い実を持ってきてくれた客人を
迎えようじゃねぇか」
八起は耳の鉛筆をかけ直し重厚な扉を開けた。
魔王国の外交ならぬ「外食」を左右する、
記念すべき第一号の商談が始まろうとしていた。
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