第十七話 しばしの休息
「……ふぅ。やれやれ、やっとひと段落着いたな」
大広間から商人たちが嵐のように去っていった。
ようやく魔王城に、本来の静寂が戻ってくる。
厳密には、廊下をパタパタと走り回る子供たちの笑い声が聞こえる。
だが、それはかつての絶望的な沈黙に比べれば、
心地よいBGMのようなものだった。
八起はガラクタ部屋の作業机にどっかと腰を下ろした。
耳に挟んでいた鉛筆を置いて、大きく伸びをする。
現場監督としての第一段階は、概ね完遂と言っていい。
『巨ジャガ』の安定供給に『大豆』の植え付け工程。
そしてマヨネーズによる市場の掌握。
あとは実りと、商人たちが各地にばら撒いた「噂」が芽吹くのを
待つだけだ。
「……たまには、一人で羽を伸ばしてみるか」
召喚されて以来、全裸での降臨に始まり、魔改造、審議会、試食会。
息つく暇もない突貫工事の連続だった。
八起は、シオリが新調してくれた作業着に着替えた。
「お出かけ用ですぅー!」と忙しいのに用意してくれた、
糊のきいた清潔な一着だ。
「あら、おじさん。どこに行くの?
その格好、まさかまた変な物作りに行くんじゃないでしょうね」
廊下に出たところで、書類の束を抱えたルナリアと鉢合わせた。
相変わらず忙しそうだが、八起の「余所行き」の姿を見て、
彼女は足を止めた。
「ちょっとな。城下町の様子を見にいく。
……何、ただの現場視察だ。心配すんな」
「一人で? ……迷子にならないでよ。
あと、魔王代行なんだから、変なもの買い食いしてお腹壊さないこと。
わかった?」
ルナリアの母親のような小言を背中で聞き流す。
八起は軽やかな足取りで城門を抜けた。
城下町へ続く坂道を下りながら、八起はのどかな風景を見渡した。
そして、ふと独りごちる。
「……平和だねぇ。こっちに来てすぐの頃は、魔獣だのドラゴンだのが
そこら中にうじゃうじゃいるのかと思ったけどさ」
「子供たちが荒野まで農作業に行けるくらいだし、
案外、魔王国も安全なもんだ」
道端に咲く名もなき花や、遠くに見える連邦の山々。
八起は五〇歳にして初めて経験する「異世界の休日」を、
しみじみと噛み締めていた。
「一度くらいは見てみたかったなぁ、本物のドラゴン。
現場の重機よりデカいのか、それとも意外と小回り利くのか……」
そんな呑気なことを考えていた、その時だった。
『――八起殿〜! 八起殿〜! 至急、魔王城にお戻りくださ〜い!』
「んっ? んんっ??」
頭の中に直接、声が響き渡る。
八起は立ち止まって周囲を見回したが、そこには誰もいない。
「……どこから聞こえてくるんだ? 幻聴か?
それとも、俺もついに焼きが回ったか?」
しかし、声の主には聞き覚えがあった。
八起は不吉な予感を覚え、せっかくの散歩を切り上げて、
城へと引き返した。
息を切らせてエントランスに戻る。
そこには青い顔をしたゼフェルが待ち構えていた。
「良かった、聞こえていましたか」
「……ゼフェルさんの声だったか。なんだありゃ。
魔法か何かか?」
「そうです、伝心魔法です。
一方通行ですが、魔力を乗せて対象の脳内に直接声を届けられます」
八起は膝に手をつき、荒い息を吐きながら心底感心した。
「……糸電話もねぇのに、そんなことができるのか。
現場の連絡用には最高だけど、ある意味こっちの方が
よっぽどチートだな」
八起は腰に手を置き、一瞬で「現場の顔」に戻った。
「それで、どうしたんだ?
せっかくの休日を返上させるようなトラブルか?」
「……勇者が聖法国を出立したそうです。魔王討伐のために」
「…………はぁぁぁ??」
八起の口から、魂の抜けたような声が漏れた。
せっかくジャガイモとマヨネーズで、
平和な労働環境を整え始めたというのに。
「……勇者? なんでまた、こんなタイミングで。
こっちはまだ『内政』の真っ最中だぞ。戦ってる暇なんてねぇよ……」
おじさんの「休息」は、わずか数分で、
冷たい現実の音と共に崩れ去った。
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