第十六話 未知には魔が潜んでいる
熱狂と興奮が渦巻く大広間に、八起が再び姿を現した。
作業着の袖をまくり、耳に鉛筆を挟んだままの姿。
だが、一度その「魔法の味」を突きつけられた商人たちにとって、
その姿はもはや得体の知れない賢者か、あるいは底なしの怪物に見えていた。
「――お待たせいたしました。今ここで、商談に入りたいと思います」
八起の言葉が響いた瞬間、広間の空気が一変した。
商人たちは「個別での密談」を期待していたのだ。
隣の商会を出し抜き、自分たちだけがこの利権を独占したい――。
そんな思惑が顔を揃えた場での公開商談に、海千山千の狸たちが慌てふためく。
「ま、待ってください! 個別でお話しさせていただけないのですか!?」
「価格の相談もまだ……!」
「いいから聞きな。現場でのルールは、俺が決める」
八起が低く凄むと、広間は瞬時に水を打ったように静まり返った。
ルナリアが背後で、「おじさん、ちょっと格好いいじゃない……」と頬を染める。
それを、ゼフェルが誇らしげに頷いて見守っている。
「まず、我々はこの植物を『巨ジャガ』と命名しました。
ご存じの通り、探せばそこら中の荒野に埋まっている植物です」
八起が平然と言ってのけると、商人たちの間に動揺が走った。
「あ、あの死の植物に……名前を?」
「どこにでもある……だと? そんなものを売るというのか?」
「ああ。だがな、天然物は質がバラバラだ。そこで俺たちは、
安定的に高品質な巨ジャガを供給するために栽培を始めました」
八起は窓の外、緑に変わりつつある広大な農地を指差した。
「収穫が始まれば、いつでも、どれだけでも購入いただけます。
環境が整えば、毒を抜くための『適切な調理法』もお教えしましょう。
不慮の事故で客を死なせちゃ商売あがったりですからね。
……さて、どうです? 独占権なんてちっぽけな話じゃねぇ。
魔王国の名産品として、あんたらの販路に乗せてみませんか?」
商人たちは絶句した。ただ素材を売るのではない。
「安全性」と「技術」という、商売において最も重要な『信用』を、
魔王が自ら保証すると言うのだ。
マヨネーズの濃厚な後味が残る口の中で、彼らは計算を始めた。
これが町中に、いや世界中に広まった時の莫大な利益を。
「……そ、その調理法も込みでの取引ということでよろしいのですな?」
「ああ。何でも屋はアフターサービスも欠かさない主義でね。いかがですか?」
八起がニヤリと笑うと、商人たちの手が、
今度は武器ではなく「契約のペン」を求めて一斉に挙がった。
「ま、待ってください! 先ほどのソース……
あの黄金色のソースはどうなるのですか!?」
一人の商人が、飢えた獣のような目で身を乗り出した。
それを皮切りに、数人の野心あふれる商人が一斉に声を上げる。
「そうだ、あれを譲ってくれ! あんなもの、見たことも聞いたこともない!
金ならいくらでも用意する!」
八起は待ってましたとばかりに、ほくそ笑む。
「ああ、あれな。あのソースは『マヨネーズ』といいます」
「……いいか、よく聞きな。あれは単純な切り売りはしねぇ。
だが、せっかく現場まで足を運んでもらったんだ。
皆様には、少量だが『お土産』を用意した」
八起の合図で、給仕服の子供たちが
丁寧に密封された小さな壺を商人たちに配っていく。
「だいたい握りこぶし一つ分くらいの量だ。
売却するも良し、自分で食うも良し、
あるいは他の商談の『種』に使うも良しだ。好きにしな。
……ただし、次からの販売には条件を付けさせてもらう」
広間が静まり返った。
商人たちは、八起が突きつける条件を固唾を飲んで待つ。
「その条件とは、三つの珍味を揃えることだ。
一つ、食えば口内が焼き付くという『赤い地獄の実』。
二つ、清流に生え、食えば鼻がもげるほどの痛みを受けるという『謎の根』。
……そして最後は、取り扱いが難しいだけの、海魚の魚卵の塩漬けだ」
「な……っ、地獄の実、鼻をもぐ根、魚の卵だと……!?
そんな正体不明の怪しい素材、どこを探せば……!?」
一人の商人が、そのあまりにも過酷な調達難易度に顔を青くした。
「これらをお持ちいただいた方にだけ、マヨネーズの本格的な商談に応じよう」
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